今こそ観たい、映画『スポットライト 世紀のスクープ』
先日開催された「Data Journalism Handbook日本語版公開記念イベント」の講演で亀田さんが紹介していた『スポットライト』という映画を観ました。
実話を元にした作品で、ボストン・グローブ紙の記者たちが緻密な仕事を重ねて一大スクープを追うという内容なんですが、調査報道という非常に地味なトピックを中心にしていて描写も淡々としているのに、とにかくグイグイ引き込まれてしまいました。
なぜこれがデータ・ジャーナリズムと関係あるのか?は、ぜひ実際に映画を観て確認していただきたいのですが、データ・ジャーナリズムあるいは調査報道そのものに興味がなくても、メディアの中の人たちがどのように取材を行い、どんな考えで記事を書いているのか、そしてそこにどんな葛藤があるのかを知る事ができるとても優れた作品だと思いました。そして、報道に全く興味がない人でも、最初から話に引き込まれてしまう作品でもあると思います。
DeNAの「Welq」の問題を発端に、キューレーション・メディア、ひいてはメディア全体の信頼性が問題になり、連日メディアのあり方についての議論がネットを賑わせています。「伝える」とはどういうことなのか、そして少し下世話ですが、「ターゲット」がどのように追い詰められるのかを知るきっかけになるのではないでしょうか。 (2016.12.14追記)
ちなみに、セリフ中でデータ・ジャーナリズム・ハンドブックにもよく出てくる”Story”という単語が繰り返し使われています。字幕では「記事」となってました。
さて内容そのものとは外れますが、ぼく自身はこの映画の「普通の会社を描く」巧みさに感心しました。こういう作品は、ヒーロー物みたいに主人公たちが常人離れしてるとおかしくなっちゃうんですよね。この映画に出て来る人々はみな、キャラクターが個性的で魅力が溢れてる一方で、印象としては「その辺にいそう」な感じがすごく出ています。配役とキャラクター描写、そして出演者の演技が絶妙なのです。
細かいところですが、女性記者役のレイチェル・マクアダムスさんの二の腕があんまり引き締まってないところとか。画面に出てくる人々がちょっとゆるんでるところに、すごくリアリティーを感じました。
ちなみにレイチェルさんは、作品のトーンにあわせて控えめながらも絶妙に可愛らしさを出していて、それがまたこの淡々とした(そして重苦しいテーマを持つ)ドラマを飽きさせないものにしているのではないかと思ったりもしました。