私のノート遍歴

アナログからデジタルへ、それからアナログとデジタルとの共存へ

今年も10月になり、来年に向けて「手帳術」を特集した雑誌が並ぶようになって来ました。手帳術特集が組まれた雑誌をついつい買ってしまいます。

私自身はスケジュールはiPhoneへ、お仕事の細かい内容はNoltyのリスティ1(ウィークリーバーチカルタイプ)、その他の思いつきメモはA5サイズのノートを使っています。今回は、これまで辿ったノート遍歴、そしてデジタル機器の関わりについて述べてみたいと思います。

私のノート歴のスタートは幼少時に年始に企業が配布する年玉手帳を親から貰い、落書きしていたことです。当時は、様々な企業が手帳を配っていましたが、最近は経費削減の点から手帳が配られることも少なくなってしまいました。

その後、本格的にノート・手帳の使い始めたのは中学時代、当時、梅棹忠夫の名著「知的生産の技術」(岩波新書)に影響され、何かの景品でもらったA6の分厚い手帳に色々なことを書き連ねていました。
すでにその手帳は紛失したので具体的には覚えていませんが、「青春の叫び」に近い事も書いていたようです。今では覗いてみたい気持ちと紛失してよかったという気持ちと半々です。

そのほかに梅棹忠夫氏の影響を受けたのが京大式カードです。化学は「教科書を丸暗記しなさい」という担当の先生の教えに従っていましたが、それだけでは入試問題では若干、点数の取り漏れがある訳です。そのときの私の京大式カードの使い方は以下の通りです。
1.問題を解いて分からなかったところや間違ったところで教科書に記載されていない内容をカードに書き出す。
2.欲張らずカード1枚あたり1項目に限る。
3.キーワードは赤ペンで書き、赤下敷きで消して覚える。
4.カードは箱に入れて、定期的にその内容を見直す。
教科書とこのカードで、入試問題レベルの化学はほぼクリアする事ができました。このカード、大学入学後捨ててしまったようで、手元に無いのが非常に残念です。このやり方、確実な知識を問われる試験では使えると思っています。

私が結婚した頃、私の実家の押入れのダンボールを整理していて、変わったノートを見つけました。それは1989~1990年当時のスクラップ帳です。平成が始まった頃のオウム真理教などの新聞記事がスクラップしてあったのです。私は中高一貫教育の中学3年生でしたので、有り余ったエネルギーをこういことに使っていたみたいです。当時から変わった中学生だったんですねぇ。

大学に入ってからは、システム手帳を使っていましたが、当時の手帳は残っていません。どうしてもシステム手帳はリフィルがバラバラになってしまい、保存という面では適しませんね。その他、大学時代に行ったヨーロッパ旅行のスクラップ集を作ったりしていました。

そんな私がPDAと最初に出会ったのが大学4年の時、1997年に友人とマレー半島を旅行した時にたまたま見たアメリカ映画「暴走特急」です。映画はテロリストが占領した豪華列車をスティーブン・セガール演ずるケイシー・ライバックがほぼ一人でテロリストに反撃するというもの。ライバックは列車が乗っとられたことを列車電話からFaxで知らせル時に使っていたのがApple社のPDAであるNewtonでした。
この映画は1995年に撮影されたので、ちょうどNewtonが発売されていた時期に当たります。当時、Newtonは衝撃的なものでしたが、値段が10万円以上と高すぎたため手が届きませんでした。働き出したら手に入れようとは思っていましたが、早々と市場から消えてしまったのでした。

大学を卒業した頃にPalmが登場しました。PalmはMacに似た直感的な操作性とMacとの相性の良さで、一部のマニアな人たちの間で評判となりました。私が最初に手に入れたのはPalm Computing m100です。液晶は白黒、乾電池駆動と今では考えられないものですが、価格が2万円以下。当時、医師ったばかりの私でも手の届くものでした。Palm Computing m100を買ってはじめたのが、メモ作成。研修医生活で蓄えたちょっとしたメモを入力するというものです。当時はスタイラスという棒を用いて、Graffitiという特殊な手書き文字認識でセコセコと入力していました。今考えると大変非効率なやり方ですが、その頃は大変画期的な入力方法でした。その後、SONYからカラー液晶のスタイリッシュなCLIEが発売されました。。少しずつ医療関係のアプリも充実しました。私の周りでも結構多くの先生方も使っておられ、ちょっとしたブームを感じていました。しかし、その後PalmOSからSONYが撤退してから、日本国内からPalm製品が無くなりPDA冬の時代が到来しました。

2005年にはPDA界に新しい変化が出てきました。それは携帯電話とPDAとが融合した日本初のスマートフォンの出現したのです。当時私の周辺でもこのW-ZERO3手に入れた人がおり賑やかになっていました。医療系ソフトも速やかに対応し、頑張って使いこなしていましたが、Windows Mobileのモッサリとした動きとMacとの同期の相性の悪さに痺れを切らし、2007年にはついにはW-ZERO3[es]を解約してしまいました。
その翌年の2008年に日本でもiPhone3Gが登場し、それ以降はiPhone一筋でです。

PDAからスマートフォンを使っていた間も、PDAと平行してモレスキン、文庫サイズ手帳、新書サイズなど色々なサイズの手帳を使っていました。スタイラスを用いてちまちまとPDAに入力するのがイマイチ続かない訳です。2008年9月頃には現在のA5サイズのノートに落ち着きました。それからA5ノートを使い、8年間で20冊を超えています。年間平均3冊というところです。A5サイズノートは手帳以上に自由に書き込むことができますし、B5やらA4ノートと比べると携帯性が良く気に入っています。ノートの種類も普通のCampusノートから1冊200ページ以上あるリングノートまで厚さも様々使いましたが最近はミドリ(という会社の)MDノートを使うことが多いです。このノートの紙の色と万年筆で文字を書いたときの質感がお気に入りです。今使っているのはKOKUYOのNumbered notebookです。方眼ノートなのですが、ページ数が打ってあり、後から振り返りやすいという特徴があります。また、紙が薄くて、サイズがA5より若干小さくて手に馴染みやすいですね。

さて、ノートにはどのような事を書いているかというと、やらなければならないこと、日々の業務内容、読んだ本の内容と感想、講演で聴いた内容、ちょっと考えたことなど、本当に雑多なものです。毎日書いてはいませんが、とりあえずのルールは「日付を記載し、日付順に記載する」ということ。この緩いルールが私の性格に合ってて、続いたのかもしれません。記憶とGoogleカレンダーを使えば日付順に記載し、日付を使って目的のところにたどり着くことができます。

大学病院で医局長をしていた時にもノートが役立ちました。通常は仕事とプライベートノートは区別しませんが医局長ともなると、業務で書く内容が多くプライベートノートと医局長ノートを別にしていました。医局長ノートには日々の様々な会議の内容や業務の内容、医局員のネーベンの配置やその給与のバランス計算など様々なことが書かれていました。このノートを振り返ると医局長業務の大変だった日々が思い出されます。ノートを振り返ることで当時自分が考えていたことを振り返えられることが一番収穫ですね。過去の事実は写真で記録できますが、考えていたことは記憶か文字情報でないと残りませんからね。

iPhoneで「ライフログ(lifelog)」を記録していくと、後々検索できて便利なんですが、ちょっとしたことを記録していこうとするとノートの質感、触感、書き味って大切だと思います。まだまだ、しばらくA5サイズのノートは手放せなさそうです。現在の課題は、アナログノートとEvernoteに貯めているデジタルデータをどうやって統合していくかです。誰か良い方法がありましたら教えてください。

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