Adobe Sensei at #AdobeMAX
「先生」もこのまま英語になるのか?
Adobeは、カリフォルニア州サンディエゴで開催中のAdobe MAXで、「Adobe Sensei」という言葉を発表しました。日本人的には語感が悪いと感じるこの言葉は、米国側から発案があり決まった言葉だそうです。
Adobe Senseiについて簡単に解説すると、Adobeが擁する機械学習と人工知能のプラットホームの総称。そのため、クリエイティブ向けアプリケーションだけでなく、マーケティングクラウド、ドキュメントクラウドも横断的に、AI系の機能やサービスに使われるそうです。
Creative Cloudのアプリ群の中では、例えばPhotoshopの「コンテンツに応じて」系の機能のようにこれまでAdobe Magicとして紹介されてきたものや、Adobe Stockから画像で検索などのクラウド側でのサービスなどが含まれます。
イメージするのは、理想的な「先生」像
Adobe Senseiはいうまでもなく日本語の「先生」から取っていますが、その理由については次のような解説が加えられています。
深い知識と経験を有して人々にそれを伝え、また自らも学びの精神が豊かな存在。
人々に獲得形質を継承し、自らもさらなる知識や経験で発展しようとする存在。その姿が、Adobeが捉えるAI像と一致したことがポイントだそうです。江戸時代からの私塾の教育形態でもある「半学半教」のイメージに近いように思いましたが。
現実問題として、Adobe Senseiの精神に近い先生に出会うことは、日本においても、結構幸せなことではないか、と感じています。
自分もそうありたいと願う一方で、生徒にいかに自由に学びや発言を促す仕組みとコミュニケーションを作ることがいかに大変か、コードアカデミー高校(code.ac.jp)で常に意識する数年間を過ごしてきたからです。
その点で、Adobe Senseiの「先生像」は非常に理想的だと感じるし、それゆえの違和感のようなものを感じているところです。いや、その違和感がなくなるよう、勤めていかなければなりませんね。
「言葉のアイディア」では、こんな話を集めていこうと思っています。「kotoba」タグをフォローしたり、皆さんのストーリーを足していただければ楽しいと思いますので、よろしくお願いします。