TEDxのスタッフ集合写真とは?:なぜ参加者は待たされなければいけないのか

Ryo Okube
Ryo Okube
Jan 2, 2018 · 6 min read

久々のTEDx関係ブログの更新をします。

2017年7月に行われたTEDxUTokyo(東京大学のTEDx)の代表を終え、今は少しTEDxから離れて生活しています。

好きだからこそ一度離れてみればまた違った見方ができるかもしれない。知らないことに気づけるかもしれない。というのが建前ですが、少し疲れてきた・・・というのが本音だったりします。

余談はさておき・・・

全てのTEDxイベントがそうであるわけではありませんが、TEDxイベントではよく「スタッフ集合写真」をセッション(登壇者のトーク)が終わった一番最後の締めのときに行います。

多くの場合は、オーガナイザーが締めの挨拶を行い、舞台上に集まれるだけのスタッフが集まり、スタッフ、スピーカー全員で記念撮影。そのあとにパーティシパント退場という流れで行われます。

なので、この写真撮影中はパーティパントは待たされるという状態が発生しているのです。(客観的に)

TEDxUTokyo2017 see・saw

▲ごもっともなコメント

オーガナイザーや司会は「今回、裏でこのイベントを支えてくれたスタッフを紹介させてください!」というような導入を入れてスタッフが舞台に上がるので、パーティシパントの多くの方々は拍手とともに迎えてくださり、中にはスタンディングオーベーションまでしてくださる方もいらっしゃいます。

しかし、アンケートなどを見ていると「内輪感がある」「自己満」などのコメントも頂きます。

誤解のないようにですが、これらの方を批判しようという内容ではありません。

意図が伝わらないまま、このようなことが起きれば当然のコメントだと思います。

ただ、この「集合写真」にはTEDxという価値観、文化が現れているように僕は思うので今回、このようにブログにしています。

▲TEDxの文化とは?

(このブログはあくまでも、僕個人の見解であり、全てのTEDx関係者がそうであるということではないというのを念頭に読み進めてください・・・)

「TEDxの文化」は、以前にも書きましたが「フルフラット」であると思っています。

つまり、素晴らしいアイデアを共有してくれるスピーカー、企業という立場から支えてくれるパートナー、世界中にいる翻訳家(TED Translater)、参加してくださるパーティシパント、そして、企画・運営を行うスタッフ、これら全ての人々が互いに尊重し合い関係を構築できる文化、土壌がTEDxにはあり、そして、それがTEDxのコミュニティとしての本質であると私は思っています。

よく

「登壇者呼んで来て、トークしてもらって、交流するならTEDxじゃなくてもできるじゃん」

と言われます。

それは本当にその通りで、それだけであれば何もわざわざ英語で申請を出して長い時間待って許可を得なくてもいいし、とても長いルールを守らなくてもいい。何か別のイベントを立ち上げた方がはるかに早い。

しかし、TEDxであるというのは、この文化がある意味正当化できる。語弊がありそうですが・・・

「フルフラット」なんていうのは現実の社会ではそうそううまく実現できません。(TEDxも現実だけどね)

誰しも、地位や業績、年齢を武器に相手を意識的、無意識的にかかわらず攻撃します。明確に地位のある人、力のある人をよいしょして、それ以外のステークホルダーをないがしろにする(これも意識的、無意識的にかかわらず)。

それが社会というものだ!という声も聞こえてきそうですが、僕としてはそれはとても生きづらい。息苦しい。僕がそうだから、きっとそう思っている人はほかにもいるはずだと勝手に信じてます(笑)

だけど、不思議とTEDxであれば「フルフラット」を実現できる。なぜなら、それがそもそも文化としてあるから。

▲だからこその集合写真

だからこそ、このスタッフをパーティシパントの皆さんの前で紹介し、写真を撮るという行為には大きな意味があるんです。

スタッフは1日のイベントのために半年〜1年かけて企画、運営をしています。当日もパーティシパント、パートナー、スピーカーが楽しめるように、満足できるように朝から晩まで動きっぱなしです。

もちろん、みんなそこにやりがいを感じていますし、皆さんの前で公に賞賛されたいわけではないです。

しかし、どうしても役割柄「ただの運営」に思われてしまいがちです。

散々言いましたがそうじゃないんです。

スタッフもパーティシパントの皆さんも全く立場は同じなんです。

だから、ただの運営ではないんです。ただ、役割がたまたま「運営」と「参加者」だっただけのことです。

といっても、このことをすぐに理解してもらうのはかなり大変です。

この集合写真は、理解してもらうのが難しいTEDxの文化をお伝えするための一つの象徴的行為なんです。

TEDxYouth@Kobe2016

▲それだけでは十分ではない

もちろん、それだけでは十分でないと思います。

言葉での伝達と、行為での伝達でも全ての方々にすぐに理解してもらう、感じてもらうのは難しいと思います。

だからこその、このブログだと思っています。

今、日本ではとても多くのTEDxが各地で開催されています。

大学で学生主体に行われるTEDxも増えてきました。

TEDxはそのロゴにも書いているように

Independently Organized TED event

です。

何をTEDxと考えるのかはそのコミュニティに依存しています。

ですが、それこそ

「登壇者呼んで来て、トークしてもらって、交流するならTEDxじゃなくてもできるじゃん」

と言われないように、TEDxとは何か、TEDxである意味は?ということを考えるのは必要になってきます。

スタッフだけでなく、パーティシパントの皆さん、パートナー企業の皆さんも含めて関わってくださる全ての方が考えることが重要だと思っています。

発展すればいずれ飽和し、そこからは廃れるか、新たに生まれ変わるか・・・いずれにせよ、TEDxが増えてきた今だからこそ見つめ直すべきなのかもしれません。

*あくまでも僕個人の意見です。

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