TEDxKyoto 2015の残影
Facebookに書いた内容を推敲・追記して、再投稿する事とする。またオリジナルはhttp://blog.unit3s.jp/より。
以下は11月12日に書いた文を元にしている。
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残務が残っているが11月8日のTEDxKyoto 2015はひとまず終了。
連日スクリプトとスライド作成をしつつトークの練習をし、当日素晴らしいトークをしてくれたスピーカー、パフォーマーの方々、TEDxKyotoをサポートしてくださったパートナーの方々、そしてご来場頂いた方々、心よりありがとうございました。
そしてそれを支えたキュレーションチーム、ショーチーム、オペチーム、パートナーチーム、コミュニケーションチームの200名を超えるボランティアのスタッフ達、本当にありがとうございました。お礼と感謝の言葉しかでてきません。
やっぱり気づきだらけのTEDxKyoto 2015
したい事とすべき事柄を自、また他より頂戴できる事はとても有りがたく、そしてまだやれる事が多く残っているという気づきでもある。
多くの気づきと共に改めて分かること。それは改善の余地はいくらでもあるのだ、というそんな当たり前のことだ。
自己満足と自己欺瞞に自らを落とし込むことは、この歳になったからなのか、極めて少なくなった様な気がするので一端ここにざざっと書いてみよう思う。(いや、それも気がする、というというだけなのだけれども。)
そこであえて言わせて貰うのなら、4年間続けてきたこのTEDxKyotoというプラットフォームはある程度成熟しつつあるのではないか(まだまだの部分も多いけどね)。
子供から成人へと向かうプロセスを試行錯誤しつつも、形を変えつつ進んでいるように思う。
というか進化しなければ緩やかな死があるだけなのだ。
やれること、改善したいことは無数にある。
なぜならこのイベントは終わりがないのだ。
それは自分たちで定義するしかない。
クオリティとクオンティティの議論は常に存在するが、もちろんこの様なイベントではどちらも重要だ。
どこまでクオリティを上げることができるか、常に課題であり、挑戦するのが楽しい部分でもある。そしてクオンティティのカオスが、場にどんな作用を及ぼすか、これもまた一つの楽しみなのだ、私はそう思う。
祭典
「広めるべきアイディア」”Ideas worth spreading”という名の祭典。
「広めるべきアイディア」というキーワードで繋がった人々とその喜怒哀楽の場。
多くの方からポジティブな意見もネガティブな意見ももらえるオープンプラットフォームだからこその醍醐味がここにはある。
この年、この日に向けて200人を超えるボランティアはTEDxKyotoは出来るうる限りの全てを使い果たしているし、最大限つくした。
そしてそれでいいのだと、私は断言する。周りがどう言おうとも思おうとも、だ。(いうとくけど、より良くする努力をするのは当たり前の前提。)
改めてこのイベントが私に教えてくれる事は、変わっていく事の難しさと、変わる事の喜び、そしてそのプロセスをどう楽しむかの手法をあらゆる角度から教えてくれる、そんなことだったりする。
消失と再燃
誤解を恐れず、正直に言うのなら、私は今年のTEDActiveに行くまではもうTEDxKyotoへ関わる情熱は限りなく薄まっていた。内発的な情熱を見いだせないくらい、自分がこのプラットフォームにどう関わるべきか分からなくなっていたからだ。
そして1週間のTEDActiveに行き、TEDのプラットフォームを再確認し、世界中のTEDxオーガナイザーと話した後、自分の考えが、本当に矮小になっている事に気づくことになる。あほか、俺はと(その話はまたどこかで)。その後は走りまくりの半年ちょっとだったと思う。
結局当日まで(実際は今もだが)走ったことによって多くの自然変化もあったし、意図的変化、そして恣意的変化まで総動員して多くの事象に関わりあってきた。出来る事はなんでもやってみた。出来ないこともできるだけ関わり、その背景にあるものは何か理解しようとした。そこで得たことも多いし、失うこともあったりする。
所詮対価を支払わずして何かを得ることも、またないのだから。
TEDの本質とはなにか。それはそこに関わり合う人々だ。多くのアイデア、想いを持つ人々の関わりあいだ。決してストリーミングでは伝わらないその場の熱量をその時、その場で体感し、多くのモノを巻き込む力なのだと、私は思っている。
動かなければ始まらないのだ。
作らなければ生まれないのだ。
やらなければわからないのだ。
見なければわからないのだ。
聞かなければわからないのだ。
体験しないと残らないのだ。
そして会って言葉を交わさなければ、一生知らない人ままなのだ。
これはTEDxの事だけではない。40超えても未だに思うのだから確信、いやもはや迷惑千万レベルの信念かもしれない。ちなみに私の子供達はこんな親父にひっぱり回されているのだなと、今書いていて苦笑した。嫁様もありがとう!
だから奇跡のような事も起きるし、普通に大失敗もする。(まぁ奇跡なんてだいそれた言葉を書くと誤解されそうだが、正直ようできたもんだと思うことなんてくさるほどあるのだ。)
総括
TEDは”Technology, Entertainment, Design”の頭文字だが、個人的にはTEDの”E”はEmotionの”E”だと思い込んでいる。 それは肯定・否定全てを含めたEですよ、もちろん。
自分の人生の少なからず変えてくれたTEDxKyoto, TEDx, TEDのこのプラットフォームを心から感謝し、そしてその一部にちょこっとでもいることに誇りだと思う、そんなTEDxKyoto2015だった。
そうそう、TED Acheという心の痛みは、一度体験するとカンフル剤の様にじわじわ効いてきます。これは間違いない。恐らく少なからずのボランティア達は今感じているでしょう。お疲れ様!
最後に、こんなちゃらんぽらんなDのチームに懲りずにいてくれて、本当に色々助けてくれたみんな、ありがとう。
今年、多分あんな風に泣いてしまったのは、みんなが本当に素晴らしかったからです。
みんな大好きだぞー!
2015.11.12
2015.11.18 (追記)