辿りついた。そこはTEDxKyotoだった。

よねざわゆかり
TEDx Experience [日本語版]
4 min readSep 3, 2015

前回のTEDxKyotoのコーチについての記事を予想以上に多くの方に読んで頂けたようでありがとうございます。

今日はわたしがTEDxの世界に出逢うに至った話をしてみたいとおもう。極めて個人的なストーリー。もしも興味があれば、少し長くなりそうだが、お付き合い頂けるとうれしい。人生のどん底にいる人は、なにかヒントになるかもしれない。

わたしがはじめてTED Talkに出逢ったのは2012年。
地下鉄六本木一丁目駅のホームの上だ。

ちょうどその頃、人生で最高潮にショッキングな状態の中にいた。人が生きていく中で大切だと言われるものをわたしはほぼ同時期に失ってしまったのだった。パートナー、仕事、故郷の家族関係・・・!これまで、当然のようにどこかの、何かに属するラベルがある人間として社会生活を送ってきた。それらがすっぽりとなくなってしまった。故郷を離れ東京にひとり。もう戻ることもできない。既にわたしは37歳になっていた。

女37歳、夫無。職無。コネ無。東京にたったひとり。
こう書きだしただけで相当リスキーな状態だ。

全てを失ってしまったが、たったひとつだけ、確かなものが残っていた。それは「わたし自身」だ。20年来の夢がわたしにはあった。それは「人の可能性や感性を引き出し、輝かせることを通じ、社会にじぶんを還元すること」職業として。プロとして。大事なものを失った今、この抱えてきた思いはずっと夢のままなのだろうか?果たしていつ現実になるのだろうか?そう自問自答した。こたえは「今から」

そこでわたしはある決心をした。

「365日人生の余白をじぶんへプレゼントする」

という実験生活をはじめることにした。体は健康。幾分かのお金はある。もうこれ以上失うものは何もない。叶うかどうかはわからないが夢への道筋をつける自由な時間と精神的ゆとりをじぶんへ贈ることにしたのだ。じぶんの人生、自由に生きてもいい。そうじぶんでじぶんにOKをだし、限りなく真っ白な白紙時空間へわたしはふわりとダイブした。

すると不思議なことに、今まで一度も味わったことのない自由と安心感がわたし自身に流れはじめた。

これまでは、慎重で計画的な人生を送ってきての今だから、今度はあえて計画しないことにした。決めたことは三つ。「期限」「興味のある場所へ足を運ぶ」。そして「最終的に結果がどう転んでも決してじぶんを責めないこと」。スタンフォード大学のJ.D.クランボルツ博士が 「計画的偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)を提唱していることを知ったことも、この人生実験の後押しとなった。心の声に忠実に、流れのまま、今を生きてみる。

そう決めた頃、大学時代の先輩から「東京にいるならば、会ってほしい人がいる」とある人を紹介してもらった。結果、その彼にTEDの存在を教えてもらうことになる。

六本木一丁目の夜のホーム。
「TEDって知ってる?Ken Robinsonのトークいいんだよなあ」
学校教育は創造性を殺してしまっているのトークだった

教育に関心がありつつも、じぶんとは何の関係もない、高尚なトークショーなのかなあ?スマートホンを眺めながら遥か彼方遠くの世界だと感じていた。ホームで「へぇ」という返事をしたのを覚えている。自宅に戻り、TEDをネットで調べると数週間後にTEDxTokyoがあることを知り、よくわからないままパブリックビューイングに申し込む・・・。

この申込が、TEDxKyotoのスピーカーコーチへと繋がる第一歩となる。

ここから不思議としか表現できない出逢いのタペストリーが編まれはじめる。再現しろと言われても再現できないシンクロニシティの連続の中、わたしは今へと運ばれた。この話のつづきはまた新しいストーリーとして記していきたいと思う。

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