土と心の置き場所 -vol.1 インドの家

松木 直人 NAOTO Matsuki
TEKAZ BAKAZ CLUB
Published in
5 min readJan 24, 2020

もうだいぶ昔のことになるが、2017年3月、12から24にかけて、佐藤研吾さんの主催する「In-field studio 2017」 に参加するため二度目のインドを訪れた。(http://infieldstudio.net/2016/12/14/in-field-studio-2017-in-santiniketan/)

佐藤さんから語られる目論見を一言で示すならば、建築をHumanityでもってより広い領域から描き出すというものであった。解釈が正しいかどうかはしらないが、ともかく私はこのことを中心に据えることとした。

場所はインド東部コルカタから少し北の、西ベンガル州シャンティニケタンである。ここにはインド国歌を作った詩人タゴールが開いた芸術大学、VISVA-BHARATYがあると同時に学園都市として大きな広がりを見せている(http://www.visvabharati.ac.in/)。

VISVA-BHARATY内にあるブラックハウス。土蔵の躯体に漆黒のコールタールで耐水性を持たせている

この地域に見られる典型的な農村の一つである”ケラタンガ村”を対象地として調査、提案、実施がおこなわれた7日間のなかで、特に自分のチームが行った動きについて書き綴る。
輝きを今も失わない記憶というものは、もっと小さくひっそりとした出来事や、やり取りの交錯する中にある。それを紐解いて語り得ない私は制作活動を通してその端緒を示してみたいと思う。

ケラタンガの家と信仰

ケラタンガはヒンドゥーではなくアニミズムの息づく集落である。公用語はベンガル語である。住居は主に土によりできており、中庭を中心として母屋、家畜小屋、炊事場、蔵などにより一戸が構成されている。周辺に運河、溜池、林をもち南西に広がる水田での稲作を主な生業としているようである。集落内には近年新たに作られた井戸や積み上げられたレンガやそれによる家の建設が見られ、村を構築するシステムが過渡期を迎えていることが伺える。

中庭において特筆して見られるものはトゥルシーという木を祀る台である。トゥルシーは和名をカミメボウキといい、薬として使用される他ヒンドゥーでは女神の化身として崇められる植物であるが、この村における信仰の出は不明である。
この台の足元に見られる円形状の痕跡は”マルリ”とよばれるものであり、毎朝水によって描かれる。マルリは玄関、炊事場、部屋の入口、中庭の中心などあらゆる境界とその区分のもとに描かれている。きくとこれはworship(崇拝、尊敬、礼拝)であるとのことであった。

バスキ家

家々は集落のメインロードを挟むように直線的に配置されており、この家は一番川沿いに位置する。集落の外側に2つの溜池をもち、すぐ側には耕作地が広がっており、米を作っている。

ケラタンガ村で心打たれた家がある。姓をBASKIとするこの家は入るやいなや静謐に包まれた空間であった。その理由を探りたいとこの家を調べることにした。

まずは実測平面図と写真を御覧いただきたい。

土でできたシームレスな空間はその実と同様役割も流動的であり、入り混じっている。
母屋下屋 ここはおもに休息の場所としてもちいられているようである
母屋の架構 屋根を躯体に乗せるための竹と軒を出すための竹が交互に配置されている
母屋壁面に描かれた鶏
中庭には牛のために米を発酵させた液体が貯められている
トゥルシーを祀る儀礼空間 床面を見ると屋敷全体で巧妙に水勾配が取られていることがわかる

空間全体は生活を構成する動作に呼応するように出来上がっている。西側には人間以外のための空間や、自然を人間が扱えるようにする炊事場がある。中には米を貯蔵するための”クラァ”が置かれている。壁面を躯体として屋根がかけられている作業場は雨天時の調理やよく使う道具が置かれていることがわかる。そして、東側に配置された母屋には、衣服などを保管する居室、用途不明の居室がひとつあった。

→vol.2につづく

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