生き物の温度
荒れ地のなかスタジオ2019 / IN-FIELD STUDIO 2019 IN OTAMA (9/10–14)
シャンティニケタンでのIn-field studioに続き大玉で開催された本会にも参加することになった。今回のテーマは鋳造。一見建築と離れたフィールドに飛んでいるように感じるが、これは前回から続く、「建築を構成する要素がコミュニティの内部から生ずる世界」にむけたトライアルだと感じる。そこから出発した時に建築に宿る、名付け得ぬ質を捉えたいと今回も参加した。
覚え書きも兼ねて、製作過程とそれに付する発見を記したい。
炉の作成と同時に鋳物(ドアハンドル)の製作をおこなった。鋳物作成の手順を大まかに記すと、以下となる
①モデルの作成
②鋳物の作成
③金属を溶かす
④金属を流し込む
今回、私はこのモデルの作成に時間を多く費やしていた。型に流し込み形を作るという工程は、私にはコンクリートを扱う時に馴染みのあるものであった。しかし鋳造においては、まずポジを形作るということが大きく異なる。そして今回このポジを蜜蝋で作るというところに大きな面白みがあった。
ミツロウと造形する温度
扱う素材(粗材ともいえる)と自身の振る舞いの応答の中から形体を考えたい。それは素材に体の消えた自分を写しこむ、または素材のポジに自分をネガとして投影する試みといってもいい。
蜜蝋は佐藤さんがネパールで買い付けてきたものを扱った。先々はミツバチの養蜂から蜜蝋の抽出まで射程にあるようだ。
この蜜蝋を一度塊から溶かし出して、板や棒状に整形したのち、熱を加えながら変形を加えていく。この過程が実に面白い。およそ40度あたりからやや軟化し、人が触れられなくなる温度あたりでグニャグニャとコントロールが及ばぬほどに柔らかくなる。これは蜂が生成する物質で、生き物から離れて他の過程を経ていないこととも関係していると感じる。シャンティニケタンにてシロアリの巣を構成する土が土間の仕上げ材として用いられたように、このサイズの生き物がより集め生成する素材は人が生身で扱えるものとして適しているようだ。
今回は最終的には鍋に風呂の温度ほどの湯を張り、それにモデルを浸しながら蜜蝋を三つ編みにして形を作った。固体と液体のハザマをさぐりながら、その流動性をこそ造形にもちこもうとした。蜜蝋をいじくりながら、アール・ヌーヴォーに代表されるツル状の造形やそのからみつく様は蜜蝋が可能にしていると同時に、呼び寄せたものではないかという素朴な問いも発見された。
モデルを忠実に再現するにはいまだ鋳型の修練が必要で失敗している。鋳型の素材の選択も多岐にわたり、表面コンマ数ミリにあらわれる質の決定に寄与する。ネガとポジ合わせて考えていきたい。
なぜいま鋳造からやるか?
当然この時代になぜ一から鋳造をおこなっているのかという問いは考えなければならない。それは技術的に根本から捉えることで、その周辺に眠る造形を手にしたいという純粋な気持ちがひとつ。一方で、これは金属造形にまつわる、社会や環境、エネルギー循環のダイナミズムとの関係の再考であるという側面は無視できない。
今、巷に広がる工業製品を手にすれば要求される機能・造形はあらかた叶ってしまうかもしれない。それでもわざわざこんなことをしているのは、そこに確かにあるにも関わらず、ますます由縁知らずになっていく「生活」にまつわる倫理観を物に対して回復することを望んでいるからではないか。そして、それを踏まえた造形をみせる美的な世界を再構築したいと願ってやまないからかもしれない。
コークスが切れた時に、投げ込んだ赤松から吹き出た炎は本当に激しくも美しかった。それでも銅は溶けなかった。金属はそれほどの世界であった。