ノリが合わない人への対処法

ノリが合わないからこそ「共感できる」こと。

森哲平
テッペイの森
6 min readJan 17, 2018

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Illustrated by Soyo Shikishima

ぼくは私設の図書館を運営していたり、ギークハウスに関わっていたりする。そのため、まったく知らない人が、図書館なり、ギークハウスなりを訪ねてきて、話をされることが多い。

それ自体は別にどうということではないのだけど、それはもう、いろんな人が来るので、中には結構な確率で「あ、この人、ノリが合わないな」って人と遭遇する。

先日もギークハウスに「見学に来たい」ということで、昨年大学を卒業したという方が来た。なんでも出身は東北のほうで、今は実家を離れ、住まいもないので、大学の後輩の家を泊まり歩いているという。

まあ、それはよいのだが、話をしていても、まったくノリが合わない。

ギークハウスに入るなり「いやあ、自分は徳島とはバイブスが合うというか、大好きでして、徳島」と来た。ギーズミの住人は全員、徳島が大嫌いである。

嫌いな理由は特にどーでもいいので、ここでは話をおく。それに終局、徳島が嫌いでも好きでもどうでもいい。それは人それぞれの価値観なので。けれども「価値観が違う」ということは知っておいてほしいというか、理解しておいてほしいので、そんなとき、ぼくはハッキリと「あ、いや、徳島嫌いなので」と言うようにしてる。

それに「バイブス」ってなんだ。後で聞いたところ、何でも彼は、ヒップホップが大好きらしく、バイブス、サイファ、ビーフ、レペゼンみたいな言葉がピョンピョンとその口から出てくる。

ぼくはヒップホップをほとんど聴かない。日本の女性ラッパーは好きなので、あっこゴリラとか、ちゃんみなとかは聴くんだけど、逆に彼はそういうものは聴いてないらしい。まあ、何を聴いていてもこれまたどーでもいいのだが、平気で「バイブス」なんて使う人と、自分はバイブス、つまりはグルーヴ、一般的な言葉で言えばノリが合わないのである。

これまたハッキリと「自分はほとんどヒップホップは聴かない」「ラッパーの頭の悪いノリや言葉使いが超苦手」と伝えることにしてるし、実際そう伝えた。別に相手が嫌いだからではなく、ギークハウスを見学、つまりはこれから一緒に住むかもしれない人に、別に何の利害もないのに、表面的に「価値観が同じフリ」をしても疲れるだけだし、そんなことにまったく意味なんかないからだ。

ところが、ノリが合わない人というのは、そんな時、「いやー、ノリめっちゃ合いますね」とゴリ押ししてくるのである。これが非常に困る。

ノリが合わない人はなぜかノリが合わないことを認めない

ノリが合わないというのは、悲しいことだけど、仕方のない事実である。

ぼくはノリが合わない人とは無理して付き合う必要はないと思っている。人生は短い。必要もないのにノリの合わない人と時間を使っても、お互いに損にしかならないからだ。

別に相手を殲滅したいとか、そういうことではなく、相手も自分も大事だからこそ、「合わないよね」とシグナルを送るようにしている。

ところが、ノリが合わない人というのは、さすがにノリが合わないだけあって、根本からズレており、すなわち、こちらがノリが合わないとビンビン伝えているにも関わらず「いやー、ほんとぼくら気が合いますね」とゴリゴリ近づいてくるのである。

ノリが合わないもんは合わないんだから、そこで無理する必要なくない?なんて自分は思ってしまうのだ。困ったひとたちだ。

ノリなんて合わなくていい。大事なのは共感。

ノリが合わない人が間違っているのは、ノリが合わないのに、それでも「合いますよね」と無理に演技を続けるからだ。

無理に「ノリが合ってるね」と同意を迫るのではなく、むしろ「ノリが合わない」こと自体をお互いの共通了解事項として明示し、そのポイントで共感を捕まえる戦略をとるべきなのだ。

「ノリ合わないっすね」
「そうですね(笑)」

自分の心に素直になれば、場や会話のチグハグに気づけば、相手から出ているシグナルをきちんと受け止めれば、上記のような会話が可能だ。そして、ノリが合わないけれど、ノリが合わないという一点において、相手との間に共感を得ることができるのである。

大事なのはノリが合うことではない。ノリは必ずしも同じとは限らないからだ。気まずさを糊塗することでもない。糊塗したところで気まずいもんは気まずいんだから。そうではなくて「気まずいね」「おもしろくないね」「楽しくないね」って点に共感すべきなんじゃないかなあ。

その後、メッセンジャーを見たら、彼から「今日はめっちゃ楽しかったです!」「また、遊びにいきます!」とメッセージが来ていた。「いやいや、全然」「いや、無理に来なくていいよ」と返信しておいた。彼とはノリが合わないだけでなく、共感づくりにすら失敗してしまった。

場違いな場に来てしまったときの対処法

逆に考えてみよう。自分が場の「ノリに合わない」ケースだ。

自分は場違いな場に来てしまったとき、「場違いなとこに来ちゃった」とこれまたハッキリ言うことにしてる。

たとえば、平日おしゃれなカフェで開催されている金継ぎワークショップに参加したとしよう。

自分以外の参加者は全員女性。それも「日々の暮らしをていねいに。」とか、なんかそんな文句が好きそうな、しゃれた女子ばかりである。ヒゲの生えたアラフォーのおっさんなんて自分しかいない。彼女らと自分との間に共通点は少なそうだし、ただでさえ「あまりイケてないおっさん」っていう一点だけで、他の参加者からは不信感しかないだろう。自分が相手の立場だったら「はよ帰れ」と思うんじゃないか。そう想像する。

こんなとき、自分は必ず、「場違いですみません」と伝えることにしてる。これは相手と自分の違いをハッキリと言えば言うほどよい。

「自分、めっちゃ場違いなんすけど」
「いや、皆さんが感じてる違和感、わかります」
「つーか、自分が皆さんなら、違和感ありまくりです」

そこをハッキリ伝えた上で「でも、せっかくだから、この場をめいっぱい楽しんで帰りたいと思います」と言う。(「楽しみたいアピール」は重要だ。でないと、いじけてるとか、ヒネくれてると思われてしまう)

すると、皆、笑ってくれる。相互の違和感をきちんと言語化するだけで「この人は場違いだけど、場違いだってことを認識できる客観性や知性はある」「話が通じる」「自分と同じ気まずさを感じる仲間」扱いしてくれる。

あなたはあなた。わたしはわたし。違いに価値観もライフスタイルもノリも何もかも違う。一致点がない、圧倒的に少ないことだってたくさんある。それでも私たちは「その場をともに」しなければならないことがある。その気まずさ。居心地の悪さ。いわばピンチを、あなたのたった一言で共感に変えることもできるのだ。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。