「子どもがYouTubeを見すぎてる」ときの対処法

森哲平
テッペイの森
Published in
5 min readJan 25, 2018

Twitterにも書いたんだけど、こちらでも。このブログ、気持ちはわかるんだけど、いろいろ言いたいことがあるんだよな。まず子どもにYouTubeの視聴時間制限をしてる大人全員に言いたんだけど、「お前はスマホの自分の閲覧時間に制限設けてるのか?」と。

よくあるのは子どもがYouTubeばかりしてる、ゲームばかりしてるのを見て「1日1時間まで!」とか「宿題やってから!」とか言う親。それはいいんだけど、自分はスマホでSNSをずっとチェックしてたりするのな。

かくいうぼくも5歳の娘に「ちょっとYouTube見過ぎじゃないか」と言ったところ「パパだってスマホほじくってる」と言われ、グウの音も出なかった。確かに!

あと、YouTubeをやめさせる本当に簡単な方法があって。なぜこれをどこの親もしないのか理解に苦しむんだけど、

子どもと遊んであげる

これだけでYouTubeなんか絶対見なくなるんですよ。自分が遊ぶほうが人が遊んでるの見るよりよっぽど楽しいので。

実は今週、娘がインフルエンザにかかってしまって。外出もできないから、ずっとYouTube見せてるんだけど、もう止めないかぎり、さすがにこんなぼくでも心配になるくらい、猿のように見てる。「ちょっと休みなよ」とか「少し離れてみたら?」とか「ごはんいる?」と話しかけても反応なし。

でも、「その動画のゲーム、iPadにダウンロードしてパパと対戦しようよ」って言うと「する!」と言って、一瞬で自分でテレビ消して「iPadどこ?」と寄ってきた(笑)。そういうもんです。

そもそもなんでYouTube見せてるかっていうと、自分の仕事なり用事なり、ブログ書くなり、そういうことがしたいから、子どもが邪魔だから、一人で遊んでてほしいからだからね。

今日娘が見ていたYouTubeは「姫ちゃんとおうくん」シリーズ。パパと一緒に「夢の」光るコーラ風呂に入ってた。

これを見ながら娘、「パパ、自分もこれやりたい」。ここで大人はすぐ「えー、家じゃできないよ」などと言っちゃうんだけど、「やろうやろう!」と乗ってあげれば、そこから子どもは様々なことを学ぶし、親子の仲だって絶対よくなる。そもそも、家族ユーチューバーが動画の中で演じてるのは「単なるフツーの仲良し家族」なのだから。

もちろん、コーラを山ほど買ってきて、それを家のお風呂に並べるのは大変だ。そんな時間ないかもしれないし、後片付けだってしたくない。けれどもだからといって、子どもの「やりたい」という純粋な好奇心を否定するのは野暮ってものだろう。

実際にはできなくても「パパもやってみたい」と同意するだけなら簡単だ。子どもは結構想像の中で遊ぶので、コーラ風呂が実現不可能でも「パパだったら、コーラの代わりにサイダー入れるなー」などと話を展開してあげれば、「パパ、(娘)はピカピカするやつもいれたい!」「どこで売ってるかなー」「お祭りで見たよ」などと親子の自然な会話につながる。素晴らしいことじゃないですか。そうこうしているうちに、子どもは想像でも肯定されると満足しちゃったりするものだ。

「できない」と否定すると、子どもは「やりたい」という自分の気持ちまで否定されたように感じてしまう。ノーではなくイエス。肯定系で応える。「でき【ない】」じゃなくて「パパもやり【たい】」とイエスで答えてあげよう。それだけで子どもは楽しいんじゃないかな。

多くのYouTube動画が「虚無」だというこのブログの意見にも納得できないなあ。テレビのほうがよっぽどしょうもない。他人を傷つけたり、バカにしたり、無理におもしろくするために強弱をつけすぎてるのは、どちらかといえばテレビだ。差別的な言辞や人権観もひどい。

たとえばヒカキンの動画を見ているとよくわかるが、彼は危険なことや、親から後ろ指さされるようなことを極力排除しようとしているのがわかる。自分がユーチューバーの代表だから、その態度を親も見てる。ユーチューバー全体が悪く見られないように、非常に気を使って番組を作っているのだ。

人気のあるユーチューバーはたいてい編集技術も非常に高い。「虚無的だ」「つまらない」「意味がない」というけれど、それは彼らユーチューバーのターゲットが子どもだからだ。子どもはおもしろがっている。子どもにはウケてる。単に自分がオッサン、オバハンで、ターゲットから外れてるからそう感じるというだけに過ぎない。むしろ編集センス一本で、ダラダラした垂れ流しに強弱をつけているのがYouTubeだとも言える。

もちろん親世代からしたら「これはさすがにダメだろう」「無意味すぎる」「下品だ」と感じる動画もないわけじゃない。けれども、最初から子どもの世界を否定するのではなく、一緒に閲覧し、どこがおもしろいかを子どもに教えてもらおう。子どもが熱心に見るYouTubeは、子どもの世界観を理解する、子どもとコミュニケーションを取るためのヒントどっさりの宝箱だ。

子どもに対して必要な処置は、YouTubeの視聴制限ではない。そうではなくて、YouTubeを鍵にして、いかに現実とリンクさせるか。その一点なんじゃないか。YouTubeを見てネタを探す。それを現実でもやってみる。やってみてわからないことや、さらに興味持ったことがあれば、それをYouTubeで探す。YouTubeと外の世界をいったりきたりさせれば、これほど学習効果の高い「教材」もないと自分は思う。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。