居心地のよさ。結局"場"がすべて

喫煙ポリシーから見る"場"の哲学

とよとみ珈琲。店内での子ども食堂ミーティングの様子。

先日、久しぶりにとよとみ珈琲さんへ行きました。第1回の子ども食堂をさせていただいた場所です。徳島市内末広という場所にあります。

ここ、珈琲がおいしいのは当然ながら、「場」としての自然な心地よさがいつも最高で。混雑してるのについつい長居してしまうんですね。

で、そこで毎度毎度驚くのですが、とよとみ珈琲、禁煙じゃあないんですよ。カウンターで自然にタバコ吸ってる人がいる。昔ながらの煤けた喫茶店ならわかりますよ? でも、男だけのパンイチヨガ(その名の通り、男だけで集まってパンツ一丁で本格的なヨガをする)とかやって、完全ベジのカレーを楽しむようなお店で、タバコ吸ってるお客さんいても気にならない。店を出るときにチラとカウンター席を見て「そういえばこの店喫煙している人おるぞ」って気づくレベル。煙の匂いに店を出るそのときまで気づかないんです。「分煙しましょう」という、うるさい注意書きや貼り紙、一切なしです。うるさいこと言わないのに秩序が保たれてる、全方位が自然にすっとおさまってる空間って、驚異ですよ。

場所が広く天井が高い(ゆえに煙が気になりにくい)って点はあるとしても、どうやったらそういう「場づくり」ができるのかと。自分もみんなが集まる場所、心地よく不思議な場所を作りたくて私設の図書館を運営していたり、子ども食堂を開催したり。悩んだり苦労したりしているので、とよとみ珈琲の「あり方」は最高の「教科書」です。

子ども食堂について「子ども食堂って名称が今は貧困連想させてよくないんじゃないか」とか、メンバーともいろいろ話し合ったんですよ。でも、ぼくの中ではもう結論出ました。名称の問題じゃないです。仮にとよとみ珈琲さんで「子ども食堂」開こうが、あるいはそれ以上、「貧乏人食堂」「死を待つ人の家」等(あくまで例です)と名乗ったイベントやっても、人が来そうです。「とよとみさんとこでやってることやけん」とか「え?トースト食べられるん? ほな、いこだ」で終了。「いいもの」って「悪いもの」足しても「いい」んですよ。もちろん、実際には悪いものを足さないから、すごくいいんです。

逆に、悪いものには、いくら「よさそうなもの」を足しても悪いんですよね。「子ども食堂というのが貧困を連想させるので『みんな食堂』と名称を変えました」。無駄、というか枝葉の末の話ですね。そういうのは単なる小手先というか。出てくる料理。スタッフの振る舞い。何かあったときの店長の対応。そのすべてから、子どもだろうが、大人だろうが、一瞬でメッセージを読み取っちゃう。喫煙についても、両方からクレーム入れられてる喫茶店だってあると思いますよ。喫煙者からは「喫茶店なんだからタバコくらい吸わせろ」、非喫煙者からは「カフェなのに煙いの何とかして」って。要するに、ベースとなる場への信頼というか、場が体現してる哲学というか、とにかく場がすべてなんですよ。

とよとみ珈琲さんのような場のよさって、雑誌でいうと「Spectator」的なんですよね。発酵、DIYカルチャー、ホールアースカタログ、ポートランドといった特集が毎回センスよく並んでる。で、パタゴニアの広告の次に「タバコは農業だ!」ってアメスピの広告がくる感じ(はい、そこで腑に落ちたあなた、友達になりましょう(笑))。タバコを「産業社会」の生産物ではなく「農業」として捉え直すあれですね。話さらにズレますが、意識高い系の喫煙者、みんなアメスピ吸ってますよね。あれ、イラっとするけど(笑)。

対して、ダメなお店、場所って雑誌で言ったら『ソトコト』的になっていく。地元の価値やローカルの見直しをテーマに掲げてるのに、気づくとダメダメ保守に絡め取られてるあの感じね。ミーシャがLGBTの人たちと対談し、セクシャルマイノリティの権利について「知ってほしい」とか言いながら、竹田恒泰(明治天皇の玄孫)が田植えしてる記事も掲載してしまう。竹田恒泰が外国人や他民族に対してどういう発言をしてきているか、知らないわけでもないでしょう。政治的に何も考えてないわけですよ。


喫煙ポリシーから見る場の哲学

「場」のポリシーを見る上で、ぼくはいつも喫煙に対する対応を必ずチェックしてます。というのも、これほど立場によって、利害、要求が相互に完全に背反するにもかかわらず、その利害対立が日常的に起こる問題ってそうないですからね。非常にわかりやすいんです。

一番簡単なのは完全禁煙です。まあ、妥当ですよね。良識的、とすら言える。

次に穏当なのは、屋外、目立たないところ、でも、感じの悪くないところに喫煙席や喫煙所を設けるパターン。これもわかりやすいですね。以前、ぼくがよく行っていた調布のお蕎麦屋さんは、トイレで喫煙可でした。喫煙できるトイレとできないトイレの2つあった(笑)。「蕎麦の香りがあ」とかうるさいこと言うやつって、タバコの煙と同じくらい害ですからね。すごく感じよいお店でした。

だけど、中にはツワモノというか、チャレンジャーがいて、意識的に喫煙可にしたり、うるさいこと言わずに互いが心地よく共生できる仕組みを作り上げている(「強制なき共生」)店もあります。とよとみ珈琲さんはまさにこれですよね。

あと、有名なお店ですが、新宿ベルク。あえて喫煙OK。

行ったことないんですけど、狭い店ですから、結構店内モクモクなんじゃないかな。それでも「愛される」。文句言われない空気をつくる。雑多感、整理されてない感じ、自由な感じにするために、ルールで縛らず「人間同士でしょ。お互い気を使ってよ」ってする。こういうの、フィロソフィーないとできないですよね。

なんでも最初から禁止したり、うるさいことを言う態度は、意見や利害が対立する人たちの間でコミュニケーションをとる、格好のチャンスをあらかじめ奪ってしまっている、とも言えます。また、煙草くらいは禁止したらいい、と思うかもしれませんが、「無駄」や「有害」を削ってくと、いつのまにか自由までこの世から消えている。無駄と自由のミゾは思っているほど広くはないんですよね。

井野さんご自身が喫煙者、ということもあるだろうし、分煙が徹底していないから入れないというお客さんもいるでしょう。でも、「吸ってもいいですか」「困ります」のやり取りそのものが発生する機会から、根こそぎどこまでも取り除いていこうという態度には、ぼくは不安を覚えます。自由であることに徹底してこだわる。ベルクらしいポリシーだと、もう哲学がにじみ出てきているんですよね。

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