聞こえない人とコミュニケーションするときに気をつけるべきこと。

森哲平
テッペイの森
Published in
5 min readJan 19, 2018
Illustrated by Soyo Shikishima

ぼくが関わってるギークハウス藍住(通称ギーズミ)に1ヶ月ほど前から「放浪聴覚障害者」流さんが住んでる。流さんは春までいるらしい。

結構旅疲れしてて(笑)。やっぱり「耳が聞こえない」ってことでいろんなストレスがあるみたい。どんなストレスがあるかについては、流さんの以下のブログを参照。

で、それについてぼくが流さんのブログに書いた記事がこちら。

基本、コミュニケーションは文字チャットでのやりとりになるんだけど、そこでも結構難しいことがある、という話でした。

で、昨日も新しいギーズミ住人が入ってきたので、その歓迎会をやってて、いつものように文字チャットも使いつつ、会話をしていたのだけど、そのときにいろいろ気づいたことがあるので、「耳が聞こえない人と文字チャットでコミュニケーションする」際の注意事項というか、こうしたら皆が楽しめるんじゃないかという工夫を書いておく。

必ず専属通訳者を最低一人は決める

みな会話や作業、メシ食うのに夢中になると、文字チャットがどんどんできなくなる。そうすると聞こえない人だけ置いてけぼりになってしまう。だから、専属の通訳者を最低一人以上決めておく。こうすれば、基本全員ハッピーだ。

昨日はぼくが主に料理をしたり、お酒飲んで喋っていたので、なかなか文字チャットができず。そこでギーズミ管理人のトミーさんや、遊びにきてた大下くんが、都度都度会話を文字に「通訳」してくれていた。

通訳のセンスが人によって違うのがおもしろい。たまたま不倫の話になって、ぼくが「不倫はダメだ」という話をしたら、それを聞いたトミーさんがチャットで「森さんの不倫の話です」と通訳した(笑)。当然流さんは「今、そんな話をここでするんかいw」とリアクション。言葉って難しいね。

聴覚障害者がメッセージを投稿した場合、通訳者がそれを読み上げる

音声会話を文字化すれば、だいたいの話の流は、聴覚障害者にも伝わってるけど、逆に聴覚障害者が「話し」たときに、皆が音声会話に夢中になってると、それに気づかない、「聞こえない」ときがある。

だから、聴覚障害者が何か「言った」とき、通訳者はそれを音声に「通訳」するとよい。

単に「皆の会話が(なんとなく)わかる」だけでは、「会話に混じってる」「入れてる」実感は乏しいだろう。自分の発言で場が動いてはじめて「(双方向の)会話ができた」ことになるんじゃないだろうか。

完全に文字チャットだけにして、音声での会話不可というのも試みてみたけど、慣れていないし、負担も大きく、実際的にはやはり難しい。そうすると音声とチャットと、2つのコミュニケーションスタイルが並行することになるわけだけど、そのとき、音から文字、文字から音、通訳者両方向に通訳するとよいんじゃないか。

聴覚障害者の名前が出た場合には必ず文字化する

自分の話がされているのに、そのことが自分にわからないのはストレスだろう。聞こえないのをいいことに、悪口や陰口を面前で言われるのは聴覚障害者にとってたまったものではない。

そこで、聴覚障害者が話題に上ったら、言及されたら、それは必ず「通訳」するというルールにしてみた。今回の場合「流さん」と誰かが言ったら、これは必ず通訳する。これまた慣れないうちは100%の実行は難しいかもしれないが、コミュニケーションにとってフェアであることは非常に重要だと思うので、このルールはあったほうがいいと個人的には思う。

聴覚障害者も積極的に会話に混じる

諦めたくなる、めんどくさくもなるだろうが、せっかく「通訳」するので、聴覚障害者にも遠慮なく、会話に入ってきてほしいというか。「通訳」だけで意味がわからないところは、具体的に訪ねたり、「自分はこう思う」とか「こうだったよ」と経験を語るとか。もちろん「通訳」がある程度なされていることが前提だけど、ガンガンコミュニケーションに入ってきてもらいたい。でないと、聴覚障害者は他人の話を「聞く」ばかりになってしまう。

相互のやりとりがあったほうが、通訳も、目的がはっきりしているのでしやすいのだ。

現場にいるだけでは会話に入れないのは健聴者も障害者も同じ。「聞こえてくるけど会話に参加していない」状態よりも、興味がある話題には積極的に飛びついてきてもらったほうが、コミュニケーションはかりやすい。もちろん、これは相当程度、健聴者側の誠意、工夫、対応があった上での話。

流さんはギーズミに春まではいる予定らしい。まだまだしばらくは話をする機会もあると思うので、また気づいたことがあったら、こちらに追記しておくね。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。