誤配と配信。ブロガーはとっとと城から出て風の巷で遊んでみてはいかがでしょう?

森哲平
テッペイの森
Published in
7 min readJan 18, 2018

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ホリさんのこの記事を読んだけど、自分は状況の捉え方がまったく違っていたので驚いた。単に言葉の使い方の問題かもしれないけど、むしろそれまで島以下の「孤島」だったブログを、SNSが「ここだけ見ればあとは見なくていいですよ」というそこそこ大きな島までまとめてくれているのが現状。というのがぼくの認識。

創作、配信、発見、消費という4段階が、昔はバラバラだったのに、今はFacebookだったらFacebook、TwitterならTwitter内で「囲いこまれてる」というのは確かに【ある意味】そうなんだけど、でも、じゃあ、それまでのブログ時代はどうだったかというと、これも結局、他の人のブログのリンクから飛んできたり(トラックバックな)、検索エンジン、つってもそれは基本Googleで、一通りなんだから、見つけてもらい方も決まってて、しかもRSSで流れてくるのを読んでたわけですよね。それって、Twitterで流れてくるタイムラインを「なんとなく」読むのとそんな変わらないよなって。

要は、昔のほうが圧倒的に不自由だったし、舞台もなかったのが、今はどんなコンテンツでも「置き場所」が見つかる、すっごいよい時代になったなーと。(ホリさんの認識もそんな感じで、これからがワクワク時代ってことですが)

ぼくはホリさんがこの投稿で言及している、昨今の構造変化の認識よりも、単純に「おもしろいコンテンツが増えた」「プラットフォームがおもしろいコンテンツをつくれる人をプラットフォームごとにたくさん発見してしまった」というのが、一番大きな変化なんじゃないかと思った。

要は構造変化というより(まあそれはあるんだけど)量的変化というか。

ブログしかなかったら、おもしろいコンテンツが少ないので、それを見るしかないわけだけど、今やそんじょそこらのブログより、おもしろいコンテンツはあっちこっちのSNSに落ちてて。時間の奪い合いになってる。だから、戦略というよりも、ますます「自分が書きたいことを書く」しかないんだろうな、一言で言うと「他がなかったから、単に今までがブロガーバブルだっただけでしょ」くらいの認識をしてる。

ブログが見つけた「言葉」もあるけど。でも、Twitter見てごらんよ。Twitterが見つけた「言葉」って、ブログが見つけた言葉の比にならないと思うんだよね。それはもうたくさんの「言葉」を見つけた。拾った。そっからコンテンツになったものも無数にある。

この「Creation と Distribution と Discovery の融合」というのは、FacebookならばFacebookは自分のサイトで体験が完結するように開発をおこなうし、ツイッターはツイッター内にユーザーがとどまるようにあらゆる施策をおこなうために、ネット全体のユーザーのアテンションも、発見も、すべてが分散化してしまっていることを指します。

さっきも言った通り、この指摘は「ある意味」では当たってるんだけど、逆にも言えて。つまり、様々なSNSがあることで、これらの4つのフェーズをバラバラに担わせることがむしろできるようになってきてますよねと。

たとえばぼくの場合、Twitterがフォロワー数多くて9000人くらい。Mediumはフォロワー数500だけど、生きてるユーザーほとんどいない。となると、Medium内に流しても誰も読まない。けれども、Twitterに流すと、テーマによってはめっちゃ読まれるんですよ。要するにこれってディストリビューションとかディスカバリーの部分はTwitter、クリエーションの部分はMediumっていう「戦略」ですよね。

で、このほうがよっぽど自由だし、すごくいい感じだなって思ってて。というのも、配信と誤配のバランスがいいんですよ。

特定のSNSの中だけで配信してると、そのフォロワーと形成する空気というか、場みたいなもんがあって、そこで肯定されるコンテンツをこちらも期待されてると感じてしまうというか。要するに「いつもの人にいつものものが届く」になりがち。ところが、SNSをクロスさせると、「間違って」届くでしょう。誤配っていうか。そのほうが風通しいいと思うんですよね。

Facebook自体も、よく「Facebookは囲いこみだー」って批判されるけど、でも、実際Facebookで流れてくる記事見たら、他のウェブメディアからのリンクやその紹介記事も多くて。個人的にもおもしろそうなウェブメディアやブログはFacebookという「義理人情の世界」(趣味が合うとかではない世界)から「間違えて」流入してきたものだったりする。

「書き手」が増えたんです。「読み手」の時間は有限で、変化はないのに。そこがブログ大全盛期と違う最も大きな点だと思う。

そんで、そういうときに、じゃあ、どうしたらいいのかってことなんですけど、それこそぼくは、あ、まあ、うわっついてたり、稼いでいきたい人? そんなのは別ですよ。そういう人は読んで「消費」される記事書いて、それで終わりでいいと思うんだけど、そうじゃないなら、もうやっぱり好きなことを、とことんニッチに書いていけばいいだけなんじゃないか、って思うわけですよ。

特に最近思うけど「おもしろい」のに発見されない、ってことがもうだいぶ減ってる気がするんですよね。

「おもしろい」って主観だから、まあ、ほんと勝手な印象にしかすぎないんですけど、でも、「あ、この人おもしろいな」「でも、人に知られてないんだ」って思ったら一瞬でフォロワーが1万とか。「おもしろいのに見つけてもらえない」がありえなくなってきているというか、

これ、才能ない人には厳しい時代で。

これまでは「才能あるけど、おもしろいけど、オレはマニアックだから誰も見つけてくれないんだ」が言えたんだけど、もうそれが成り立たなくなってきてる。「それって単におもしろくないだけでは」「その程度のもんでは」ってことになっちゃってますよね。

でも、ぼくはやっぱり、まあ、これ言っちゃうと、ホリさんもおっしゃるように「話はそれで終わってしまう」なんだけど、好きなように、好きなところに書いたらいいだけなんじゃないかなー、いや、ちゃんと言い直そう。これからは、

ますます、好きなことを、好きなように、好きな場所にもっともっと書いていく

べきなんじゃないかと思う。

ブロガーのブログって戸建住宅、ブロガーにとっての城じゃないですか。以前はたくさんの人が遊びに来てたんですよ。で、住み心地もよくて。みんなが城を褒めてた。で、別に城の魅力が減ったわけじゃないんだけど、まちで毎日、結構いろんなお祭りやってて、そこにはおもしろい人もたくさん来てて。だから、ブロガー城に行く時間が総合的に減ってると。そういうことなんじゃないか。

だったら、ブロガー城主も、まちに、巷(ちまた)に出てきゃいいんです。出てって巷の人と話をして。楽しんじゃえばいい。楽しんでんのかもしれないけど、でも、ブロガーの人って、ブログってメディアにめっちゃ愛情あるんですよ。それとマネタイズね。Twitterはいいけど、マネタイズできないから。その2点が気にならない人からしたら、今の世の中はとても素晴らしい、しかない。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。