かまってほしいけど、おせっかいはイヤという人

つきあわないに限る

森哲平
テッペイの森
3 min readMar 2, 2018

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いろいろかまってほしいらしく、そういうシグナルをどんどん送ってくるけれど、実際にかまうと「おせっかいです」「ぼくにかまわないでください」「ほっといてもらえますか」「一人でやってきます」という人。

一言。めんどくさい。

そもそも「かまってほしい」けど「おせっかいはイヤ」というオーラ自体が、2つの解釈を許す。

つまりストレートに「本当にかまってほしくない」「一人にしといて」って意味にも取れるし、「こっち来るな」というシグナルを無視してでも、こっちに来てほしい、「かまってほしいからかまうんじゃなくて、本心から、ぼくのこと好きだからかまってほしい。つまり、突き放すけどそれでもよってきてほしい」という意味にも取れる。

前者の解釈と後者の解釈は矛盾する。

前者の解釈でほっておくと「ほら見ろ、やっぱり誰もが俺をめんどくさいと思ってるんだろう」、後者の解釈で近づくと「おせっかいやめなさい、近寄ってくるんじゃない」とされる。このリアクションは常に後出しジャンケンでなされるため、絶対に正解することがない。

いわゆるダブルバインド状態だ。

なぜダブルバインド状態にしたいのか。それは「それでもかまってほしいから」「そういう形式でかまってほしいから」だ。自分が常に後出しジャンケンなのだから、相手に正解を出すことは絶対にできない。そういう自分優位、「いつでも相手を切れる」状態でじゃないと、他人と付き合えない。要するに他人が怖いのだろう。おそらく他人との距離感が根本的にわからないので苦労してるんだと思う。

結論から言うと、こういう人とは付き合わないに限る。こういう人は、たいていの場合、このダブルマインドというよくわからない問題以外に、「謎」はないし、おもしろいコンテンツも特に持ってないからだ。

おもしろいコンテンツが特にない。だから、そのままだと誰もかまってくれない。かまってくれないからかまってほしい。でも、自分がおもしろくない、自信がないから、仮にかまって相手にしても「俺がかまってほしいと言ってるから、かまってくれてるのでは?」という疑念が本人は常にぬぐえず、だからある種の試し行為で「かまうな」と言っている......のだけれど、かまってほしいから、常に「かまってオーラ」を出し続けてる状態だ。

さみしいからかまってほしい!というストレートで素直な人は、心からかまってあげたい。大事でしょ、そういうのって、お互いに。

ただ、ダブルバインドしてくる人は、めんどくささが群を抜いてるので、かまってあげても、かまってあげなくても、それ自体がダブルバインドをする動機を強化してしまう。かまうだけ本人のためにもならないし、満たされないんだよね。

あるいは中途半端はよくない。つまり「究極のおせっかいをする」という手もある。「お前がやってるのはこういうダブルバインドで、つまりそれはこうだからで」と、上に書いたような構造をすべて明らかに指摘するという方法だ。

ただ、これをしても一瞬は「なるほど......」と受け入れてくれるが、それで簡単に根性が変わるほど簡単だったら誰も苦労しないので、所詮その手の変化は一瞬。また、同じようなことをしてしまうし、下手するとキレたりもする。

何よりも人生は短い。

こんなのに脳のCPUを割く意味がまったくない。というわけで、適当にうっちゃるのが正解です。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。