「オープンソース」を脅迫に使う人たち

森哲平
テッペイの森
Published in
4 min readJan 27, 2017

オープンソース文化がいいことのように言われてますけど、そういう文化に当てられてか、気軽に他の人のビジネスや活動を「見学」させてもらったり、「マネ」させてもらうことが「当たり前」みたいなのって、違うと思いますよ。

というか「オープンソース」「オープンソース」「情報共有」「情報共有」言う人に限って、「パクられた」「アイデア取られた」って言うんですよ…..。要は自分が取りたいときは「今時オープンソース。ケチケチせず、互いに情報共有しましょうよ」。自分が取られる側になると「タダでノウハウが得られると思うなよ」「またパクられた」って言うんです。そして、その線引きが、もう、完全な「自分都合」。

先日、冗談で「無料で相談されて困ってるという相談なら、無料で受けたことがある」と言いましたが(別に怒ってないです。笑い話です)、まさにあんな感じで、自分の都合で「オープンソースでしょ?」と「パクるな!」を使い分ける。

確かに互いに情報を共有することで、どちらも「よりよい」ものを作れるようになれば、人類全体、社会全体で、提供できるサービスのレベルが向上しますから、幸福は増大しているように思えます。もちろん、共有できる情報は共有したほうがいいでしょう。すなわち、よく言われますが、Win-Winになるのであれば、情報共有、オープンソースは当然ありなんですよ。

ところが、これから自分が完全にカニバる(競合する)商売、ビジネスターゲットになる事業の話だったり、別に相手に得などない、それどころか大損になる可能性だけがある状態で、「教えてだ」「見せてだ」「ケチケチせんと」って言いにいける神経がまったく理解できない……。

その場でちょっとだけでも得できるだけ得できれば、それで満足ですか? ぼくなら、誠実さや、その人との単なる損得を超えた、友情、交流に対する配慮も当然、非常に大切なものだと考えますすが。他人を手段としてだけ扱う感覚(本人は気づいてない)って、世界を、自分を貧しくする気がしていて苦手です。

「フリー」にも作法があるし、Win-Winにも作法があるんですよね。別に「タダですんません」「申し訳ありません」なんてのは要らないんだけど、「なに?これ、ただなん? ほな、(ガサッ!ガサガサ!!)もろてくな!」ってのはNGなんですよ。

というのも「フリー」「タダ」は、フリーライダー(タダ乗り)がいるとシステムとして、崩壊していきます。皆の共有地。自分が手入れしなくても、自分も使える。じゃあ、手入れしない。で、皆も同じこと考えるから、誰も手入れしなくなって、崩壊。だからこそ「フリーライダーのにおい」に敏感にならざるをえないのが、「フリー」とか「オープンソース」って生態系なんですよ。

ところが、そこで雑な対応する人がいると、その人に対して、広い意味での互酬性を期待できない。別に自分に返ってこなくてもいい、公、パブリックに対して何かを返してくれればいいんだけど、パブリックがない人間って、自分しかないので、そこでのリターンがまったく期待できない、っていう。これをそのまま許してると「共有地」「フリー」って生態系自体が破壊されるので、どうしても排除するか、互酬性が身につくように誘導してかないといけないのですが、「誰でも受け入れるのが、素晴らしいこと」って、なんか勘違いされてるフシがある。

自分のために、自分が知りたいから、何でもタダで教えろ!ってのはオープンソースっていう発想の真逆だし、オープンソースを破壊するものなんですよね。「オープンソース」を理由にした「脅し」に対しては屈せず、真のオープンソースをきちんと守らなくちゃね、と思った次第。

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森哲平
テッペイの森

1979年兵庫県生まれ。2011年より徳島に移住。2015年から徳島市沖浜町にて私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している。