Mediumあったらwordpressいらなくね?とまで言うくらい、medium贔屓の森です。以下の記事参照。
なのだけど、mediumで気になっているのが、記事のストック性です。
情報にはフローとストックがあるといいます。ツイッターなんかは典型的な前者。つまり、投稿が、まあ、一応検索はできるし、ウェブ上に存在はしているのですが、でも、どんどんどんどん流れていっちゃうと。他方でブログなんかはストック性が高い、つまり、書いた記事がどんどんたまっていって、後から参照もしやすいってことですね。
これでいくと、mediumはストック性が微妙なんですよ。
まず、昔書いた記事が検索されて、読まれるかというと、あんまりそういうことは考えにくい。また、まだほんの少ししか記事を書いていませんが、もう既に過去の記事を発見しにくくなっています。この調子で記事を書いてったら、1年前、2年前の記事なんて、自分でもどうやって言及したらいいの?って感じです。
そう、mediumはいいんですけど、そのストック性が気になってた。mediumはmediumで書くとして、ちゃんと残しておきたい記事は、別にブログに書いていったほうがよくないか?とか、気にしていました。
でも、ここ数日で考えが変わりました。別にストック性高める必要ない。その分、パブリケーションをガンガン発行しまくったらいいじゃん、って気づいたんですよ。
記事を書くだけだったら、すぐに過去の記事が多くなって、参照しにくくなるし、誰からも読まれなくなる。けれども、パブリケーションに記事を入れておけば、パブリケーションのナビゲーション欄ありますよね。あそこで記事の内容をある程度分類できますから、相当な量を書かないと本当に発見が難しくなる、ってほどにはならないって気づいたんですよ。
それに、パブリケーションは遠慮なく何個も何個も作っちゃえばいいんだ、って思ったんですね。
というのも、mediumはwordpressなどの本格ブログと違って、デザイン等でいじれる部分が限られてる。つまり、そんなに凝らなくてもいいので、ブログのように「わしのすべてを注ぎこんぢゃる!」と意気込まなくても、ペッペと簡単に作れちゃうんですね。パブリケーションは量産できるんです。
そうすると、普通、ブログだったら、たとえば「森哲平のちょっと大好き(仮)」みたいなタイトルのブログを一つ立ち上げ、そこで家事に関する記事を書いたり、ライフハック系の記事を書いたりするわけじゃないですか。1つのブログに様々な話題が入ることになる。ブログ=1人格って感じで、その人格がいくつもの「趣味」や「関心」を持っている、って図式ですね。もちろん、個別に内容ごとに分けてブログを複数作ってもいいです。けど、工数が大変だし、やっぱり一般的に言われているのは、一人のブロガーでちゃんと管理できるブログは一個から2個だろう、みたいな感じですよね。
ところが、パブリケーションなら、デザイン簡単。管理も簡単だから、すぐ作れちゃうし、たくさん作れちゃう。だったら、興味関心ごとに細かくパブリケーション立ち上げちゃえばいいんですよ。たとえば「ゴルフ」「カメラ」「麻雀」「育児」「徳島」とか。「徳島」でも大きすぎるなら「阿波踊り」「徳島らーめん」「祖谷と景色」で3つパブリケーション立ち上げちゃえばいい。
つまり、ブログはライターが「主語」で、記事、関心の領域、ドメインが「述語」なんですが、mediumのパブリケーションになるとこれが入れ替わる。主語、関心の領域が「主語」になって、それを複数のライター=「述語」が書く感じに逆転してくと思うんです。
これはtumblrやPinterestといったSNSの出現傾向とまったく同じような傾向ですね。
たとえば「徳島」で一つパブリケーションを作っちゃう。その中にナビゲーションで「徳島について」「阿波踊り」「グルメレポート」「日々の記録」なんて作っていけば、まあ、後から記事もだいたい遡れるだろうなって。
というわけで、自分もパブリケーションをたくさん作っていこうと思います。徳島の食材でエスニックをつくる、徳島子ども食堂、今度市内ではじめるプログラミング教室、medium論/SNS論、「灯台もと(ほんとに)暮らし」(地方創生や地方生活の真実を語る)など。もちろん、パブリケーション=個人の持ち物ではないから、もし一緒に記事を書いてくれる人がいるなら、共同で編集したりしたいくらい。
これ、medium。ブログに見せかけて、実はブログと全然発想違うから、ブログと性能比較して、ブログの延長線上として使おうとすると、多分、状況を見誤ると思うな。
ブロガー時代の終了。んでもって、ブロガーはライターになって、ライターがウェブ上のたくさんのパブリケーション、そのあちこちに顔を出す、って形になると思います。