私的音楽体験史

じゃり
The Chewing Gum
Published in
12 min readJan 4, 2020

小学生のころ、日曜日はほとんど毎週家族で外出していた。行先はいつも琵琶湖畔の公園で、父と弟とキャッチボールをして遊んでそれを母は妹の葉っぱ遊びに付き合いながら眺めていた。絵に描いたような微笑ましい家族だったと思う。私が中学生になった頃からそうやって家族で遊びに行くことも減ってしまったが、今でも琵琶湖岸をドライブしているとあの頃を思い出してセンチメンタルになる。その行帰りの車内でかかっていたCDが、私にとって初めての「音楽を聴く」対象だった。何種類かあったが、今でもよく覚えているのは松任谷由実のアルバム”Neue Musik”のDisc1。もう何度聴いたかわからないくらい聴いたし、今でも松任谷由実の曲はよく聴く。当時のお気に入りは「埠頭を渡る風」という曲。「青いとばりが 道の果てに続いてる 悲しい夜は 私をとなりに乗せて」という歌詞が、日が暮れた後の琵琶湖からの帰路の情景に近しかったが、どうして「私をとなりに乗せて」ほしいのかについては小学生の私には分からなかった。今でも正直難しい。

小学校5年生になった頃、周りの友達が続々とウォークマンを買ってもらっていた。当時友達たちの間で流行っていたのはORANGE RANGEだった。修学旅行のテーマソングには「花」が男子生徒の圧倒的支持によって選ばれた。今、同年代の男性に小学校の頃聴いてた音楽を尋ねるとORANGE RANGEと返ってくることが多いから、おそらく私の周りだけでなくあの頃の日本中の小学校高学年男子の間で流行っていたんだろう。私もその波に乗っかるべく母にウォークマンをねだったが買ってもらえず、代わりに父が持っていたポータブルMDプレイヤーをもらった。そしてTSUTAYAでORANGE RANGEのアルバム”musiQ”をレンタルし、MDに録音した。中でもよく聴いていたのは「 *〜アスタリスク〜」「夢人」だった。早口に流れてくる歌詞を自分も歌えるようになりたいと思ったが、家では親に聞かれるのが恥ずかしくて、夜中に布団をかぶってこっそり練習した。

中学校の入学祝に親が発売されたばかりのiPod nanoを買ってくれた。早速iPodを使いたくて、とりあえず父の部屋にあったCDを一つ持ってきてiTunesに取り込んだ。ZARDの”BEST The Single Collection 〜軌跡〜”だった。「負けないで」や「揺れる想い」などZARDの代表曲が収録されたまさにベストアルバムといえる作品である。その時はとりあえず何か取り込んでみたかったというだけで、特にZARDに対して思い入れがあったわけではなく、ちゃんと聴いたわけではなかった。数日後にはTSUTAYAに行き、その時はまだ聴いていたORANGE RANGEの”musiQ”を再びレンタルしiTunesに取り込んだ。他にも当時流行っていたコブクロあたりをレンタルした気がする。

ZARDのボーカルの坂井泉水さんが亡くなられたのは中学2年の時だった。そのニュースを聞いて、そういえばiPodにZARDのアルバムが入ってた事を思い出し、改めて今度はちゃんと聴いてみた。歌詞に共感できる程ませた中学生ではなかったが、メロディと坂井泉水さんの声がすごくいいなと思った。なぜその時になって初めていいなと思ったのか、はっきりとした理由は分からない。ZARDの他の曲も聴きたくなったが、なんとなくこの人のアルバムは手元に持っていたいと思い、TSUTAYAには行かず近所のブックオフに行って置いてあった中古のZARDのアルバムの中で一番安いやつを買った、おそらく500円くらいだったと思う。その頃はひと月のお小遣いが1000円で、毎月NBA雑誌に750円を使っていた私にとってはまぁまぁな出費だった。その2枚目のZARDのアルバムが何だったのかは覚えていないが、それもすごくいい曲ばかりだと感じたことは覚えている。私はZARDが好きになった。初めて特定のアーティストが好きになった。これが私の音楽体験史上最大の出来事だと思う。今でも1番好きなアーティストはZARDだ。その時から毎月NBA雑誌を買った後の余ったお小遣いを貯金して、ブックオフでZARDのアルバムを買うようになった。とは言えそれ以外にもお小遣いの使い先は多岐にわたり、なかなかZARDは買えなかった。ORANGE RANGEはいつしか聴かなくなっていた。

中学3年の時、たまたまインターネットでNBAトレーディングカードの存在を知った。なにやらジャージーカードやサインカードもあるらしい。一度興味を持ったら首を突っ込まないと気が済まない性格の私は、NBAカードが欲しくなって心斎橋にあるカードショップに行こうとした。しかし高校受験を控えていた私に親は、受験が終わってからにしなさい、とストップをかけた。当時は腹立たしかったが、親の判断は正しかったと思う。勉強をしながら、夜中にこっそりインターネットでNBAカードについて調べていた。当時はまだ履歴を消すという作業を知らなかったため、親にも筒抜けだったろうが、そこは大目に見てくれた。無事第一志望の高校に合格が決まった次の土曜日に私は京阪電車に乗り、心斎橋のカードショップに出向いた。その時、京阪の車内で聴いていたのがPerfumeの”GAME”というアルバムだった。「ポリリズム」や「チョコレイトディスコ」など初期のPerfumeの代表曲が収録されていた。ようやくNBAカードを買いに行けるという高揚感が大きかったからか、今でもこのアルバムを聴くと、あの、心斎橋へ向かう車内の情景を鮮明に思い出す。旧型8000系京阪特急のダブルデッカーの2階席で、私のとなりには若い女性客が座っていて、彼女もピンクのイヤホンで何かしら音楽を聴いていた。そんなわけで”GAME”は私にとって思い出深いアルバムの1枚となっている。ちなみにその時買った3パックから引き当てたRichard Jeffersonのサインカードは今でも大事に保管してある。PerfumeとRicherd Jefferson、この2つを関連付けることができる人間はおそらく地球上で私一人だけだと思っている。

引き当てたときは飛び上がって喜んだRJのサインカード

高校生の頃から洋楽を聴くようになった。最初に聴いたのはおそらくMichael Jacksonの”King of Pop”とThe Carpentersの”Gold"の2枚だったような気がする。どちらも親が持っていたアルバムで、どちらも気に入った。以降洋楽をよく聴ようになったが、その始まりはこの2枚だった。とはいっても今でも洋楽は歌詞もいまいち分かってない曲が大半だから、聴いてるというより聞いてると言った方が適切かもしれない。

高校生の頃といえばもう一つ、お小遣いが増えたのでZARDを買う機会が増えてきた。貯金に余裕ができては近所のブックオフに行き、未所持のうち安いものから順に買い集めていた。ZARDはどの曲を聴いても良かった、洋楽と違って歌詞もしっかりと追った。ZARDの曲はほとんど全部が坂井泉水さん本人の作詞によるものだ。思春期と言われる時期もだいぶ過ぎていたからか、歌詞の意味や心情に共感できる部分も少し増えていた気がする。「息もできない」という曲では「息もできないくらい ねぇ君が好きだよ」と、ど真ん中に165km/hのストレートを投げ込むような詞を歌い、「淡い雪がとけて」という曲では「古い日記を読み返してみると 他の人の話のようで」なんて、繊細にぽろぽろと愛が崩れていく様を歌っている。今ではそういった「歌詞の多様さ、言葉の綺麗さがZARDの好きな所だ」と言えるが、そんなこともはっきり感じていなかった時分にZARDを好きになったという事については、やはり運命的な何かを感じる。もし父がZARDのアルバムを持っていなかったら、あの日とりあえず父の部屋から持ってきたCDがZARDのものではなかったら、それはそれで誰か他のアーティストを好きになって「私が一番好きなアーティスト」だと言い張っていただろうが、私がZARDと出会ったことは私の人生において何かしら意味があることなんだろう。大げさすぎると笑われるかもしれないが、私はそう思う。前述した2曲は有名な曲ではないがオススメなので、興味があればぜひ聴いてみてほしい。YouTubeで検索すれば聴けるはずだ。

その後も順調にZARDを買い集め、高校を卒業する頃には「とある1枚」を除きZARDのアルバムをすべて揃えた。その「とある1枚」とは「ZARD Cruising & Live」という、1999年に豪華客船で行われたクルージングライブの音源CDである。これが当時30万枚という限定発売だったため、ブックオフに存在しないのはおろか、ネットオークションでもまぁまぁな値段がついていたため、入手は半ば諦めていた。そんな中、大学受験のための浪人中に通っていた予備校から帰る途中の駅近くに新しくブックオフができることを知った。開店初日はたまたま予備校の自習室が都合で使えなかったため授業が終わると帰ることにしたのだが、時間が早かったのでそのブックオフに寄ってみることにした。正直何の期待もしていなかったが、ふと中古のZARDの棚に目をやるとそこに例の限定CDがあった。心拍数が上がるのを感じながら値段を確認すると1200円で、それは当時のネットオークションでの相場より安かった。そういう経緯で最後の1枚を入手することに成功し、私は胸を張って「ZARDのアルバムをすべて持っています」と主張できるようになった。そのアルバムは実際のライブの様子を収録したもので、メディア露出が少なくトークも苦手であまり披露しなかったらしい坂井さんが、曲間にほんの軽くトークを挟んだりする部分も聴くことができる貴重な音源だ。CDの他にCD-ROMもセットになっていてROMの方は「よくわからないミニゲームをクリアすればライブの映像を見ることができる」というよくわからない物だった。この文を書くにあたって久しぶりのその映像を見たが、今でもこの映像を見ると涙が滲んでしまう。このアルバムが今ではアマゾンで激安で変えてしまうということを知っても、涙は止まらなかった。

現在、僕の音楽体験において欠かせないのがApple Musicだ。おかげでわざわざTSUTAYAに行かなくてよくなったし、定額制なのでお金を気にせず様々な音楽を聴くことができるようになった。オススメのプレイリストを教えてくれたりもするので、新しい音楽に出会う機会は圧倒的に増えた。邦楽にはやや弱いが徐々に配信されるアーティストも増えており、世界的に今後の音楽体験はApple Musicを始めとするサブスクリプションサービスが主流となっていくのだと思う。今でもすでに多くの方が利用していると思うが、一方でこの便利な定額聴き放題サービスにも欠点があると感じている。

音楽はしばしばあるシチュエーションと結びついて自分の中に取り込まれていくように思う。私がPerfumeを聴いて京阪電車やRichard Jeffersonを思い出すように。当時聞いていた曲を久し振りに聴いて昔の通学路が目に浮かんだり、儚い失恋を思い出したり、といった経験は誰しもが持っているはずだ。

サブスクリプションサービスは定額聴き放題であるため、そうやって音楽が自分の中に取り込まれていく前に次の新しい音楽へ移ってしまいがちになる。少し聴いて好みじゃなかったり飽きたりしたら、なんなら良いと思った音楽でさえ次なる音楽の濁流に飲まれ、それ以上聴かなくなってしまう。CDを買ったりレンタルするスタイルなら、一度音楽が入ってくると次に新しい音楽が入ってくるまである程度時間がある。その間その音楽を聴き続けることにより、初めは好みでなくてもしばらくして良さに気づいたり、その時々の状況と結びついたり、そうして様々な感情と共に自分の中に音楽が取り込まれていく。そういった音楽体験がサブスクリプションサービスでは得られにくくなってしまっている。ちょっと聴いて、流れていって、一時的な体験以上には何も残らない。

もちろんじっくり聴くことが絶対的に正しいとは思わないし、個々人の好きなように音楽を楽しめばいい。

でも私は、なぜそうしたいのか明確に言葉にできないが、これまでそうやって音楽を聴いてきたからという保守的な理由以上のものは無いかもしれないが、音楽を思い出や感情と共に自分に刻みたい。ここ最近、そうやって音楽を聴くことが減っていた。2020年は一度原点に立ち返って、初心を忘れず音楽を楽しもうと思う。濁流に飲まれて自分の音楽体験の機会を失わないように。

私の、そしてここまで読んで頂いた皆さんの音楽体験がこれからも良きものでありますように。

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