“Big Nude Cactus”の話をしようーリアンドロ バルボサ【和訳】

じゃり
The Chewing Gum
Published in
13 min readMar 19, 2018

※旧サンズブログに2017.7.7に投降した記事を再掲したものです。

7/3日、サンズに計9シーズン在籍したバルボサが解雇されました。来シーズンの契約額4milのうち保障されてるのは0.5milで、もし7/3以降もロスターに残っていたら残りの3.5milも支払われる、という契約上の事情もあり、サンズの意図としてはサラリーキャップに空きを作るため、解雇に至ったとのことです。これにより空いたキャップスペースを使ってサラリーダンプの手助けをする代わりに指名権や若手アセットの獲得に動くのでは、と言われていましたが今のところ特に何も動きはありません。個人的には残り1年でそう重くない契約でしたし、優勝経験のある控えSGとして残留させて良かったんじゃないかと思います。
ラン&ガン時代には6thマンとしてベンチからインパクトをもたらしてくれたサンズファミリーの末っ子バル坊。09–10には頼れる中堅として、新たな末っ子ドラギッチ、フライ、ダッズ、アムンドソンらとともにミラクルセカンドユニットのリーダーとして活躍。プレイオフで勝った試合後に一緒にインタビューを受けていたのはサンズファンなら誰しも今でも胸が熱くなるシーンでしたね。

そんなバル坊の手記がちょっと前にPlayers’ Tribuneに掲載されていましたので、バル坊への感謝も込めて、今更ですが訳してみました。ナッシュの話やシャックの話をはじめ、サンズファンなら必読、サンズファンでなくても是非読んで頂きたい内容になっています。

Thank you LB !! I’ll miss you…

以下拙訳

僕のNBAでの旅路を通して出会った友人たちの話をしようと思う。

そして、この記事が終わるころには、シャックがあの頃のU.Sエアウェイズセンターを走り回っているはずだ、素っ裸でね。

でもそれは後にして、まずはゴールデンステイトについて話さないといけない。

プレイオフは見てるよね? ウォリアーズは、そう、アンビリーバブルだ。そのことはみんな知っていると思う。でもあのレベルに達するまでに要した取り組みのすべてについてはおそらく知らないだろう。思い出すよ、僕はあの中にいたんだ。2015年にタイトルを勝ち取った次のシーズン、僕らはさらに良くなった、とてつもないことだ。

2016年、僕の友人であるスティーブナッシュがアシスタントとしてやってきて、大いに手を貸してくれた。でも最初のうちは妙な感じだった。僕は最初にサンズに所属していた時からチームメイトとしてスティーブを知っている。あの頃僕らは常に冗談に笑いあって楽しい時間を過ごしていた。でもコーチとしての彼はまじめで、真剣に仕事一筋って感じだった。昔ほどしょっちゅう髪形を変えたりはしなかった。

スティーブは僕らウォリアーズをより良くしたがった、特にクレイとステフを。

クレイはすでにグレートプレイヤーだったけど、スティーブは彼に気になるところがあるようだった。クレイは練習後ほぼ毎日居残ってスリーのシューティングをしていた、約1時間、立ったままで。スティーブはそれが気に入らなかった。彼はクレイに、実際の試合じゃ立ったままの状態からシュートを打つことなんてほぼないぞ、と言ったんだ。でもクレイはスリーをバンバン決めていたし、何をわざわざ変えることがあるんだよ?とでも言いたげだった。クレイがスティーブの言うことに納得するのに多少時間がかかったみたいだった。でもスティーブは的を得ていたし、クレイも時間はかかったが最後には納得して、ドリブルやステップからのシューティングをルーティンに取り入れた。そして結果はご覧の通り。

ステフに関しては、まず彼が、僕らがフェニックスで作り上げたあの素晴らしい頃のチームについてとてもよく知っていることに驚かされた。スティーブと僕が練習後にシューティングをしてるとステフがやってきて、スティーブにあの頃のサンズについていろいろ聞くんだ。彼は僕らのオフェンスが大好きで、どうすればウォリアーズがあのようになれるか知りたがった。

このことを知って僕はとても誇らしい気持ちになった。地球上で最高のプレイヤーの1人が、史上最高のチームの1つが、あのフェニックスのチームみたいになりたがってるんだ。僕らがやっていたスモールボールのスタイルはあの時代には場違いな感じだったし、そもそもスモールボールなんて言い方もなかった。でも今やそれが主流になっていて、あの頃スティーブと僕が思い描いていたものよりはるかに良くなっている。

もし12年前の僕に、風変わりな僕らのチームが数年後には史上最高のチームの礎となるんだ、と言われても、お前クレイジーだな?ってくらいに返しただけだろう。でも、僕のNBAへの道のりこそ“クレイジー”だった。

僕はブラジルのサンパウロにあるスラム街で育った。そこは厳しい場所だった。もし知らない人の家に入ってしまったら、おそらく出てこられないだろう。

僕は日中はママとフルーツを売って、夜はバスケットをプレーしてた。家では床の上で寝た。8歳の時、友達の家のテレビでマイケルジョーダンを見たのを今でも覚えている。その時から僕はひそかに考えていた、何としてもNBAプレイヤーにならなきゃいけない、って。ジョーダンのいるリーグでプレーしたかったんだ。でもそれ以上に、家族をここから連れ出すためにそうしないといけないと思った。

もし僕がそうしないと、いつか誰かが死んでしまう。

バスケットは僕にとってゲームだった。でも同時に僕が、僕たち家族があそこから抜け出すための手段だった。そして2003年、僕はそのチャンスを手にしたんだ。

ドラフトの日、マンハッタンを通ってマディソンスクエアガーデンに向かっていた時のことをよく覚えている。ブラジルではみんなアメリカに憧れを持っている、まるで夢の国だ、って。実際にそのアメリカを見ても僕には現実のものと思えず、今目にしているニューヨークが本物だって信じられなかった。それはショックだったよ、何もかもが違いすぎたんだ。立ち並ぶビルの山、あふれる人。その夜僕が発した言葉は10語にも満たなかった気がする。非現実的すぎて、ただすべてを見るだけで精一杯だった。ガーデンで僕の名前が呼ばれても、まだショックを受けとめきれないでいた。周りのみんなが立ち上がって拍手している中、僕はその場に座ったままだった。

僕は最初はサンアントニオに指名された。でも数分経って、サンズの関係者がやってきて、君はフェニックスに行くことになったよ、と告げられた。何が起こってるのかわからなかった。どちらの街の名前もその時初めて耳にした。僕はただ首を縦に振って従うしかなかった。

翌日、僕はアリゾナにいた。空港から直でアリーナに向かった。僕はサンズのスタッフにロッカールームに連れていかれて、僕の名前が書いてあって僕のジャージとシューズが置いてあるスペースを見せてもらった。

自分の名前が入った僕のロッカー…なんてこった。

僕は通訳を通してスタッフに、今夜はホテルに戻らない、ここで寝る、って言ったよ。

「ここじゃ寝られないよ、ベッドがないし。ここはただの…床じゃないか」スタッフにそう言われた。

ブラジルの実家の何と比べてもここの方が良い、もしサンパウロの家をみたらわかると思う、って言ったけど、スタッフたちは誰も信じてなかったろうね。でも気にしなかった。その夜はそこにいたかったんだ。

大きなテレビがあって、冷蔵庫もある、そして自分の名前入りのNBAのロッカー。他に何が必要だっていうんだ?

ロッカールームのカーペットの上で一晩中寝転がっていた。それまでの人生でもっとも良い眠りだった。次の日僕はファミリーになる二人に出会った。ショーンマリオンとステフォンマーブリーだ。

ショーンが最初にロッカールームに入ってきたけど、ここになぜ僕がいるか理解できない様子だった。

「お前、ここで何やってんだ? お前アホだろ、意味わかんねぇよ!」

彼は僕のことをアホだって言いながら笑い続けてた。ショーンはいい人だなってすぐに分かった。僕らはその日中、そしてそれから一緒に過ごしたキャリア中、何度も笑いあった。

ショーンは施設をちょっとばかり案内してくれて、チームの何人かに僕を紹介してくれた。ステフォンマーブリーにはその日の午後に会った。彼は僕のママのことや、兄弟のことや、アメリカでの生活について聞いてきた。フェニックスでの最初の数か月間に渡って彼は僕の面倒を見てくれた。彼の家でテレビゲームをしたりくつろいだりして何時間も過ごした。いつ、どこに行くときもかっこいい車のうちの1台に乗せて行ってくれた。まだ英語もちゃんと話せなかったけど、そこを気に入ってくれてたと思う、だって僕に対して何を言ってもよかったんだから。でも車でラップをかけたとき、僕らは同じ言葉を使っていた。

彼の知ってる音楽は僕も知っていた。Jay-ZだとかSnoopだとかDreだとか。僕のラップはひどかったけど、それを好きになってくれた。彼のレンジローバーの車内はいつも大音量だった。ステフはたくさん車を持っていて、どれもカッコよかった。

夏のトレーニングに入って数週経ったある日、練習後ステフに引っ張ってかれた。

「へい、お前にこれをやるよ」

僕を外に連れていって指さした先にあったのは新品のエスカレードだった。

「いや、そんな、受け取れないよ」

「お前にこれに乗ってほしい。大好きなお前への俺からのプレゼントだ。お前のものだ」

その場で泣いてしまった、本当に。他人から車をもらえるなんて僕にとってあり得ない事だった。ずっと厳しい暮らしをしてきて、食べるものにさえ困っていた。そんな僕に誰かが車をくれるんだよ?

あの時の気持ちは一生忘れられない。ステフ、君はこれからもずっと僕のファミリーだ。

しかも彼には英語も教えてもらったんだ!とはいっても悪い言葉ばかりだったけど。でもそういった言葉の良い使い方、つまりトラッシュトークの仕方も教えてくれた。

ステフが言うにはこんな感じだった、「いいかリアンドロ、こういった言葉はこう使うんだ。まずゲームが始まったら自分が守ってる相手の目を見る。そいつの目の奥までじっと見るんだ。そこでそいつが俯いたら、もうお前の勝ちだ。立場はお前の方が上、ボコしてやればいい。その時相手にその言葉をぶつけろ。言いたいことをすべて言っちまえ。そいつの頭にぶち込んでやるんだ。」

ステフはそれが得意だった。立ち向かっていって相手に罵りをぶつける。彼はスターだった。

でもそれについて一番だったのが誰だか知ってるかい?そう、僕の友人、シャックだ。

2008年、僕らサンズに対して相手はペイントエリアに入ってこられなかっただろ。もしかしたら、入ってこられたかもしれないけど、そしたら今度はもう帰ってこられなかったはずだ。相手のガードがシャックの方へカットしていくと僕もそれについてってリングの近くまで行ったけど、シャックは相手の手にあるボールをシバいてコート外に弾き出して、そして相手に向かって怒鳴るんだ。シャックは優しい巨人でありながら、史上最強のセンターでもある。相手はそのどっちに出くわすのか、ビクビクしてたに違いない。それは見てて面白かったね。シャックはこんな風に怒鳴るんだ。

「もう一度俺んとこまで来てみろ、神に誓ってお前をブッ○すぞ、マジでやってやる」

すると次のポゼッションで、ガードがペイントにカットしてきてもシャックを見た途端、ボールを外に返すんだ。

シャックは間違いなく恐ろしい男だ。でも、一度誰かが素っ裸なのを目にしたら、そいつに対する印象も変わるだろ。続きを読む準備はできてるか? できてるって言った君、たぶんできてないぞ。

ある試合の日の午後、僕とシャックは一緒に試合前のワークをすることになっていた。シャックと一緒にロッカールームで服を脱いでリハビリルームに向かったんだけど、そこにトレーナーがいなかった。だから15分くらいそこで待ってたんだ。僕らは2人ともタオルを巻いた格好で座って待ってた。そのうちシャックがイラつきだしてきた。彼は(まったくなぜだか分からないけど)巻いてたタオルを取っ払って、トレーナーのオフィスに向かっていった。ドアを開けて「いつになったら来るんだ? それとも俺があんたを迎えに行ってお連れしなきゃならないのか?」って言った。

最初はトレーナーも何かの冗談なのかよくわかってない様子だった。でもシャックが数歩近付いていった途端、トレーナーもこれが冗談なんかじゃないって悟ったらしい。彼は飛び上がってホールを全力で走り去ってしまった。

シャックも当然トレーナーを追いかけていった、すっぽんぽんのままで。ホールを全力疾走し、アリーナの従業員やスタッフのそばを駆け抜け、怒号を飛ばしている。ごく普通の平日の昼間に。

皆サンズのオフィシャルウェアかスーツを着ているのに、シャックは生まれたまんまの姿だ。

もし勇気があるなら、それを想像してみるといい。

将来の殿堂入り選手が、バスケットボール史上最強のビッグマンが、素っ裸で小柄なトレーナーをアリーナ中追っかけまわしている。15分くらい続いてたんじゃないかな。”Big Nude Cactus”の気が済むまで、えらく長い時間がかかった。

そんな僕の友人、それがシャックだ。

実のところ、今でも僕はブラジルからやってきた少年のような気持ちだ。NBAが、そこで出会った友人たちが、僕が今ある僕に成長するのを手助けしてくれた。

僕の旅路はまだ終わっちゃいない。幸いなことに時間はまだ残っているし、足にもまだまだ力がみなぎっている。内なる闘志の炎もまだ燃え盛っている。そして何より、感謝の気持ちでいっぱいだ。シーズンが終わったけど、僕の友人たちは様々なところでそれぞれ成功を収めている。ちょっとしたストーリーをシェアするのに、そして感謝の言葉を述べるのに、いい頃合だったんじゃないかな。

Obrigado、みんな。

Leandro Barbosa

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