ランチの約束


友だちとランチの約束をする。メールなどでやりとりして、日にちと時間、場所が決まる。スマホで地図を見ながら、遅刻しないように、待ち合わせの店にたどり着く。ごくあたりまえの、日常のひとコマだ。だが、あらためて考えてみると、何気ないランチの約束でさえも、ぼくたちの複雑で猥雑な毎日のなかに、精巧につくられたひとときだということに気づく。

「時間地理学」と呼ばれる分野がある。人びとのふるまいや、〈モノ・コト〉の空間的な側面ばかりでなく、時間的な変化をも取り扱おうという試みだ。ここでは詳細は省くが、「時間地理学」の研究で多用されるダイアグラムは、とても示唆に富んでいる。

図1. ある日のMさんの行動軌跡(図・加藤文俊)

たとえば図1は、(架空の)Mさんのある日の行動軌跡を示している。図では、下から上に向かう時間の流れが記されていて、黒い矢印がMさんの行動軌跡を示している。Mさんは、8:00過ぎに自宅を出発してオフィスに向かう。オフィスに着いたら、まずメールをチェックし、この日ひとつ目の会議、つづいて二つ目の会議を終えるとお昼を過ぎている。近所のカフェに行ってランチを食べて、ふたたびオフィスへ。資料をつくりつつ、途中でもうひとつ会議に出て(この日三つ目)、18:30ごろにはオフィスをあとにする。自宅に戻って食事をして、あとはのんびりテレビを眺める。この図で、まっすぐ上に伸びる直線(図中、グレーの“チューブ”状の部分)は、移動することなく同じ場所に留まっていることを示す。このように、ぼくたちの一日の動きは、行動範囲や移動に要する時間もふくめ、ひと筋の矢印として表現することができる。

仕事やライフスタイルによってさまざまだが、ぼくたちは、一日を「じぶんらしく」過ごすために「方針」をもつ。わかりやすく言えば、スケジュールだ。「9:00にオフィスに着くためには」と考えて逆算すると、自宅を出る時間、朝食を食べる時間、起きる時間が決まる。さらに遡って、前の晩に何時に寝るかが決まることもあるだろう。「お昼までには会議を終わらせたい」「晩ごはんは家に帰って食べよう」など、一連の「方針」が、ぼくたちの一日に秩序をあたえている。だからこそ、いつもの電車に乗り遅れそうなときは、事前の「方針」どおりにすすむよう、駅に向かって走るのだ。予期せぬハプニングや見込み違いがあると、同じ場所に長く留まることになったり、あるいは余計な移動が発生したりする。つまり、図中の“チューブ”の長さや配置の変更を余儀なくされるのだ。

図2 ランチの約束|ある日のMさんとYさんの行動軌跡(図・加藤文俊)

さらに興味ぶかいのは、ぼくたちのコミュニケーションや社会関係が、じぶんの行動軌跡の一部を、他の誰かと共有することによって成り立っているという点だ。図2は、先ほど紹介したMさんの行動軌跡に、Yさんの行動軌跡を併せて描いたものである。Mさんの一日は、すでに紹介したとおりだ。友だちのYさんは、この日、昼ごろまで自宅で仕事をしてから、待ち合わせのカフェに向かい、ランチを食べてからショッピングセンターに向かう。そこで数時間過ごしてから、家に帰る。

見てのとおり、MさんとYさんが、カフェで一緒に過ごしている時間は、一日のなかではわずか90分程度だろう。その他の時間は、一人ひとりが、それぞれの予定と「方針」で過ごしている。だから、(もちろん、ランチタイムの話題になることはありうるが)Mさんの午前中の会議が紛糾したことも、あるいはYさんがストレス解消のためにショッピングセンターに向かったことも、それほど重要ではない。というより、二人の行動軌跡が重ならない(つまり、時間と場所を共有していない)という意味で、お互いに知ることができない(知らなくてもいい)事柄なのだ。

ランチの約束は、ことも無げにくり返されているように見えるが、じつは、ぼくたちがそれぞれの「方針」にもとづいて、適切な行動軌跡を描くことによって実現している。ランチタイムの前後の過ごし方もふくめて、数々の段取りや調整の所産として立ち現れているのだ。

「きょうは、いい一日だった」とふり返ることのできる日は、計画どおりにふるまうことのできたじぶんを褒めるだけでは、ふじゅうぶんだ。誰かが、じぶんの「方針」を理解し、リズムやスピードを合わせてくれたおかげで、思いどおりの矢印が描かれたからだ。