空き地カフェ

2016年1月17日|カレーづくりの前に「空き地カフェ」で買いものをした。

今年のはじめ、記念すべき50回目の「カレーキャラバン」は、神戸に出かけた。『おかんアート』の本を介して知り合った山下さんが、いろいろ調整をすすめてくれたおかげで、とても印象に残る旅になった。いつも、調理器具やスパイスケースだけを持って移動し、食材は行った先で手に入れる。大型の量販店に行けば、だいたい何でも揃うので便利なのだが、できるかぎり市場や産直の店、地元のスーパーに足をはこぶようにする。野菜から米や乾物、調味料など、食品ラベルを確かめながら「ご当地」の食材をえらぶ。なにより、人間観察が面白い。食べることにかかわる場所は、人びとのエネルギーで充ちているからだ。その出発点ともいうべき市場やスーパーに行けば、そのまちの活力を感じることができる。

カレーをつくる日の朝、コーヒーを淹れていると、山下さんから「たまねぎはキープしておきました」というメッセージが届いた。つづけて、野菜の入った箱がならんでいる写真が数枚送られてきた。「他にも欲しいものがあったら、キープしておきますよ」。どうやら、早く行かないと、売り切れてしまうらしい。ぼくたちは、身支度をすませて「空き地カフェ」に向かった。「空き地カフェ」は、駐車場や倉庫に地元の飲食店が「出張」して、地域の人びとの交流の場をつくろうという試みで、2013年の秋にはじまったという。自家焙煎の珈琲店、インド料理の店など、多彩な出店者たちとともに、育まれてきた。

ぼくたちが着いたころには、すでにたくさんの人で賑わっていた。もともとは、この「空き地カフェ」でカレーをつくるという案もあったのだが、時間の都合もあって、買いものだけになった。倉庫の奥には野菜がたくさん並び、イスやテーブルが(パラソルも)置かれていて、なかなか素敵な雰囲気だった。近所に暮らしていたら、月に一度、日曜日の朝はここに立ち寄ってみたいと思うにちがいない。

いけずなまち

いけずなまち」に書いたとおり、まちなかには、さまざまな「際(きわ)」が見え隠れしている。縁石やフェンスなど、わかりやすい「境界」はたくさんある。標識や看板をつかって、ぼくたちの出入りを制限するさまざまなしかけもある。「いけずなまち」で考えようとしているのは、「共用水栓鍵」に象徴されるような〈物件〉である。いつの間にか「あたりまえ」になってしまった風景のなかにも、「際」がいくつも隠れている。たとえば、くだんの水道は、水栓(ハンドル)がなければ、ひねることができず、水は出ない。鍵を手にいれれば、状況は一変する。つまり、水栓と水との「あいだ」が興味ぶかいのだ。何かが「あいだ」に入ると、「際」が揺さぶられて、見慣れていた風景がちがって見えてくる。

偶然にしては、できすぎた話だが、「空き地カフェ」の試みを推進しているのは「関西水栓」という会社だ。月に一度、倉庫のシャッターを開けるだけで「空き地」ができる。ふだんは閉じられているはずの「際」が揺さぶられて、いつもとちがう日曜日になる。その意味では、「空き地カフェ」という試みそのものが、「共用水栓鍵」と同じはたらきをしているのだ。社長の想いと、鷹揚なマインドがあったからこそ、シャッターが開いた。

新鮮な野菜を買いに来たひと、犬の散歩で通りがかったひと、倉庫のなかは賑やかだ。前の晩に行ったインド料理店「ニーラム」のワキルさんたちにも再会した。インド粥やサモサを売っていたので(モーニングセット)、さっそく食べることにした。ギターを手にした若者が「これからちょっと歌わせてもらいます」と挨拶にきた。やがて、歌が聞こえてきた。聞くところによると「関西水栓」の社員らしい。ぼくの邪推だが、最初は、社長の声がけでシャッターを開けたり、片づけをしたり、「空き地カフェ」のために休日出勤をするところからはじまったのだろう。地域のためとはいえ、せっかくの日曜日。あまり、気がすすまなかったのかもしれない。だが、「空き地カフェ」が少しずつ育ってゆく現場に居合わせることは、きっと愉しかった(はずだ)。

設営や撤収の手伝いをするだけではなく、歌ってしまえば、もっと愉快になる。この大らかな感じが、心地いい。シャッターを開けて、「境界」を見えなくしたら、面白いことになった。

まだ野菜を買っただけで、これから移動してカレーをつくらなければならないのに、ぼくたちは、すっかり満足してしまった。

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