腰をおろす

Fumitoshi Kato
the first of a million leaps
4 min readAug 13, 2016
August 7, 2016 | Federation Square

中心業務地区(CBD)の大部分は、無料でトラムに乗ることができる「フリーゾーン」になっている。まちは碁盤の目のようにつくられているので、主だった通りの名前や建物さえ頭に入れておけば、気軽にまちなかを動き回れるようになる。もとより、すべてがコンパクトにまとまっているので、いざとなったら歩けばいい。平日はオフィスまで歩き、夕方まで本を読んだり原稿を書いたりしてアパートに戻る。なるべく自炊して、さほど夜更かしもしない。(東京での暮らしを想うと)じつに慎ましく、健康的な毎日だ。

日本では猛暑が続いているようだが、すでに立秋。ということは、こちらは立春だ。なんとなく、少しずつ、日が長くなってきたような気もする。マーケットをぶらついたり、近所にあるカフェやレストランを順番に試したりしているだけでも、じゅうぶんに楽しいからか、ずっと「フリーゾーン」のなかで過ごしていた。

8月最初の日曜日。朝から晴れて、とても暖かくなった。同僚にランチに誘われたこともあって、ぼくは、ついに「フリーゾーン」から外に出ることになった。もちろん、それほど騒ぐほどのことでもない。この日の場合は、川を渡るだけで「ゾーン」の外に出る。

広場を出て、川を渡ってすすむと、右手にはコンサートホール、アートセンター、劇場そして美術館が並ぶ。左手には公園が広がり、さらに奥には大きな植物園がある。このまちは、「ドーナツ化」がすすむなか、さまざまな工夫をしながら、人びとをまちなかに呼び戻すことに成功している。広場や歩道、街路樹、街灯などが、時間をかけて、丁寧に整えられてきたのだ。このまちの魅力は、「世界で最も住みやすい都市」ランキング(『The Economist』誌の調査部門EIUによる調査)で、5年連続で第1位にえらばれたこともふくめて、たびたび話題になる。

人びとのふるまいは、物理的な環境はもちろん、天候に影響を受けることは、かねてから、さまざまなかたちで指摘されてきた。考えてみれば、ごくあたりまえのことだ。たとえば、ぼくたちの多くは、日照に素直に反応する。この日は、そのあたりまえのことを実感できるような、暖かい春の日差しだった。

芝生には“レイジー・ビーン”(ビーズクッション)が置かれていて、人びとはまさに「レイジー」な姿勢でくつろいでいる。芝生を取り囲む位置にある階段にも、座っておしゃべりをしている姿がたくさんある。構内の通路や道路沿いのテントには、食べものや手づくりのクラフトが並ぶ。広場に戻ると、ビーチで見かけるようなデッキチェアがあって、太陽を浴びながら巨大なスクリーンでビーチバレーやフットボールの試合を観戦している。みんな、このときとばかり、太陽を浴びようとしていたのだろうか。

ウィリアム・ホワイトは、『都市という劇場』のなかで、「知的な意味で衝撃とはちっとも思えないかもしれない」と断りながら、「人々は座る場所があるところに最も多く座るようだ」と述べている。そして、「スペースそのものの魅力が何であれ、座る場所がなければ、人が腰をおろしにやってくることはない」と続ける。つまり、「座る場所」がなければ、はじまらないのだ。(たしかに、衝撃とは思えないごくあたりまえのことではある。)

だが、「座る場所」があるだけで、こんなにのびやかな日曜日の風景がつくられるのだろうか。人びとが、春の日差しや風に素直に反応し、まちに親しみをもって接しているからではないのか。“レイジー・ビーン”は、ぼくたちが気ままな姿勢で身体をあずけることで、それにフィットするように、自在に形を変える。デッキチェアのキャンバスは、ぼくたちの重みに合わせて弛むようになっている。太陽を吸い込んだ縁石の温もりも、階段から見える風景も、腰をおろしてみなければ、わからないのだ。「座る場所」が見つかったら、まずは、腰をおろしてみることだ。🇦🇺

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Fumitoshi Kato
the first of a million leaps

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