スケッチブック

Fumitoshi Kato
the first of a million leaps
6 min readMay 12, 2016
モバイル・メソッド」のスケッチブックは3種類ある。左から:水野研のスケッチブック|石川研のスケッチブック|加藤研のスケッチブック

書くことは、難しい。でも、愉しい。文章には、知らず知らずのうちに書き手の個性(スタイル)がにじみ出るから不思議だ。そのいっぽうで、文章だからこそ、大胆に、自由にもなれる。想像力をはばたかせ、緻密にことばをえらべば、(少なくとも文章のなかでは)ちがうじぶんに「なる」こともできる。

日頃から、ちょっとでも文章を書く癖をつけておけば、筆力は高まる。書くことで、じぶんの心が落ち着きを取り戻すこともある。書くことの効用は、まだ他にもたくさんあるはずだ。じぶんだけの日記や備忘禄なら、とにかく書き留めておくだけでいいが、「読者」を想定したとたんに緊張し、文章を綴るのが怖くなる。文章を書くことは、直線的に流れる「ものがたり」を構成することだと気づくからだろうか。書き出しから、結末(オチ)まで、ひと筋の流れとして「読者」に届けられる。起承転結か序破急か。あれこれと考えはじめると、手が止まる。

だが、「読者」を意識するかしないか(実際に読み手がいるかどうか)ではなく、とにかく文章が「ある」ことが大切なのだ。上手下手は気にせずに、とにかく書くこと。これまでにも、たびたび紹介してきた一節だ。

人間はすぐに上手とか下手とかいう比較をしたがる。これはまた批評家の常則でもある。ところが上手下手よりも「有るかないか」ということが決定的になる場合は、ずいぶん多い。この場合は「有る方がよい」。つまりどんなメモや短文でもよいから、「有るはなきに優る」ことが決定的になる。どんな小さな記録でも、後になって有るかないかが、大きなことになってくるのが世の常である。『だれもが書ける文章:「自分史」のすすめ』(橋本義夫, 1978)

「有るは無きに優る」のだ。「ふだん記」運動を推しすすめた橋本義夫は、「下手でいい」、さらには「下手がいい」とさえ言う。ありのままを記録すること、記録し続けることへの執着だ。

描くことは、難しい。きっと愉しいはずなのだが、もっと「絵心」があればと思う。練習すれば上手くなるのだろうか。友人たちの天性を羨む。すでに述べたとおり、文章が直線的に流れるのに対して、図解やスケッチは、(ことばに頼らず)ひと目で全体を表すものだ。だから、少しちがった感覚で向き合う必要がある。文章を綴るときの直線的な思考ではなく、俯瞰し、つながりや関係性、配置や分布に意識を向ける。

昨年の春にスタートした「モバイル・メソッド」プロジェクトで、石川さんや水野さんと話をしていて、書くことだけではなく、描くことも大切だとあらためて感じるようになった。書くことについては、フィールドノート、作業日誌、論文やエッセイというかたちで、成果を求められる機会が(それなりに)つくられている。「読者」がいるかどうかにかかわらず、描くことに日常的に向き合う場面は、まだじゅうぶんとは言えない。

「おかもちコーヒー」(http://okamochi.delivery/coffee/)を紹介するビデオのための絵コンテ(とは呼べない…か)。この画(さらにもう1ページある)をもとに、ビデオができた。 → https://vimeo.com/163957537

そこで、スケッチブックを使うことにした。ちょっとした「実験」である。日頃からスケッチブックにノートを取ったり、アイデアをまとめたりしている人もいるので、じつはそれほど画期的な「実験」ではないが、まずは、オリジナルのスケッチブックをこしらえた。A4サイズ(横)で、白い(無地)ケント紙が22ページ。リングで製本されていて、表紙は3種類ある。

4月中旬、以下のようなゆるやかなガイドラインとともに、学生たちにスケッチブック(一人に一冊)を配布した。

  • ページを切り離してはいけない。(スクラップブックのように切り抜きなどを貼り付けてもよい。)
  • 内容は、各自の「研究」(広い意味で)にかんすることであれば、何でもよい。(1冊目が終わったら、2、3冊目を支給するので、のびのびと使うことができる。)
  • できるだけスケッチブックを(見えるように)抱えて歩く。(可能かどうかはわからないが、キャンパスでささやかな“fad”を生み出せるか試してみたい。)
  • かぎられた(えらばれた)人だけが、スケッチブックを持てるということに誇りを持つ。

みんながおなじ状態(まっさらの状態)からスケッチブックを使いはじめて、まもなく一か月が経とうとしている。一人ひとりのスケッチブックには、何が描かれているのだろうか。じつは、この「実験」をはじめる際に、もうひとつ大切なことを決めた。それぞれのスケッチブックは、見せることを前提に使うのだ。いまのところ、6月の初めに、全員(3研究室に所属の学生+3名の教員)のスケッチブックを公開する「スケッチブック展(仮)」を開催する計画だ。

たしかに、誰かにじぶんのスケッチブックを見られるのは、恥ずかしい。だが、先ほど引用した一節のとおり、描くことについても、上手下手ではない。「有るは無きに優る」の精神で、ページを埋めてゆくのがいい。

難解な文章が、画になってわかりやすくなることもあるし、スケッチがひと筋の「ものがたり」として文章になることもある。ページに〈何か〉が「有る」ことが、ぼくたちの思考を刺激する。書くことと描くことが、連動しはじめれば、もっと愉しくなる。スケッチブックを抱えて(ちょっと自慢げに)歩くのは、その愉しさを知らせるためなのだ。

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Fumitoshi Kato
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