メディアの視点は、アイデアであってほしい

メディアがどんな姿勢、視点を大事にしてるかは、読み手としてはとても気になること。何かしらのメディアに関わる者なら余計かもしれない。同じ素材を扱うにしても、その視点の持ち方によって、記事のつくられ方、もちろん内容も変わってくる。
次の二本の記事をたまたまSNSで拾ったので、読み比べてみた。一本目は、英文記事で、二本目は日本語記事。「出前」という素材に書かれており、二本目は、その一本目の反応をまとめた派生記事とも言えるだろう。
Nowadays when we order takeout we open an app, push a few buttons and 30 minutes later someone shows up on a motorcycle…www.spoon-tamago.co
NYと東京を拠点にしたアーティストが、日本人の仲間と手がけるブログ(メディア)「spoon-tamago」。こちらの記事では、出前とは元々「大名のためにあった」などその歴史について触れれたうえで、写真が添えられている。テキスト(ストーリー)ありきの画像という関係性のように見える。
そして、そのspoon-tamago記事を元ネタに、新たに記事が書かれているのが「Cadot」。出前を「海外でアートとして絶賛されている」という視点で切り取っているのが、違うところ。日本の出前文化はすごい、というのは、わかるのだけど、「そもそも出前ってなんだっけ?」という点には触れていない。画像ありきのテキスト(導入&説明)となっている。
個人的には、海外で絶賛されているからどうなんだろう?と思えてしかたない。なんとなく、若者言葉の「ヤバい!」という表現に重なってみえて、それがどうヤバいのか、他の言葉に置き換えるとどうなのか、という部分が感じとれず、ウケ(アクセス)狙いの記事に見えるのだ。
少しばかりとはいえ、歴史を掘り下げている英文記事のほうが、よっぽどよくて、ストーリーを大事にしているほうが好感が持てる。そのストーリーを汲んだうえで何ができるのか、という点を意識されてるのか、そこは「アーティストの感性」「外国人という立場」というのはあるのかもしれない。
(少し笑ってしまったのは、Cadotはバイラルメディアの手法を用いながらコンテンツ作成をしているように見えるが、サイト内には「無断転載を禁ず」というような注意書きがあることだ。よくそんなことが言えたもんだよなぁと)
メディアとしての意義、役割は、メディア(編集者)の数だけあるだろうが、これだけは譲れずに守りたいことはある。メディアが読み手にこびた、あるいは、いやらしく読み手を取り込もうとする“消費的”なものではなく、読み手の人生のごくごく一部にでも触れる回帰的なもの、そして、過去の点が未来の点とつながり線を描けるような“生産的”なもの。
メディアの視点は、すでに一つのアイデアであり、そこから切り取る世界が、人の動きを揺るがすものであると、日々がもっとよくなるんじゃないか。そう思いながら、情報の荒れ狂う海に舟を浮かべ、今日もゆく。
#メディアノコト