「京都わかもん会議」から考える、「場」の読みとり方

発信されるところに情報は集まる、と言います。自分たちの地域・フィールドで「やりたい(けど、やれていない)ことがある」とき、まずは口にしてみることが発信のはじまり。
そこをきっかけに、アイデアが磨かれ、チームが生まれ、プロジェクトが動くことも。ゆるやかであっても「対話→行動」の変化が起きるプラットフォームを構えることは、地域課題の一つかもしれません。
京都わかもん会議では、「京都」と「わかもん(若者)」の二つのアプローチから、どのような動きが生まれ、京都のみならず各地で広がっていくのでしょうか。35歳以下の方は、特に注目です。https://www.facebook.com/machinokoto/

「京都わかもん会議」という、足を運べるメディアがある。

その場に集まってくる人が取り組んでいる活動、持っている情報、そして、一番大事なものでもある“なぜそれをやっているのか”“そもそもあなたはどうんなひとなのか”というストーリー。その全てに触れることは、一つの媒体を読み込むようなものだろう。

そして、普通のメディアと違うのは、その場に自分が参加できれば、すぐに反応をすることができること。そして、自分もその場で発信することができること、発信することで顔の見えるかたちで誰かとつながること。ライター視点でいえば、ネタを仕込むこともできる。

ただ集まってくる人の情報を受けとるだけのフォロワーになるのではなく、自分自身が持つ“自己資源”を生の声をして場の参加者に届け、反響し合うような24時間になることが望ましいと思う。

そこから生まれたつながり、そして、動きがどのように展開していくのか。成功にしろ、失敗にしろ、その報告ができるような場は設けられるのか、そこから再出発はできるのか。という意味では、1年後以上が楽しみでもある。

北海道、東北、九州、沖縄などに住むような人からすれば、遠い場所だとは思う。さらに京都の宇多野は遠い気もするかもしれない(遠いなぁ、とぼくは正直感じた)。

がしかし、その場に足を運ぶことで、U-35の100人が集うメディアで自分が掴めるもの・伝えるもの、その後の動きをちょっと想像してもらえば、参加する意味は見つかるかもしれない。

それは、「京都わかもん会議」に限らずに、どこか他の人が集まる場に置いても同じことが言えるだろう。どんな人が集まり、そこではどんな話がなされ、発展していくのか。場をみつけ、おもしろがって、自分事化できると、世の中の楽しみ方はきっと広がる。

#マチノコト

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