デザイン思考の歴史:理論パート2

以下の文章は、Stefanie Di Russoによる「A Brief History of Design Thinking: The theory [P2]」の日本語訳である。本人の許可を得て、ここに掲載する。

前回:デザイン思考の歴史:理論パート1

第二の波(1980~1990年代)

学問の分野でブレイクスルーが起きてから、デザイン理論は自分探しのフェーズに移行しました。多くの研究者たちがデザインの認知的側面を考察するようになったのです。つまり、クリエイティブとは何か、どれだけ直観に頼るのか、どれだけ個人的なプロセスなのかといったことです。

この時期に登場したデザインの理論家は、現在でも有名人です。つまり、デザイン理論は自分探しのフェーズからさほど変化していないのです。実際、私たち(研究者と実践者)は、現在進行形で新しいデザインの波を作っているところです。その詳細については、次の記事で説明します。とりあえず今は、1980年代半ばから1990年代半ばまでに作られた理論的なランドマークを見ながら、学問的な旅を続けていきましょう。

1. ナイジェル・クロス:直感的な人

ナイジェル・クロス

ナイジェル氏の研究は、デザインにおける直観に関するものです。ただし、デザイン「における」というよりも、デザイン「ならでは」の直観です。ナイジェル氏は、デザインプロセスとは暗黙知と直観のプロセスであり、特別なものであると信じていました。そして、他の分野(特に科学)から独立可能な専門技能であると主張しました。

私たちは、デザインを科学の真似事にする必要はなく、神秘的で言葉では表せない技能として扱う必要もないことに気づいた。デザインには独自の知的文化がある。つまり、デザイナー独自の「知るべきこと、それらを知るための方法、それらを見つけるための方法」が存在するのである。(Cross 1999, p.7)

そうです。私たちデザイナーは、特別な種族なのです。独自の認識、感知、思考の方法を持っているのです。思考?……思考!なんということでしょう!ここで説明されていたのは、デザイン思考だったのです!

ナイジェル氏は、デザイナーはデザインプロセスにおいて重要な存在であり、その中核であると説明しています。デザイナーの特権的なマインドはプロセスの中心であり、彼ら/彼女らの直観に大きく依存するものです。

ここで解決すべき問題は何か?
ダブルショットのエスプレッソがないことだ。
プロジェクトにコーヒーを導入すればいいだろう。
俺ってば天才!

ビジネス、エンジニアリング、その他デザイン以外の分野のみなさんは、あきれた顔をしなくても大丈夫ですよ。こうしたことは、直感・本能・デザイン思考とも呼ばれますが、どうすればデザイナーを人間から「デザイナー(DeSigNeR)」にできるかについては、今でも議論の的になっています。ただし、ナイジェル氏が「創造性の飛躍(creative leap)」を解明していたことを知ると、みなさんは青ざめるかもしれませんね。「創造性の飛躍」とは、自然発生的な創造性の爆発であり、過去の研究者たちがデザインプロセスの中心だと定義していたものです。それまでは捉えがたいものだとされていましたが、実はそうではなかったわけです。

誰でも橋を架けることならできます

ナイジェル氏の研究により、創造性(デザイン思考)はデザインの神からインスピレーションの光を授けられるというよりも、「創造性の橋」を架けるようなものであることが明らかになりました。創造性の橋は、アナロジー思考やアブダクションの飛躍に近いものです。パパネック氏は、バイソシエーション(訳注:関係ないものを関連付けること)が創造的なアイデアを生み出すツールであると説明していましたが、ナイジェル氏はこれをデザイナーに特有の自然な思考プロセスであると考えました。

2. リチャード・ブキャナン:「厄介な問題」を有名にした人

リチャード・ブキャナン

デザインやデザイン理論を理解している人たちは、「厄介な問題(wicked problem)」という言葉が乱用されていることをご存じでしょう。「厄介」と「デザイン思考」という言葉がデザイン文化のメインストリームに打ち出されたのは、1992年に出版されたブキャナン氏の論文「Wicked Problems in Design Thinking(デザイン思考における厄介な問題)」の影響が大きいとされています。「厄介」という言葉を生み出しただけでなく、(自分たちのやり方で)デザイン思考について説明したリッテル氏とウェッバー氏が気の毒に思えますね。ところが、ブキャナン氏の論文は、適切なところで、適切な時期に、適切な影響を与えたのです。ブキャナン氏をはじめとする同時代の人たちは、デザインが科学であるという考え方を否定しました。彼は、デザイン思考は現代の文化を反映した「リベラルアート」であり、専門家たちが(リッテル氏の)厄介な問題を解決する「インサイト」として使うものであると説明しました。

覚えているでしょうか。この時代は、デザイナーやデザインの理論家たちの自分探しの時代でした。以下に引用したブキャナン氏の言説を読むと、あなたは息が詰まるか、誇りに思うかのいずれかになるでしょう。それは、あなたの立場や経験によって違ってくるものです。

[デザイン思考は]特有のインサイトを持ちながら専門的な訓練を重ね、時としてイノベーションの適用を新しい領域にまで広げられるような、ごく少数の人にしか習得することはできない(Buchanan 1998, p.8)。

この論文が大きな影響を与えたとされるのは、デザイン思考とイノベーションを明示的に結びつけたからです。ブキャナン氏がこのように考えたのは、デザイン思考は多分野のマインドセットであり、デザインが直接関係しているかどうかに関わらず、以下の4つの分野で発見できることに気づいたからです。

1. 記号的および視覚的なコミュニケーション
2. 有形物のデザイン
3. 活動および系統化されたサービス
4. 生活、仕事、遊び、学習のための複雑なシステムや環境のデザイン
(Buchanan 1998, p. 9)

ブキャナン氏は、今日のデザイン思考の本質について、実に多くのことを予測しています。ただし、研究者と実践者の連携については、あまり大きく取り上げられることがありませんでした。ブキャナン氏のイノベーションの考えは、実践的な分野が複数必要だという話に限ったものではなく、実践と研究をつなげる分野間の横断の話も含まれています。何度も繰り返すようですが、デザインの実践で足りないのはこの点です。デザイン業界と研究の連携は、工業開発の一部で限定的に、しかもあいまいに実現されているだけなのです。現在のデザインの文脈でブキャナン氏の指摘を捉え直すと、上記の点を以下のように解釈することができます:

  1. グラフィックデザイン
  2. プロダクトデザイン
  3. サービスデザイン
  4. 政策や都市計画のデザイン

デザイン業界で「ステージ/フェーズ/レベル」のような表現が使われていたら、それは上記の解釈によるものでしょう。これにより、デザインの実践と研究の連携はさらに高まっていくのです。

3. ドナルド・ショーン:省察に囚われた人物

ドナルド・ショーン

ショーン氏は、デザイン研究者たちのお気に入りです。彼は、究極的な思想家でした。デザインのプロセスについて多くのことを省察しています。実存主義者の思考ループに巻き込まれていないのが不思議なくらいです。彼は、こともあろうに、自身のことを著書のタイトルにも使いました。その名も『The Reflective Practitioner(省察実践家)』(邦題:省察的実践とは何か)です。

ショーン氏は、デザインを真剣に受け止めてもらうには、科学に立脚する必要があるという考えを猛烈に否定しました。同時代の同胞たちと同じように、彼もまた認知的省察とプロセスの説明により、デザインを固有のプラクティスとして、個人的なものにしようとしていたのです。

絵ではなくフレームを見てください

ショーン氏の主な業績は、プロセスの分析にフォーカスするものではなく、それらをフレーム化やコンテキスト化するといったものでした。彼は、プロセス全体をまとめる重要な要素として「問題設定」があると説明しています。これに注力することで、実際に問題の解決方法に取り組む前に、問題の扱い方をデザイナーが理解できるようになるのです。

注記:私の理論の大半(と「Sustainability Jam Toolkit」の着想)は、ショーン氏のデザインプロセス手法の理論に影響を受けています。以下に掲載した彼の著書の引用を読めば、彼の哲学がよくわかります。

目的が決まっていて明確なときは、行為の決定はそれ自体が道具的問題を示している可能性がある。一方、目的が混乱して矛盾しているときは、解決する「問題」がまだない。

さーて、私たちは、解決する明確な問題がなく、混乱しているような問題のことを何と呼んでいるでしょーか?せーの、厄介な問題

ショーン氏の著書では「低地の沼(swampy lowlands)」と呼ばれていますが、厄介な問題とまったく同じ概念です。ただし!分析的なデザイン理論家がプロセスを解剖しそうなところでは、ショーン氏はデザインの神秘的で直感的な側面が残ることを信じていました。彼が問題の「フレーム化」にだけ注目し、解決方法について検討していないのはそのためです。

その代わり、芸術的で直感的なプロセスに暗黙的に存在する認知論的な実践を探索しよう。実践者たちのなかには、それを不確実性、不安定性、唯一性、価値観の葛藤といった状況下に適用している人たちもいる。(Schön 1982, p. 49)

少し空想的に聞こえるかもしれませんが、「直観」対「科学」の問題については、無数の議論が継続中であり、今でも研究者たちがパンチを出し合っています。なお、グラフィックデザインのようなデザインの特定の領域については、ショーン氏が主張する直感的な議論が適切です。一方、人に影響を与える可能性のある厄介な問題を持つ領域については、直感だけではうまくいかないでしょう。

で、どういうこと?

私の個人的な意見では、デザインは科学と芸術の「両方」に根ざすことができると思っています。コンテキストや状況に応じて、アプローチを調整する必要があるだけなのです。この時期の研究者たちのおかげで、芸術と科学の理論からは独立した、デザイン理論の基盤がうまく作られました。今日の問題点は、直感に傾いておらず、厳密な評価が必要とされるデザインの実用性について、いまだに十分に調査できていないことです。

これまでの基本的なデザイン理論の旅を通じて、デザイン思考が何ら新しいものではないことが明らかになることを望みます。私たちが「最新の流行」として認識していることは、実は50年前から続く議論のテーマなのです。にも関わらず、デザイン思考は今まで社会に登場する準備が整っていませんでした。ようやくデザイン業界が成熟して、このコンセプトを明らかにできるようになりました。私たちは海岸に座り、デザインの新しい波を見守っています。つまり、デザイン思考の発展、その方法論とマインド、それまでに出てきたものすべてです。今後はどのように発展していくのでしょうか?最終的には、デザイナーやチームの内部的な処理ではなく、アウトプットを調査するようになるでしょう。言い換えれば、思考よりもデザイン思考の結果を評価するようになるでしょう。私たちは、デザイン思考が本当に素晴らしいものかどうかを問いかけ、そのためにデザイン思考の影響を定量化しなければならないでしょう。

次はどうなるの?

次の記事では、1990年代の方法論の競争に触れながら、最終的にデザイン思考までたどり着きます!

注意:本記事(および続編)は、私の博士課程の研究を要約したものです。これらの批判的考察を参照する場合は、どうか私の記事やアイデアも参照に含めるようにしてください。画像もすべて私に帰属します。ありがとう。おやすみなさい!

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角 征典 (@kdmsnr)
東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト

ワイクル株式会社 代表取締役 / 東京工業大学 特任講師 / 翻訳『リーダブルコード』『Running Lean』『Team Geek』『エクストリームプログラミング』他多数