ユーザーリサーチが独りよがりにならないために

先にデザイン思考におけるユーザーリサーチは、デザインチーム、ユーザー、周囲の関係者の間で共感し、ある程度共有された間主観的な視点を持つと述べましたが、そうは言いつつ、デザインする人の自己満足、思い込みになってしまわないのでしょうか。 — その恐れは大いにあります。ユーザーリサーチが独りよがりにならない工夫こそが、ユーザーリサーチの最大のポイントであるとも言えます。

市場調査は客観的な視点で分析するとも述べましたが、市場調査でも果たしてすべてが客観的に行われているかどうかはわかりません。そもそも調査の目的や仮説は純粋に論理だけで導き出されることはほとんどなく、調査する人の主観が入っているものです。データを集めるときに調査者が無意識に当たり前にしている前提が間違っていることや、導きたい結論を導き出してしまう傾向も見られます。調査の目的や仮説に関しては、本人が意識していれば主観が入ること自体は構わないと思いますし、要はどんな場合も自分の主観がどこにどのように入っているのかを自覚することのほうが重要です。

ユーザーリサーチにおいては、自分の感性や感情を思いっきり使ってよいとされているので、なおさら自分自身の主観を自覚し、それを他者に見てもらって反応を得ることが大事になります。他者との関わりを正しくおこなえば、ユーザーリサーチは一個人の主観以上のものになります。チームメンバーの多様性、チームの外部の多様な人と関わること、ユーザーのコンテクスト(文脈)を全体として理解すること、物語ることやプロトタイピングは、ユーザーリサーチが独りよがりになるのを防ぐ有効な手段になります。

多様性の意味

創造性のためには多様性が大切であることはしばしば言われていますが、その理由としては、さまざまな情報が得られることと、メンバーの異なる専門性、スキルを組み合わせると開発が効率的に進むということが挙げられていることがほとんどです。多様な情報の獲得、専門性も大切なのですが、実は単なる情報収集やスキルの獲得ではなく、デザインチームとして共感できる範囲が広がるということが大きいのではないかと私は思っています。

人間はまったく経験したことのないことは頭で理解できても自分の中で関連するイメージや感情、記憶がうまく喚起されないので、共感するには相手の経験の中にある程度自分の経験の中に共通するものを持っている必要があります。下図のように、デザインする人がユーザーと重ならない場合、ユーザー体験(実現されていない可能性も含めて)は、一個人の経験と共通する部分はごく限られているはずです。うまく重なる部分を膨らませることができればユーザーに喜ばれるものが作れるかもしれませんが、その部分をピンポイントで広げるのは至難の業です。だからこそ、独りよがりは成功しないのです。

しかし、チームメンバーが多様な場合はどうでしょう。さまざまなバックグラウンドや経歴の人が集まれば、一人一人はユーザー体験とごく一部しか重ならなくても、全体を合わせれば黄色のところまで共感できる経験が広がる可能性があります。チームの中では、濃密にコミュニケーションできますので、他のメンバーがピンとこないことでも、ユーザーと共通する部分を感じている人が熱心に自分の感じたことをチームメンバーに伝えれば、他のメンバーも共感できる部分を捉え直すことできるかもしれません。

さらに、チームメンバーの外側にはいろいろな関係者がいます。デザインプロセスの途上で、上司や同僚、外部の専門家、出資者などデザインチームに何らか関わる多様な人々と、ユーザー体験について感じたことを互いにやりとりすれば、彼らの共感をチームの共感に取り入れることができます。テーマによっては、友人、知人、家族と話してみるのも有効でしょう。

図:多様性と共感の広がり

コンテクスト含めた全体としての理解

ユーザーリサーチにおいては、ユーザーをとりまく環境やそれまでの経緯、他の関係者との相互作用などのコンテクスト(文脈)を含めてユーザーの体験を全体として理解することが大事だと述べました。親和図法などインタビューや観察などの結果をばらばらにしてカードに書いて、分類し、概念化する方法がいろいろ考案されていますが(うまくやればそのような方法も有効なのは確かなのですが)、要素に分解しすぎると、再び意味のあるコンセプトに組み立てるとき、自分の個人的な体験に基づいて再構成しがちです。コンテクストから切り離して情報を扱うと、ユーザーの体験から遠くなってしまうのです。ユーザーの言動をその背後にある事情や経緯と一体として扱って発想すると、デザインする人の独りよがりをある程度防ぐことができます。

物語ること、プロトタイピングの意味

ユーザーの言動を背後にある事情や経緯と一体として捉えるときに有効なのは、物語としての表現です。ユーザーリサーチにおける物語表現は事実に基づいているとはいえフィクションですから、実際におこったことをドキュメンタリーのように正確に再現する必要はありません。むしろ、ユーザー体験をその背景から順序立てて伝えること、その中で潜在的な問題や障害は何かを指し示すことを意識して、デザインチームが感じた共感を原動力に現実を再構成するのです。優れた映画や小説が時にノンフィクションよりも見事に現実を表現するように、物語ることは客観データより正確に現実を伝えることがあります。

物語ることは、物語の聴衆、つまりチームに協力してくれるかもしれない周りの人々と、デザインチームの両方に効果を及ぼします。まず、周りの人々が物語に通じて何か感じてくれれば、チームに協力してくれる可能性が高まるだけでなく、その反応が上の図に示したようにチームの共感の範囲を広げることにつながります。また、デザインチーム内でも、協力して台本をつくり、映像を撮影するなど物語るプロセス自体がユーザー体験についての共通した認識を深め、間主観性の<間>の部分を強化することができます。

ユーザーリサーチの段階でも簡易的なプロトタイプを用意することがあり、プロトタイピングは物語ること以上に、幅広い人に共感を与える力を持っています。言葉や絵や画像でどれだけ表現しても、実物が目の前にあるパワーには負けます。百聞は一見に如かずということです。プロトタイプをあまり早い段階に精緻に作りすぎると、プロトタイプで表現した方向に縛られて自由な発想ができないなど、注意するべきことはあるのですが、それは別の機会にゆずります。

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