全人格的理解 — デザイン思考におけるユーザーリサーチと市場調査の違い

デザイン思考におけるユーザーリサーチは、商品・サービスの開発の際に一般的におこなわれる市場調査とどこが違うのでしょうか。下表に示す通り、ユーザーリサーチと市場調査は、そもそもの目的、調査する人の視点、調査する人がどのように現実(データ)と接するのか、現実(データ)をどのように理解するのか、調査方法や得られた知見を評価する基準といった、かなり根本的な項目が異なります。

ユーザーリサーチの一番の目的は、デザインする人が発想の種を拾い、インスピレーションを広げることです。事実に基づきながらも発想は自由に広げてよいのですから、調査するときの視点は厳密に客観的である必要はありません。しかし、あまりにも主観的すぎて、個人の満足で終わる発想しか出てこないのも困りますので、ユーザーとデザインする人の間、デザインするチームメンバー同士、また周囲の関係する人々との関わりの中で共感し、関係する人の間である程度共有された<間>主観的な視点を持つことがポイントになります。また、ユーザーリサーチの段階では一つの結論を出す必要はなく、気づいたことは何でも、とりとめがないぐらいに拡散して発想しても構いません。

ユーザーリサーチの過程で接することのできた様々な情報は、デザインする人の思考だけでなく感覚、感情も使って処理します。身体で感じたことを大切にし、自分が今まで経験したことと結びつけることも積極的におこないます。論理的な思考による情報処理だけではなく、自分の持っている感覚、感情、身体、経験を総動員する全人格的な理解とでもいいましょうか。

ユーザーリサーチではデザインする人自身の持てる全人格を使うだけでなく、観察する対象であるユーザーも、ユーザーをとりまく環境やそれまでの経緯、他の関係者との相互作用などを含めたコンテクスト(文脈)を全体として理解します。リサーチの過程で出会った人々の言葉や行為は、いつどこでどのような状況下で生じたのか、過去にどのようなことがあった結果そうなったのか、他の関係者がどのように関わったのかということを知り、頭の中で論理的な言葉だけではなく、ストーリーとして再現できれば全体的な理解に近づくことができます。

よいユーザーリサーチの評価基準は究極的には一つ、デザインする人々の発想を刺激することです。一方、市場調査は、顧客のニーズが客観的な事実として存在するとして事実を確認するために情報を収集します。現実が見えにくいときは、調査する人が仮説を持って調査し、仮説が正しかったかどうかを確認します。観察の方法も分析の方法もあくまで客観的であることが求められ、調査の問い(例えば、顧客ニーズは何か)に対してさまざまな可能性を排除していって、最後に特定の解を導き出す分析的な思考がおこなわれます。

市場調査では、現実のさまざまな現象を論理的な言語で分類し、概念化し、概念間の関係を明らかにしていきます。例えば、車を自動運転化するとき、車の愛好家は自分が思うように運転する感覚が好きなので、完全に操作を自動化するのではなく、運転者が気づかないところで安全をサポートするような機能にしたほうが受け入れられる、という仮説があるとすると、車愛好家とはどんな人々なのか、自分で思うように運転する感覚が好きな程度はどのような聞き方をすればわかるのか、といった現実との対応関係をしっかりつけて、ユーザー一人一人に微妙に異なった事情や経歴などは含めず、あるセグメントの人の大多数に妥当する法則を見つけようとします。法則は論理的に正確に導かれ、何度調査しても同じ結論が出(信頼性)、同じ現象を違うように解釈にできる可能性(多義性)が少なく、重大な要因などの見落としがないことが望ましいとされます。インタビューや座談会など定性的な市場調査もありますが、アンケートや統計資料調査などの定量的な市場調査が多用されるのも、その方がコンテキスト(文脈)から分離して概念化し、多義性なく分析ができると考えられているからです。

ユーザーリサーチと市場調査の違いを述べて来ましたが、実際の製品開発プロジェクトなどでは、ユーザーリサーチと市場調査の両方が必要なことがほとんどです。市場調査をする人の持つ仮説は、無意識に調査する人の感覚、感情、経験も使って現実に接した結果出てくることが多いのです。また、ユーザーリサーチでアイディアを発想しただけですぐ製品・サービスを開発することはまずなく、実際にどれだけの人々が支持してくれるのか、どのようにしたらうまくいくのかについて仮説を持って検証していくことが欠かせません。ただ、通常の製品開発などでは、市場調査に関してはその方法を意識して組織的におこなうのに対し、発想の出発点となるユーザーリサーチはあまり方法を意識しておこなわれておらず、個人に任されている場合がほとんどです。市場調査のみをおこなう場合でも、少しでも新しい試みをする際には、最初にユーザーリサーチの方法を取り入れてみることは有益だと思います。