腑に落ちる — — デザイン思考はなぜ共感から始まるのか

デザイン思考のプロセスはまずユーザーを理解することから始まります。ユーザー理解の活動の中心となるのはユーザーやユーザーをとりまく状況に「共感する empathize」ことです。ビジネスのプランニングや製品・サービスを開発する立場の人にとっては、最初に共感せよというと、ちょっと違和感があるのではないでしょうか。最終的な製品やサービスがユーザーに共感され受け入れられることは大切と思っていても、デザインのプロセスの最初のステップでユーザーのニーズを捉えるのに、デザインする人自身が感情的になってはいけないのでは?たまたま共感した相手の情報をもとにデザインすると、多くの人に受け入れられない製品やサービスになるのでは?と感じるのだと思います。

通常のビジネスプランニングでも製品やサービスの開発でも、最初にユーザーの情報を集めてユーザーを理解しようとします。市場調査をおこない、なるべく大量の客観的なデータを集めます。データを集めるときは、サンプルが偏らないように、調査者の個人的な好みや感情を入れないように注意し、誰がやっても同じ結果が出る手法でデータを分析することが望ましいとされます。

ところが、ニーズが目に見えないときは、デザインする人自身の感情や個人的な経験を積極的に使って特定の相手に共感することこそが、ユーザーや多くの人々に受け入れられるものをつくる出発点なのです。特定の相手との個人的な感情を通して理解すると多くの人に受け入れられるものになる — -矛盾しているように聞こえるかもしれません。それはどうしてでしょうか。

共感という言葉については心理学や認知科学などの専門分野ではいろいろ厳密な定義あるところですが、ここでは自分と他者の目からの見え方、感じ方を理屈だけでなく自分の感情や経験や身体を通して実感として感じることとします。人間は、生まれてから他者から見ると世界はどう見えるのかを学習しながら成長します。他者の視点を学ぶことに通じて自己も相対的に確立していきます。世界と自分自身を理解するということは、他者の視点を取得することを通して行われるのです。大人になってもそれは変わりません。今までに出会ったことのないことを理解するには、赤ん坊が世界に出会った時のように、他者の視点からの見え方、感じ方を実感することが出発点になります。「腑に落ちる」という言葉が表している現象ですね。

腑に落ちるという意味での共感は、単に他者に感情移入する同情する(sympathize)こととは違います。同情というのは他者を自分と同一視して、他者の状況を自分のこととして感じているわけで、他人に端を発していても最終的には自分の中で閉じられてしまう感情です。同情を通して未知のことを理解しても、独りよがりになってしまうでしょう。

共感では、相手に自分に似たことがあるところがあると感じることはあっても、相手を自分と同一視することはなく、でも自分と完全に切り離して客観視しているのではない、その中間にある感覚です。また、同情は複数の人に向けることはあっても相手をひとまとめに集団として扱う傾向があるのに対し、共感は、違う状況、違うタイプにある相手に対してそれぞれ違った感覚で持つことができます。(この向き合う相手が多様であるということが、新しいものを生み出す時に決定的な意味を持ちます。)

実際には、相手に感情移入をしきってしまわず、他者の見え方、感じ方を自分の感情と経験を通して知ることは簡単ではありません。そのために、EDPでは、ユーザーにインタビューするとき、相手の言葉の表面的な意味だけでなく、相手の表情、態度、言外の意味、周りの環境、そこに至るまでの経緯などに気をつけています。また、なるべくユーザーが実際に活動する現場に行って身体で感じながら観察することも大事です。見聞きして感じたことをカスタマー・ジャーニーマップ、共感マップといった手法で表現したり、ストーリーボード、寸劇、映像などによってユーザーの体験を物語として語ることも、表現する人とそれを聞く人双方にとって腑に落ちるための工夫です。