SLUSH 2019とフィンランドのイノベーションエコシステム視察(東工大CBEC社会人テクノアントレプレナーコース)

「SLUSH(スラッシュ)」は、フィンランドの首都、ヘルシンキで毎年11月に開催されるスタートアップビジネスのイベントだ。2008年より始まり、2019年は25000人の参加者、3500社を超えるスタートアップ、2000を超える投資家が集まった。Aalto(アールト)大学の学生たちが始めたこのイベントは、現在でも50か国から集まる2000人のボランティアで運営されている。

2019年11月、東京工業大学CBEC(チーム志向越境型アントレプレナー育成)プログラムのテクノアントレプレナーコース(1年間)に参加する社会人受講生2名と共に私はSLUSHに参加した。今回の記事ではその体験を報告する。

企業の目線でのSLUSH2019の報告はウェブ上でも他に見つけることができる(本記事末尾参照)。

一方で本記事は、大学という学びの場が、どう社会のイノベーションに貢献できるかという視点からの報告が中心となる。執筆者はテクノアントレプレナーコースの中核を為すProject-Based Learning講義である「エンジニアリングデザインプロジェクト(EDP)」の担当教員であると同時に、宇宙工学の研究者である。

ヘルシンキ・ヴァンター国際空港に降り立つ

2019年11月19日、フィンランド・ヘルシンキ空港にて日本人社会人2名と合流した。入国したらそのロビーにSLUSHバッヂの受け取り窓口があり、そこではヘルシンキの公共交通の3日間乗り放題券も受け取ることができた。まさに国を挙げてのイベントだと感じた。

ちょうど後期のエンジニアリングデザインプロジェクト(EDP)の半分が終わり、それぞれが居るチームでなかなか良いプロダクト案が出ないと社会人参加者2人は悩んでいる様子だった。

なので4日間の視察のあいだじゅう、話題はたいていEDPで実施したインタビューの解釈について。どうやったらユーザーに共感できるだろう? どうやったらチームメンバーの皆が圧倒的当事者意識を抱けるような、新しいプロダクトにたどり着けるだろう? そういう問題意識を持ちながらヘルシンキ地区を巡った。

Aalto大学の施設見学:Aalto Design FactoryとStartup Sauna

SLUSHの前日、私たち東工大一行はエスポー市のイノベーションハブ「Espoo Innovation Garden」が主催する半日ツアーに参加させてもらった。エスポー市は、ヘルシンキ市の隣にある市であり、Aalto大学のキャンパスを擁する。「北欧で最大のイノベーションエコシステム」とのことである。

早朝の集合はAalto大学のDesign Factoryにて。Design Factory施設をぐるっと案内してもらうことができた。Aalto大学の全学の学生や、契約を結んだスタートアップ企業に施設が解放されており、アイデアをすぐにプロトタイプにできるものづくり設備がとても充実している。2階+地階の建物全体を占めている。

  • 年間およそ1500人の学生が利用し、40の講義が実施され、42000杯のコーヒーが飲まれる、という価値を壁に大きく提示していた。
  • 印象的だった言葉: 「大切なのは『Design Factoryに何があるか』ではなく、『何がないか』だ。ないものは、官僚的な手続きと、人間のヒエラルキーだ。」
  • 東工大EDPに類似するProduct Development Project (PdP)がやはり旗艦的な活動である様子で、丁寧な説明があった。
Aalto Design Factory, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

次に、Aalto大学キャンパスで、Design Factoryの隣にある建物へ移動。そこは「Startup Sauna」と名付けられたスタートアップアクセラレータの施設がある。驚くべきことに、この施設はAalto大学の学生たちが運営している。この学生たちの活動がSLUSHを生んだ。

  • 3週間の非常にハードルが低いコースで、学生たちが起業が体験できるアクセラレータプログラムがある。それを経て、9週間のフルコミットを要求するプログラムで、学生たちを起業へ導く。
  • 他に、ハッカソン、インターンなどの多くの活動が並走しており、Startup Saunaはそのハブとしての「場」を提供する。

Aalto大学では、Aalto Design FactoryとSatartup Saunaが隣接し、またPdPやAalto Ventures Programという全学から履修可能な教育プログラムが並行して動いている。多様な学生たちが出会い、プロトタイプを実際に作り、そしてスタートアップへ挑戦していけるような「場」ができている。

Startup Sauna, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

【番外編】 なお、このEspoo Inovation Gardenのツアーの翌日(SLUSH第1日目)、著者単独でAalto大学がヘルシンキ市内の劇場に一般参加者を集めて宇宙科学・工学の研究内容を教員陣がピッチするSLUSH side eventに参加した。そこではAalto大学学生たちが教員のトークの間にバンド演奏をしたり、スタンドアップコメディを演じたり、自由な空間が繰り広げられていた。大学とはこんなに自由で良いのだと感じさせてくれた。

Aalto University’s SLUSH Side Event, “Reaching for the Stars”, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

VTT(フィンランド技術研究センター)ショールーム(Aalto大学併設)訪問

フィンランド技術研究センター(VTT)社(有限責任会社)は、応用技術研究を行い、フィンランドの国立標準研究機関でもある。Aalto大学と併設してさまざまな研究施設を有している。そのショールームを訪問し、短時間だが説明を受けることができた。

  • VTTは「Sustainability」という大きなミッションを共有したイノベー
    ションエコシステムの主要な担い手として、リーダーシップをとっている。
  • 国の研究センターが、研究を実施するだけでなく、様々なセクターと連携し、研究成果の社会実装にまで積極的に関与している。
VTT showroom, Espoo, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

Business Finland / JETROイベント

以上が、SLUSH前日の午前の視察内容。同日午後は、エスポー市のAalto大学キャンパスを出発し、ヘルシンキ市へ戻ってBussiness Finland社(フィンランドの投資部門、Finnish Ministry of Employment and the Economy傘下)の建物へ移動した。

ここで開催された「Japan-Finland Gateway for Open Innovation Meetup」へ参加した。SLUSH Side Eventとして、日本貿易振興機構(JETRO)が主催したものである。

  • 会場が満席を超える盛況だった。登壇者は以下(敬称略)。
在フィンランド日本国大使館、JETRO
富士通、Nordic Ninja(投資会社)、DMM.make AKIBA、Nightingale Health(医療系スタートアップ)
神奈川県、横浜市、三重県、大阪市、神戸市、福岡県
  • フィンランドのすぐれたイノベーションエコシステムは、日本に
    とって魅力的な環境と言える。停滞する大国(日本)と台頭する小国(フィンランド)という良い組み合わせと感じられた。
JETRO’s SLUSH Side Event at Business Finland, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

SLUSH 2019

2日間のSLUSHが始まった。今年のSLUSHの規模は、参加者25000人、3500のスタートアップと2000の投資家。複数のステージで200人の登壇者が次々と講演・ピッチ・対談を行う。所狭しとブースが立ち並び、ミーティングスペースでの話し合いが盛況である。とにかく勢いがあるイベントで、これが大学生が開始したイベントだということに改めて驚く。

SLUSH 2019 (photo by H. Sakamoto)
  • 日本で語られがちな「どのような技術が」という話よりも、どのような社会を、どのようなサービスを実現したい、というビジョンが常に先行して述べられる。そして自身やチームの熱意(圧倒的当事者意識)をアピールして賛同者を募り、大きな資金を集めてそのビジョンを実現させる、という勢いがある。
  • 会場で、エスポー市傘下でビジネスイノベーションを推進するEspoo Marketing社の方にじっくりインタビューさせていただけた。エスポー市では産官学が密に連携してスタートアップを誘致している。
  • 韓国、中国、インドなどが大きなブースを出していたのに対し、日本からはJETROのブースでスタートアップ3社が説明をしていた。国としての参加の規模は大きくなかったと感じた。
  • 一方で、福岡市が単独でブースを出し、SLUSHと同じ建物内でSide Event(ピッチコンテスト)を実施していた。福岡市長も参加。日本勢としては突出した存在感があった。
SLUSH Side Event by Fukuoka City (photo by H. Sakamoto)

東工大テクノアントレプレナーコースの社会人参加者が、後日、以下のようなコメントをレポートとして提出してくれた。

(SLUSHでスタートアップが示していた)ソリューションは日本で聞いたことのあるようなものも多く、 アイディアが特別に新しいという印象は受けなかった。
アントレプナーは特別なアイディアがある人ではなく、 思いを持って行動起こすとが出来る人であると感じた。
やるかやらないの違いであり、誰でも(もちろん私も)素質があるという思いをもった。

執筆者の気づき

今回のフィンランドでのツアーでの私の気づきは以下だった。

  • フィンランドでは、官民学の各セクターが、特にトップダウンのリーダーシップはない状態で有機的に連携しながらスタートアップを育成している。フィンランドのヒエラルキーの低い社会環境がそれを容易にしている。また、VTT(フィンランド技術研究センター)がSustainabilityという大きなビジョンに基づき、社会が目指すべき具体的なゴールやステップを示す重要な役割を果たしている。

👉 誰々が主導しないから…などと人のせいにするのはもうやめよう。それよりも、人々がどんな生活をすることがより良いと自分たちが考えているのか、自分たちはそこでどう生きたいと思っているのか、という自身のビジョンを積極的に言語化し発信しよう。

  • フィンランドでは特に、豊かなセーフティーネットの存在も一因となり、人材の流動性が高い。このことがスタートアップの事例の多さに繋がっている。

👉 現状の日本とは大きく社会背景が異なり、日本では異なるアプローチがより適切だろうと感じた。日本でフィンランドと同じことを目指すのではなく、日本の高い技術とフィンランドの低ヒエラルキー環境を組み合わせるなどのアプローチだ。他国に先例がなくてもいいから、独自のアプローチでできることから始めよう。

  • 福岡市が活発なスタートアップ支援をSLUSHでアピールしていた事例のように、日本でも活動的なプレーヤーたちはいる。フィンランド・エスポー市は小さく実験し、学ぶサイクルを反復しイノベーションを実現してきた。

👉 日本でも小さくても良いので挑戦を続け、これまで思いもしなかった背景/セクターの人たちとつながっていくことが重要と感じた。新しいソリューションは、いまの私たちが想像しないところにあるはずだから、あれこれ考える前に動き、まずは小さな成功事例を目指していこう。

テクノアントレプレナープログラムの社会人の皆さん、テーマ提供企業の皆さん、そしてESD(エンジニアリングデザイン)コース大学院生たちとともに、東工大EDPが上記の実験を繰り返す場になるよう、今後とも活動していきたいと思います!

おまけ:ヘルシンキ中央図書館Oodi, November 2019 (photo by H. Sakamoto)

参考: 日本語で読めるSLUSH2019レポートを以下にいくつか紹介する。

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Hiraku Sakamoto
東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト

Associate Professor; Engineering Sciences and Design (ESD) Graduate Major, Department of Mechanical Engineering, Tokyo Institute of Technology, Japan.