問屋に問うてみた

多胡友弘(株式会社多胡代表取締役)

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「ヒト」
4 min readOct 28, 2017

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日本で最初の卸商業団地「高崎問屋街」50周年記念事業の一環として生まれた参加型アートプロジェクト「問ひ屋プロジェクト」。まちの魅力をつくりだすのは、何よりその場所で働き、生活する「人」。“問ひ屋”の魅力を掘り起こすために今回は多胡友弘さん(株式会社多胡 代表取締役)にお話を伺いました。 (写真撮影:木暮 伸也)

アーティストのガッツに惚れた。

ー7月18日〜20日にかけて、参加アーティストの山田悠さんのレジデンスを受け入れていただきましたが、いかがでしたか?

山田さんって ガッツがあるねぇ。若い娘が1人でウチの会社に夜泊まって、「何かあったらどうしよう」って考えたけど、彼女はあっけらかんとしてたからね。心配だからちょっと朝早く会社に行ったら、トイレで歯を磨いてて「おはようございます。」って言われて「合宿のノリだな」と思って驚いたよ(笑)

山田さんって、ウチの娘と恐らく同い年なんですよ。どういう人生を生きてきたかよく知らないけれど普通、知らない会社に1人で泊まって何かをするなんて思わないよ。普通の若い女性じゃやらないでしょ。彼女のそのガッツに惚れちゃったっていうか。やっぱり自分の中にこのプロジェクトに賭けるモチベーションがあるんだろうね。あそこまでなかなか出来る子はいないと思うよ。

彼女の芸術活動は、我々のような日常生活をしている人とちょっと違う感じがしたよ。会社の2階で、「そこは朝日が入るので、定点撮影したい」と聞いてそんな観点もあるのかと、目から鱗っていうか、ビックリしちゃった。あの子は凄いねえ。

お話を伺っていて、多胡さんは、アートの醍醐味というか、面白味を十分に感じとっていらっしゃいますね。もともとアートにご興味があったのですか?

どうだろう、あんまりそういうのは気にした事はないな。自分は芸術に関してそんなに感性が鋭いとは思わないけど、ただね、人の好き嫌いが激しいんですよ(笑)。それが、ある意味感性かもしれない。初対面で、「こいつはこっち側だなあ」、「ちょっと違う人だなあ」とか、見極めが厳しい。商売上あんまり良い事ではないのだろうけどね。

ー多胡さんの問屋街のつながりや、コミュニティについて教えてください。

問屋街の社長のほとんどが二代目三代目で、親の家業を継いでいる人が多い。そうすると、会社の中に同僚がいなくて、社長よりも年上のちょっとうるさい番頭さんみたいな人が必ずいるわけだ(笑)。そういう中で、他の社長と愚痴を言い合える横の繋がりは凄く貴重だね。

自分もそういう人たちとの交流でとても気持ちが楽になったり、ストレス解消になったりする。それぞれの商売によって悩みとか問題点とか様々だろうけど、やっぱり立場的には同じなので共有し合える。だから、未だに年齢差関係なくつながりを保ちつづけられるわけ。ここは問屋が集約しているから、電話1本でさっと集まれるし、支え合う仲間が近くにいるっていうのは凄く良いことだと思うな。

50年経つと商売も変わるものだよ。

ー元々、家業は継ぐ予定でしたか?

父親は、良い時代に商売を始めたから、売る事にあんまり努力が要らなかった。物が無い時代だから、物さえあれば売れたんだよね。それで、自分が大学を出た時、父親に「商売は頑張れば頑張るだけ自分のものになるのだから、絶対良いから継げ!」って言われて継ぐことにしたよ。今、自分が息子に同じ事が言えるかと聞かれたらちょっとわからないな。時代が違うし、商いをする環境も違う。やっぱり50年経つと変わるものだよなあ。

ー今、「高崎問屋街ってどんなところですか?」と訊ねられたらどう紹介しますか? また次の50年はどのような街になっていってほしいですか?

今、ここはハイブリットな街だと思うな。新たな業種・業態の企業が進出するだけでなく、大型マンションや大学まで進出している。飲食店、小売店、コンビニとかがたくさん出来て、働いても住んでも便利で、なにより交通の便が良い。

自ら変わっていかなければ次の50年は続かないと思うよ。“老舗”って言葉あるでしょ?あれはあんまり良いとは思えないんだよね。やっぱり時代に合わせてドンドン変わっていかないといけないし、そのためには新しい価値観や視点が必要じゃないかと思うな。それが出来る街になって欲しいよ。

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