一冊の本をつくるということ

「徳島パブリッシングスクール第1期」の1回目の講義が終了した。森哲平さんの「雑貨のための本」か、「本のための雑貨」か、という違いが今や明確でないという指摘が私にはとても印象的だった。講義では人気ECサイト『北欧、暮らしの道具店』の例が挙げられていたが、同サイトを見ると、カラー16Pの”リトルプレス”が280円で販売されている。いま(2016年10月)キャンペーン中で、買い物をすると「リトルプレス2冊に加えて、数量限定「レシピブック」をプレゼント」されるという。まさに「雑貨」なのか「本」なのか、だ。

また、今回の参加者に「好きな本」を聞いたところ、数人が地方のフリーペーパーをあげていたのだが、フリーペーパーも同じことかもしれない。そもそも地方のフリーペーパーはその地域をPRするためのもののはずだし、ましてや企業のPR誌ならなおさら。それが「宣伝物」の方が人気のわけだ。つまり「雑貨か本か」。ただ、もちろん行政や企業はそれをわかっていてやっているわけだから(そのために東京から制作チームを呼んでいる地方のフリーペーパーもあり)、これはこれで成功なのだろう。(話はズレるが、かつてのピンク映画のように「裸さえ出てれば文句ないだろ」と言わんばかりに、型破りの作品が数多く生まれたような「隙間」はもうないのだろうか。)

一方で、私が例にあげた京都にある誠光社。その店主であり、かつて京都の人気店「恵文社一乗寺店」の店長だった堀部篤史氏は恵文社時代を振り返り、インタビューでこんなことを言っている。(以下、すべて『スペクテイター36号』より)

一万円の本はめったに売れないけど、雑貨はぽんぽん売れていくので、当然雑貨の割合は増やしていきました。そうすると、どうしても”本ありき”というコアな部分の周辺にいるお客さんを、呼ばないといけなくなりますよね。
そのうちに、本好きなお客さんよりも、子ども連れのお客さんや、お土産を買っていく気分でやってくる観光客が増えていくわけです。
だんだんと客層が変わっていって、本屋というより観光名所みたいになってしまったという思いは強かったです。

「本を売るための雑貨」が、いつのまにか「雑貨を売るための本」どころか、雑貨ばかりが売れていくようになるという現実を経て誠光社を立ち上げることになる。ただ、これが大企業であれば本が売れなかろうとも、雑貨が売れれば良いわけだ。『北欧、暮らしの道具店』はどちらが売れたって良いわけである(もちろん高単価の雑貨を売りたいだろうが)。しかし、組織と個人は違う。堀部氏は言う。

合理的じゃないことは組織のシステムではできないことなんです。
本のキャプションを書くにしても、組織にとっては一冊しかない本よりも、五〇冊売れる本のキャプションに時間をかける方が合理的です。でも、僕はたとえ一冊しかない本でも「これはヤバい!」と思ったら、すごく長い文章を書いて紹介するようにしています

もちろん、今も昔も「一冊」に力を入れる人たちはたくさんおり、しかしその多くは本業があったり、家族に養ってもらっていたりという状況があるのがよくあるケースだが、誠光社と彼らが違うは、大きくなり続けないといけない宿命を持つ資本主義的な組織を一方で意識しながら、家族単位の小さな規模できちんと営業が成り立つことを証明しようとしていることだ。

どちらも「物語」がないとモノが売れない時代状況にあるということはさておき、「組織」がつくるモノが依然として人気がある一方で、「一つのモノ」を個人がその思いを込めてつくり(売り)、時間がかかってもきちんと売れれば成り立つという、考えてみれば当たり前のことに今まさに光が当たってきているのかもしれない。私も、趣味に限りなく近いながらも少部数できちんと生活が成り立つような「出版社」を目指していきたいもの。参加者のみなさんが、どんな「出版社」をつくるのか、とても楽しみである。

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