写真、文章、編集。「出版」のミニマムを考える

素材至上主義時代の到来

あっという間につくった、森が運営する図書館のウェブサイトby Medium

最近しばしば考えることがあって。いいすか、話しちゃって。長いぞ。

それはつまり「ウェブサイトって何なのさ?」ってことなんですけど。

いや、ウェブサイト。あるじゃないですか。ウェブデザイナーさんっていう「プロ」もいて、職業にもなってるんですけど、そのウェブ屋さんって多くの人にとって、必要なんですかねと。


下手なプロのカスタマイズより、テンプレートが絶対いい

というのも、最近、「プロ」に頼んでウェブサイト作ってる人から話聞くこと多いんですけど、まず、結構なお金がかかってるんですよね。さらに、時間。「ウェブサイト構築に数ヶ月かかってる」っていうんですよ。

小規模とはいえ、主にビジネスで使うサイトですわ。ビジネスで数ヶ月って、結構インパクトデカくないですか? そんだけ平気でクライアントを待たせてる、っていうんですよ。

で、まあ、時間がかかるのはよしとしましょう。いいもん作るのには時間がかかる、って話かもしんない。でも、それでできあがったサイトなんかも見たりするんですけど、ぶっちゃけた話、全然よくないんですよ。

たとえば「グーペ」ってサービスあるじゃないですか。月額1000円とかそんなんで初心者でも「プロみたいな」ホームページが作れるのだっていうんです。で、実際に見てみると、きれいだし、かわいい。メンテナンスもラクそうです。

で、グーペに月額いくら払ってつくった「素人」のページのほうが、見た目、イケてるんですよね。

それに見た目やデザインの問題だけじゃなくて。プロに頼んで作ってもらったってウェブサイト見たら、レイアウトが崩れてたり、スマホで閲覧すると非常に見づらかったり、「見た目」以前に、機能として大丈夫か?ってなものも少なくないんですよ。

グーペは所詮はテンプレートじゃないかって思う人がいるかもしれないけど、ウェブ屋にお金払ってホームページ作るって言っても、まあ、いろんなやり方ありますが、たいていはWordPressとかあんなんのテンプレートを買ってきて、それをいじって作るわけです。

で、テンプレートでは満足できない機能やデザインを加え「カスタマイズ」してくってことだと思うんですけど、「カスタマイズする」ってことは「例外になる」ってことです。テンプレだけなら発生しない問題もいろいろ出てくる。自由度と規格化によるメリットはトレードオフなんですよね。

腕のあるウェブ屋さんの仕事は否定しません。けれども、中途半端なプロに頼んで初期費用で数十万払うよりは、安いテンプレートを買ってきて、月額サービスでウェブつくっちゃったほうが、安くて早くて、モノもいいんですよ。


テンプレート化が進むと「素材」勝負になる

テンプレート化していても「かっこいいサイト」と「そうでもないサイト」に分かれる。おもしろくて、たくさん人に読まれてるサイトと、そうでないサイトに分かれる。

違いは何なんでしょう?

ぶっちゃけ「素材」なんですよね。そこにある写真。イラスト。文章なんですよ。

「ウェブサイトをつくる」つったって、結局のところやっているのは、①素材を集めて、②それをレイアウトし、③適切に機能させる(表示させる)だけです。昔は②③が大変でしたが、今ならテンプレートがある。結局、①の素材でしか違いが出てこない、ってことです。

実際、よく見られている投稿、読まれている記事は、単純に素材がいい記事ですね。媒体はいろんなものがある。LINEブログかもしれないし、mediumかもしれない。noteかもしれないし、Instagramかもしれない。

けれども、どれだっていいんですよ。中の記事が興味深けりゃ読むし、退屈なら読まない。皆さんもそうじゃないですか?


ウェブサイトは簡単につくれるが「おもしろいウェブサイト」をつくるのは難しい

今の時代、ウェブサイトは簡単に作れる。この記事が入ってるトクシマ・パブリッシング・プロジェクトだって「ウェブサイト」だし、つい先日も思いつきで、ぼくが運営している図書館の「ウェブサイト」を作った。

数時間かけて適当に(オイ!)記事をいくつか書き、レイアウトを選んだだけ。すぐに「それっぽい」ものはできてしまった。Googleアナリティクスを埋め込んだり、独自ドメインを設定するにしても、そんなに時間はかからないだろう。少なくとも「数ヶ月」も待った挙句、将来にわたり、面倒なメンテナンスを抱え込むことはない。

図書館に来る人たちと雑談しているうちに「Podcastとかラジオみたいなこともしてみたいよねー」という話になった。早速、mixcloudというサービスでアカウントを作成。音声データを、タダで容量無制限でアップできるという。

で、まあ、昼に皆で持ち寄りランチ会しながらのダベりを、手元のiPhoneで録音。その場で、一番おもしろかった会話部分だけを、iPhoneのボイスレコーダーアプリで適当にちょん切って、その場でアップロード。

「Podcastのタイトル、何にしよう」「JASRACでいいんじゃね?」と、その場で適当に名前も決めた。名前なんていつでも変えられるし、JASRAC。発音しやすくて、いい名前だ。

一人でコンテンツ作るのも大変だから、 Yuko Shikishimaさんにブックレビュー書いてと依頼した。早速書いてくれた。これもランチ食べながら、ダベりながら、その場で写真貼っつけたり「編集」して、アップロード。

やってないけど、動画だって同じように簡単に作れるだろう。まあ、今更な話なんだが、ウェブサイトなんて本当に簡単に作れてしまう。問題はそれがおもしろいかどうかだ。ランチのときの会話や、敷島さんのブックレビューそのもの。それがおもしろければおもしろいし、つまらなかったらつまらない。

「おもしろい」を見つけたり、生み出すのは本当に難しい。ウェブサイトは簡単につくれるが、「おもしろいウェブサイト」をつくるのは難しいのだ。


出版とウェブサイトに本質的な違いはない

ウェブサイトの話ばかりしてきたが、出版もまったく同じだなと。というか、ぼくは出版とウェブサイトに本質的な差はないと考えてる。

実際、tumblrやmediumで、複数のライターの記事を集めたウェブサイトは、もう、これ、ほとんど「雑誌」だろう。

すごく時間をかけて、きれいにつくってあるんだけど、中の記事、どれもおもしろくない紙の雑誌と、まあ、ぶっちゃけもらった記事をSNSのテンプレート通りに配置しただけなんだけど、どの記事も興味深い「ウェブマガジン」と。

どっちが読みたい?

自分にそう聞いてみると答えは明らかなんですよね。


おもしろい文章を書こう! いい写真を撮ろう!

そうなると結局、結論、ここに落ち着くなあと。どれだけおもしろい文章が書けるか。いい写真を取れるか。素材がすべてだなと。

文章も書けないし、写真も撮れないって?

そういう人はおもしろいウェブサイト、出版はできないのか。

「おもしろいことができない」人でも「おもしろい」ものは作れます。それが「編集」という能力です。

要するに、おもしろい書き手を見つけてくる、おもしろい人材を発掘する。一番おもしろさが伝わるように形を変える。編集。すなわち、これですよ。

漫才にはボケとツッコミってあるじゃないですか。おもしろいこと言うのがボケ。おもしろさを「わかりやすいかたちにして」「伝える」のがツッコミです。

それでいくと、おもしろい書き手やイラストレーター、フォトグラファーは「ボケ」、編集は「ツッコミ」なんですよね。

ツッコミに必要なのは、①おもしろさに気づいてそれを拾うことと、②おもしろく、おもしろいまま伝わるように「翻訳する」こと。この2つだけです。

世の中には「絶対的なおもしろさ」というのは実はない。「おもしろがる」視点に相対的にしか「おもしろさ」って存在しないんです。誰にも気づかれなかったら、その「おもしろさ」はこの世に存在しないのと同じ。

つまり、つまらないものでも見方によっちゃあおもしろいし、おもしろいものをつまらなくする視点だってある。

もっとややこしいことを言いますよ。「つまらないというおもしろさ」や「おもしろいものをつまらなくしてしまうことのつまらなさ、というおもしろさ」や「つまらなさをつまらながるつまらなさのおもしろさ」なんてものだってある。なんか橋本治みたいなこと言ってるな(笑)。

この文章も、今は素材を雑に放り投げて、出していますけど、うまくすればもっとおもしろいものになるかもしれない。

「おもしろい」を発見しよう。
それをもっと「おもしろく」しよう。

ビートルズだって歌ってるじゃないですか。take a sad song, and make it better.

最初はサッドソングでもいいと思うんですよね。なんでもいい。とにかく作っちゃう。で、メイクイットベター。よく変えていけばいい。

十分によくなってから印刷するのが紙。適当に出して後からよくしてくことだってできるのがウェブ。違いはそこだけだと思います。

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