報道でデータビジュアリゼーションは必要なのか[最終回-2] — データジャーナリズムとは?

Marika Katanuma
TOKYObeta Journal
Published in
6 min readJan 10, 2016

前回の記事で、データジャーナリズムとは「量的&質的な情報を組み合わせた報道」とした。今回は、事例をもとに、その量×質の報道について考えてみる。

データ分析×地道な取材

イメージ: Boston University Storytelling with Data 公式ウェブサイト

昨年の夏、わたしはボストン大学で調査報道の授業を履修した。そのとき教わっていたMaggie Mulvihill 教授(マギー先生)の勧めで、教授自身が主催するデータジャーナリズムのワークショップ(Storytelling with Data) に運営ボランティア兼参加者として参加させてもらった。

参加者は、5日間でデータを使ったストーリーテリングに必要な7つのスキル(データ収集・データ検討・データ抽出・データクリーニング・データ分析・データビジュアリゼーション・データを織り交ぜたコンテンツ制作)をハンズオン形式で学んだ。

実は、このワークショップ期間中に上がった議論もまた「量的&質的な情報」についてだった。参加者から「データジャーナリズムが広まるほど、記者が情報源をデータ(量的な情報)に頼るようになる。そのため、実際に人を取材する機会(質的な情報)が減るのでは?」という声が上がり、それを断固と否定したマギー先生を今でもよく覚えている。

マギー先生は、データの分析と地道な取材のコンビネーションこそが、データジャーナリズムであるとし、例としてサウスカロライナ州チャールストンの日刊紙 The Post and Courierが発表したTill death do us partという調査報道を紹介した。

Till death do us partからわかる質×量のデータジャーナリズム

イメージ: Till Death Do Us Partウェブページ

Till death do us part「サウスカロライナ州でDV(ドメスティックバイオレンス)により死亡した女性の人数が、同州のイラク戦争とアフガニスタン紛争で戦死した兵士の合計人数の3倍以上」という衝撃的なリード文からはじまる。この調査報道は、The post and Courierがサウスカロライナ州の深刻なDVの問題に迫り、2015年度のピューリッツァー賞を受賞した。

この報道は、The post and Courierウェブサイトに全7回で連載され、データビジュアリゼーションやビデオのコンテンツなどを含む。全7回の連載後も、サウスカロライナ州のDVに関する記事をまとめたページで、近況を更新し続けている。(最終の更新は2015年10月)

数字から見えてきた事実

この報道の決め手となった情報源は、あらゆる機関から集められたデータを分析することにある。データ分析などしたことのなかった記者たちは、非営利のメディア団体(Center for Investigative Reporting)協力のもと、政府や非営利団体のデータを照らし合わせ、独自のデータベースを作成するまでに成長した。その結果、サウスカロライナ州の異常なまでに多いDVによる死亡事件と、サウスカロライナ州のDV事件や*銃に関する法規制に関連性があるという発見にまでこぎつけた。サウスカロライナ州では、他州とくらべていずれの規制も緩いという。*DVの死亡事件の約10件に7件は射殺によるもの。

取材から見えてきた背景

しかし、問題(サウスカロライナ州ではDV事件や銃に関する法規制が緩い)の背景が数字からはわからなかった。問題の背景は、量的に測ることのできない文化や、その土地に根ずく慣習に隠されている場合が多いからだ。

記者たちは、データ分析のみに頼らず、自ら現場で取材を続けた。100人を超えるDV被害者やその家族、加害者、カウンセラーや州警察に話を聞いて回り、家庭内において、男性の女性に対する保守的な考え方が、今もなお世代を超えて親から子へ受け継がれている慣習に気づいた。そしてこの慣習が、司法の場にも自然と受け継がれ、サウスカロライナ州のDVに関する法規制の緩さに影響を与えていたのだった。

苦手をカバーし合うのがデータジャーナリズム

データジャーナリズムとは、量的&質的な情報を掛け合わせて、お互いの情報の苦手を補った報道のスタイルである。

サウスカロライナ州の事例からわかるように、量的な情報は、客観的に物事の全体像を把握したり、それを比較するときに役立つ。サウスカロライナ州のDVの死亡事件数を他州と比べることで、その問題の重大さが明らかになった。その反面、数字に変換できない文化や人の感情(目に見えないもの)を見落としてしまう可能性がある。

その目に見えないものをくみ取れるのが質的な情報であり、今回の場合は100人以上のDV被害者やその家族などの取材にあたる。その反面、数字のように測ることができないため、情報にバイアスがかかり、客観性に欠ける危険性がある。

結局・・・データジャーナリズムはただのジャーナリズム

データジャーナリズムの目的は、従来のジャーナリズムと変わらず「重要なニュースを人々に伝えること」である。

データジャーナリズムと聞くと、デザインやプログラミングなどによるデータの分析や見せ方(データビジュアリゼーション)に注目してしまいがちになる。しかし、その全てのプロセスの根底には、人々に伝えたいストーリー(ニュース)があり、そのストーリーには必ず人が関係している。テクノロジーの発展や日々増え続けるデータをうまく報道で活用し、人々が知るべきストーリーを伝えるデータジャーナリズムは、決して今までのジャーナリズムからかけ離れたものではないのだ。

「それ(データジャーナリズム)は、ただのジャーナリズム/「It’s just journalism.」by The Guardian

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