嶋タケシ 【第八回】

* この物語はフィクションです。

彼は同時にゴジラと同じサイズの、素焼き風のハニワも作っていたのだ。

タケシは大学院の最終審査会を公開のパフォーマンス仕立てにしたいと教授たちを説得した。会場となった芸大ギャラリーには、青海波の屏風四〇枚がセットされ、その真ん中にゴジラとハニワが並んで立っていた。正面に、審査をする教授たちの席が用意され、その周りには、タケシが何か面白いことをするらしいという噂を聞きつけた同級生や後輩たちが集まっていた。むかしの、カルマの公演のような熱気だった。タケシの作品には、《六年間の結婚生活にもかかわらず決してあたたかな家庭を築くことはできませんでした》という妙なタイトルが付けられていた。壁には、披露宴の招待状を模した、往復葉書式の印刷物や、「ハニワに注意」という漫画も貼られていた。

最終審査会でのパフォーマンス、《ゴジラとハニワの結婚式》が始まった。タケシは黒い服にネクタイ姿で、司会役としてマイクを通して語り始めた。

「みなさん、本日はお日柄もよく、ゴジラくんとハニワさんの結婚披露宴にお集まりいただき、ありがとうございます」

それを合図に、京都情報社の中心的な存在で人気者のジュンが、ギターを弾きながらさだまさしの「関白宣言」を歌い始めた。

「ゴジラくんはエネルギーの塊、熱いやつ。特に何かやりたいとかどこに行きたいとか思わず、ただ散歩してるだけなのだけれど、ついついビルとかを壊してしまいます」

同級生が笑った。緊張していた空間が和み、観客がぐっと場面に入り込んできた。

「ハニワさんは、中身はないのだけど、なんだか権威にあふれていて、なんだか偉そうにしている美術さん。二人は六年間に渡る、愛のない同棲生活を続けていたのだけど、ついに卒業を間近に控え、ようやく結婚することになりました。おめでとう」

なんだか妙な空気に教授たちはざわつきはじめた。

「それではここで来賓の方々に祝辞を述べていただこうと思います」

わたしは、タケシから頼まれていた台本のようなものを教授たちに配った。

タケシの担当だった東野ヒデオ教授は、渡された祝辞を真面目に読もうとした。

「ゴジラくん、おめでとう。ようやく美術というハニワと結婚できるんだね……」

しかし、すぐに読むのをやめ、「美術というハニワ」の箇所をもう一度口に出し、顔を引きつらせた。

「なんなんやこれは!」

美術の制度についての皮肉だということがわかり、東野先生は激怒した。

「いきなり美術への侮辱を読ませるなんて、こんなひどいんはない!」

「嶋くんはぼくたちをバカにしとるんか!」

「言いたいことがあるんやったら、先に話し合うべきやろ!」

ほかの教授たちも、口々に怒りをあらわにした。しかしタケシは動じず、淡々と司会進行役を演じ、ジュンは「関白宣言」をループで歌い続けている。

学科長の山木カズコ先生は、鋭い目でタケシを見つめながら「まあよろしいやないですか。最後までやりなはれ」と語りかけた。近くで見ていた彫刻科の岩清水ユズル先生は、「無茶やりよる」とニヤニヤしていた。陶芸科の武藤アツシ先生は、真面目な顔で「大失敗しとるなあ」とつぶやいた。観客もそれぞれ、面白がったり心配したりしながら、成り行きを見守った。

最終的に染織科の教授たちはパフォーマンスに加わるのを拒否し、祝辞は一切読んでもらえなかった。その最悪な空気の中、タケシは即興的に祝辞を一人で読み上げた。「結婚おめでとう!」。観客からパラパラと拍手が湧いた。

卒業式当日、大学の中心にある丸池の横で、タケシはもう一つパフォーマンスを行った。名目としてはミニライブで、みなが別れを惜しんでいる時間を演出する、というものだった。丸池の水際には、例のハニワが佇んでいた。R&B調のラブソング中心で構成したライブが終わる時、タケシはマイクで語りかけた。

「みなさんありがとう。ぼくたちの学校ありがとう。今日これから美術のハニワさんを池に沈め、お別れをします」

京都情報社の後輩たちが四人、黒いスーツ姿で出てきて、ハニワを担ぎ上げ、「せーの!」という掛け声とともに池の中に放り込んだ。美術という制度からの卒業を意味する儀式だった。丸池の周りを取り囲んでいた学生たちから、歓声と拍手が起こった。

謝恩会のあとの二次会会場で、タケシと合流した。コウタが赴任先のニューヨークから戻ってきており、大阪で働いているレイイチにも声をかけて、みんなで久しぶりに飲もうということになっていた。

「さっき武藤先生がぼくのところに来て、きみのハニワはなかなかよく焼けている、ってほめてもらっちゃったんだ」と、タケシはわたしに言った。

「あれって野焼きじゃないんでしょ」

「おかげさまで、って言っちゃった。ほんとはコンクリートなんだけど」

「あはは」

「武藤先生、ごめんなさい」

タケシは武藤先生の去って行ったと思われる方向に頭を下げた。

「そういえば武藤先生には、一年の時「壮大に失敗しろ」って言われた。覚えてる?」

「当時はなんだかややこしいこと言ってるなって思っていたけどね」

「みんな優しい先生だったんじゃない?」

「考えてみると、ぼくらが自由にやってること、誰も束縛しなかったよね。講評会の時とかは気難しいこと言ってきたけど、最終的には、ぼくらがやることを許してくれた」

「むしろ、守ってくれていたね」

「何をやっても許される場所だった。妙なことを喜んでくれて、応援してくれた」

二次会を出て、レイイチとコウタに合流した。レイイチは最近本気でエロ漫画を描き始めたらしい。コウタはファッション関係の商社の仕事をしており、真っ白い羽のコートをまとって、見違えるほど綺麗になっていた。

「タケシ、聞いたよー! なんか派手にやらかしたんだって?」

コウタが楽しそうに声をかけた。

「よう学位もらえたな」

レイイチがからかうように言った。

「さすが、うちの学校だよね」

タケシは嬉しそうだった。

コウタが、「サトミの展示の話は聞いてないけど?」と、わたしの方を向いて言った。

わたしはにっこり笑った。

「わたし、展示しなかった。先生たちに相談して、論文書いて、作品の代わりにさせてもらったの」

「うそやん!」

「いや、ほんと、ほんと」

「なにについて書いたの?」

「自分が絵画を描かない理由。タイトルは《具体美術協会、前衛、ヘタうま――そして絵画からの脱却》」

「面白そうやん」とレイイチが言った。

「最後、カルマのことも書いたよ。わたしが手伝ったタケシのパフォーマンスも書いた」

「え、そうなの? ぼく、知らなかった」とタケシがちょっと驚いて言った。

「タケシのパフォーマンスって、文章にすると支離滅裂に見えるから、まとめるのに苦労したわ」とわたしは笑った。「でもおかげで、書く内容には困らなかった。先生たちも、「新しい展開が出て来ているのかな」とか言って、無事、審査通過」

コウタが「Good girl(いい子ね)! 」と言った。わたしたちはハイタッチした。

「このあとどうするん?」

「わたし、東京の区立美術館でバイトすることになった。働きながら、正規の学芸員を目指す」

「たくさんの美術作家たちのマネージャーになるんやな」

レイイチが感慨深そうに言った。

「レイイチは漫画描き始めたんだって?」

「そうや、本格的に勉強中や、働きながらやけどな。エロやぞ。エロ」

「コウタはどうなの?」

「もーたいへーん! 世界は広かったってことかな〜」

それぞれがこの二年間のことを話すだけで時間はいくらあっても足りなかった。

その時、タケシがこんなことを言った。

「サトミもコウタもレイイチもなんだか自分を獲得してる。すごいな」

「自分を獲得してるってなんやねん」

「なんていうかな、ぼくは大学院まで出たのに自分をまだ全然獲得していないって気がする。美術ともお別れしちゃったし、自分もつかめていないし、何の肩書きも獲得していない」

「社会に出れば、そんなことゆうてる暇なんかないぞ」レイイチがタケシの肩に腕をまわして、体を揺すった。「まあ、お前は大丈夫。自分を信じて行け」

コウタが、反対側からタケシの肩に腕をまわし、もう一方の手でわたしの手を握った。この人たちと出会い、関係を深めた時間が、かけがえのないものだったという想いが胸を貫いた。きっともう四人で会えることはそうないだろう。でも、彼らとの時間によって自分のなかに生まれたものが、これからの自分を動かし続けるだろうということを、わたしは確信していた。きっとみなも、多かれ少なかれ同じ想いだったと思う。

美術のハニワ(つまり、美術という制度)とお別れをしたはずのタケシだったが、修了制作展の一連の作品について現代思想研究者の篠原資明が美術雑誌の展評で取り上げ、新世代の作家として注目された。第一回牛窓国際芸術祭[1]のキュレーターで、美術評論家の千葉成夫の評論集でも、これからの時代を切り拓く作家として紹介された。また、東野芳明率いる多摩美術大学芸術学科が企画した「第二回タマ・ヴィヴァン」展(八五年)に招待作家として出品。続いて、同時代表現の展示で定評のあった、横浜市民ギャラリーの「今日の作家展’85」(八五年)、原美術館の「ハラ・アニュアルⅣ」(八六年)[2]にも招待された。当時の新人作家の登竜門に、ことごとく出品したことになる。大学院を出たばかりの作家としては、とても順調なスタートを切ったのだった。

しかし、タケシが自らOS(オペレーション・システム)と呼ぶ、独創的な芸術活動に入っていくまでには、まだいくつかの紆余曲折を経ることになる。それは次の物語で語られることになるだろう。

(おわり)

[1] 第一回牛窓国際芸術祭は、1984年、岡山県牛窓町のオリーブ園を中心に開催された芸術祭。当時第一回というより第0回という位置付けで、ほとんど予算がなく、岡山大学の学生と、東京藝術大学と京都市立芸術大学で行っていたフジヤマゲイシャ展出品者の有志が参加した。岡山大学出身の作家たちはそれ以前にあった野外彫刻展の形式を踏襲していたが、タケシたち学生は公民館で合宿しながら、パワーショベルなどを使い、オリーブ園の斜面を表現空間として捉えた作品など、大胆な取り組みを行っていた。タケシは「刺激的な合宿で、自分はかなり楽しんだが、みな、ほとんど作家扱いされず、運営側の不手際に怒りをぶつけた友人たちも多かった」と振り返っている。その後、牛窓国際芸術祭は92年まで続き、その間アニッシュ・カプーアなどが招待作家として出品するなど、かなり面白い展開を見せることになる。

[2] 「ハラ・アニュアルⅣ」のカタログには美術評論家、峯村敏明が寄稿し、嶋タケシ作品について論じている。タケシはキャリアの最初期から、千葉成夫、東野芳明ら、当時を代表する評論家、キュレーターたちに注目されていたことが窺える。

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著者:

倉沢サトミ(くらさわ・さとみ)

藤浩志と金澤韻が「嶋タケシ」を書くためのユニット名であり、作中、嶋タケシの学生時代の友人として語り部となる、架空の人物。

藤 浩志(ふじ・ひろし)

1960年、鹿児島生まれ。美術家。京都市立芸術大学大学院修了。パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所、藤浩志企画制作室、十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学大学院教授・NPO法人アーツセンターあきた理事長。国内外のアートプロジェクト、展覧会に出品多数。一九九二年藤浩志企画制作室を設立し「地域」に「協力関係・適正技術」を利用した手法でイメージを導き出す表現の探求をはじめる。

金澤 韻(かなざわ・こだま)

1973年、神奈川県生まれ。現代美術キュレーター。上智大学文学部卒、東京藝術大学大学院、英国王立芸術大学院(RCA)修了。公立美術館に十二年勤務したのち独立。これまで国内外で五十以上の展覧会企画に携わる。

編集協力:

十和田市現代美術館

※ 小説「嶋タケシ」は、十和田市現代美術館にて2019年4月13日(土)〜9月1日(日)に開催される企画展「ウソから出た、まこと」の、プロジェクトの一つです。

*追記(2019年4月12日):当初、第八回は非公開の予定でしたが、小説をより多くのみなさまにお楽しみいただくため、全体を公開することにしました。十和田市現代美術館では、小説に登場する作品や当時の貴重な資料、映像を展示し、小説の世界をより深くお楽しみいただけるようになっておりますので、どうぞ会場へも足をお運びください。

展覧会ウェブサイト:

http://towadaartcenter.com/exhibitions/chiiki-community-art/