嶋タケシ 【第六回】

* この物語はフィクションです。

「アートネットワーク’83 — さまざまな相互作用 — 」というタイトルの、記念すべき手作りアートプロジェクトは、1983年八月に開催された。京都市内の数カ所で同時開催の展覧会という形だった。キュレーターがいたわけでもなく、コーディネーターがいたわけでもない。だから次々と噴出する問題に、マネジメント担当のわたしとタカコが必死に対応した。出品作家は大学院の同級生を中心に先輩や後輩に声をかけ、噂を聞いた大先輩達も出品協力してくれることになり、総勢四〇名が出品する大規模な展覧会となった。

参加作家をそれぞれの会場に振り分けてからは、それぞれの作家の自主性に委ねられた。各自会場と調整して、搬入設置は全部自費だった。チラシも二一〇ミリ平方の正方形というフォーマットを決め、あとは各自自由に制作してもらった。全体のマップと開催情報、コンセプトを書いたものをレコードジャケットのイメージで制作し(当時はまだレコードの時代だった。あの黒くて薄くて丸いやつ)、すべてのチラシがそこに束ねられた。ありがたいことに、会場はほとんどが無償で使わせてもらうことができた。

タケシは「鴨川に直接関わりたい」と、三条鴨川と河原町商店街の両方で同時に展示する計画を立てはじめた。

「自分と向き合うとろくなことがないから、自分と関係ないもの作ったほうがいいなーと思って」、タケシが選んだ題材は鯉のぼりと招き猫だった。「まあ、なんでもいいんだけどね。鯉のぼりとか招き猫なら、みんなわかりやすい形だから、見てくれるかなと」

タケシはこの展示のために、大学の染織科の工房をほぼ独り占めして、友禅の技法を使った五メートルの鯉のぼり十五体と、一メートルの高さの招き猫七十体を、毎日染め続けていた。鯉のぼりは裏表両側五メートルずつ染めて縫い合わせるので一匹につき一〇メートル染めることになる。十五匹だから全部で一五〇メートル、招き猫は体長一メートルとはいえ七〇匹いるから七〇メートルの布を染めることになる。なかなか大変な作業だった。わたしは事務局の隙間を見つけて、たまに手伝いに行った。タケシに「こっち持って」とか「あそこに干してきて」とか言われた通りに動いていた。頭を使わないでいると、よい気分転換になった。

「前も話したけど、実家の大島紬は完全に分業なんだよね」と、タケシが作業しながら話した。「図案を描く人、図案から糸に染めつけるパターンを設計する人、パターンに合わせて糸を束ねて絞める人、その糸を染める人、それを織る人。細かい柄だと図案制作から完成まで二年ぐらいかかるのもある。だから一人でぜんぶ作る、〈作品〉って、なんだろう、って思ってた」

「近代の産物だね」

「うん。でも単純にさあ、一人でできることって限界あるよね」

「そうだね……小さくなりがちだよね」

「カルマやってて思ったけど、みんなで作る方がスケールも思考も大きくなるよね」

複数で作ると「まとめるのが大変」ってなる人も多いはずなのだけど、タケシとわたしは、カルマでの体験でそれが「できる」という感覚を掴んでいた。

「ぼくさあ、絵とか彫刻とか、モノとしての作品作るのやっぱりピンとこなくて。学部時代から大きいもの作ってきたんだけど、それってモノじゃなくて空間作ってたのかなと」

「ああ、あれ? キリンビールと、《ハッポウニラミノリュウモドキ》?」

大学では一年に一度、みなが京都市美術館で展示することになっていた。展示の幅は、一人二メートルと決められていたけれど、高さには制限がないと聞いて、タケシは天井まで高さのある、和紙にキリンビールを染め抜いた作品を展示した。次の年には、天井を覆う十メートル四方の作品を制作した。妙心寺法堂にある狩野探幽の天井画、「八方睨みの龍」をモチーフにしていた。

「龍の作品も大きかったけど、今回は最大じゃない?」

「そうだね。招き猫は河原町商店街のお店の前に点々と置いて、鯉のぼりは鴨川に展示したいんだよね」

「それは……大きい空間展示ってことになるね」

「でも空間を作りたいわけじゃないって最近気づいてきたんだ」

「空間をつくるインスタレーションじゃないの?」

「インスタレーションって言われても、ピンとこない。何か出来事みたいなこと作ろうとしているのかなって」

インスタレーションという言葉自体、当時まだ新しくて、みながその「空間全体がキャンバス」という考え方に慣れようとしていた。でもタケシはその先を考えているみたいだった。

「出来事……」

「まだ自分でもよくわからないけど」

本当に、まだわからないでいたのだと思う。タケシは作業を続ける自分の手元に視線を落として、黙ってしまった。わたしは話題を変えた。

「タケシ、ところで、この制作費って、けっこうかかってるんじゃないの?」

「そう、大変。だから後輩に頼んで大学のお祭りのデコレーションの予算もらっちゃった」

「デコレーションの予算?」

「今度の四芸祭[1]は京都開催だろ。大学内を飾りつける予算が十万円あって、それを使わせてもらうことにした。鯉のぼりをデコレーションとして、まず学内の空にたなびかせるんだ。で、そのあと鴨川でぼくの展示になる」

「さすが! タケシってさあ、けっこう戦略家だよね」

「そうでもないと思うけど」と、タケシはニヤッとした。「そろそろ鴨川も河原町商店街も、展示の交渉を始めないといけないんだよね……」

ところが、展示の交渉はうまくいかなかった。招き猫を置いてもらいたいと河原町の商店街を一軒ずつ回ったが、全部断られてしまった。結局、新しくできた商業ビルや、ほかの作家が展示するギャラリーなど、五ヶ所ほどに分散させて展示するほかなかった。それは妥協できるにしても、問題は鯉のぼりだ。こちらは、川で展示しなくては意味がない。

開催期日が迫っていた。ある日、現場の進行状況を確認するために、一年生の時によく皆で集まっていた鴨川沿いのからふねや喫茶店でタケシと待ち合わせをした。鯉のぼりを設置する川面が良く見える、大きく開いたガラス窓沿いの席に座った。

進行状況を聞くと、かなり苦戦していた。

彼が最初に訪れたのは、三条大橋の横にある交番だ。

タケシ:「あの、芸大の学生なんですが・・・、鯉のぼりを鴨川に展示したいのですが、どうすればいいんでしょうか?」

警官:「ここは派出所やからね、そういう話は本署に行ってね」

タケシ:「あの、絵を描いたんですが見てもらえますか?」

警官:「いや、絵見せられてもここは派出所やからね」

タケシ:「どこに行ったらいいでしょうか」

警官:「本署行って聞いてね。本署ね」

次は本署、五条警察署。

タケシ:「あの、すみません。鴨川に鯉のぼりを展示しようと思っているんですけど……」

職員:「そんな話をここでされてもなぁ。役所にゆきなはれ」

タケシ:「絵を描いてきたんですけど見てもらえますか?」

職員:「そんな話はここではなくて、役所です」

タケシ:「五メートルの染めた鯉のぼりを十五匹、川の中に設置したいと思って」

職員:「そんなんあかんのとちゃいますか。役所ゆきなはれ」

タケシ:「交番で本署に行くといいと聞いてこちらにきたんですけど……」

職員:「役所や、役所、役所」

今度は市役所に行った。

タケシ:「あの……。僕は芸大の大学院の……」

職員:「どのようなご用件でしょう」

タケシ:「あの……、鴨川に鯉のぼりを十五匹ほど設置しようと思ってまして」

職員:「はい? おっしゃっている意味がわかりませんが……どちらをお訪ねでしょうか?」

タケシ:「それが……、いったいどこに行けばいいのか、わからなくて……あの、絵を描いてきたんですが、見てもらってもよいでしょうか」

職員:「こちらで見せられても困りますので……。結局、どのようなご用件でしょうか?」

タケシ:「鴨川に鯉のぼりを設置するには、どこで許可を得ればいいのでしょうか」

職員:「わかりました。では企画課の方へ行って聞いてみてください。企画課は三階に上がっていただいて…」

タケシ:「ありがとうございます!」

最後は三階企画課だ。

タケシ:「あのお、すみません。どなたか…」

職員:「はい、どなたをお訪ねですか?」

タケシ:「いや、あのー、鴨川に鯉のぼりを設置したいと思いまして…」

職員:「は? なんですか? なんのご用件でしょうか?」

タケシ:「あのお、鴨川にですね、三条大橋のところなんですが、鯉のぼりを染めまして、それを…」

職員:「なんの話ですやろか?」

タケシ:「鴨川に鯉のぼりを設置したいんです…」

職員:「そんなん、あかん、あかん」

タケシ:「一応、絵を描いてきてるんですが…」

職員:「そんなん、ここ持ってこられても困るし……あかんあかん」

タケシ:「あの、話だけでも聞いてもらえませんでしょうか?」

職員:「あかんあかん、こっちはな、忙しいんや。あかんあかん」

「あかんあかん、そんなんあかん、忙しいんや、あかんあかん……ってかんじで全然聞いてもらえんかった」

と、タケシは悲しそうに言った。

「とにかくみんな、自分は関わり合いたくないっていう感じ。立場の対応っていうのかな……。ぼくは、許可とかよりも、まずちゃんと絵を見てもらって、話を聞いてもらいたかった。誰でもいいからさ。でも誰も見てくれないし、話を聞いてもくれないんだ」

わたしはタケシに交渉を手伝おうかと申し出たが、精神的なダメージが大きかったらしい。

「もう嫌な思いはしたくない」とあっさり断られた。

「どうせ誰も興味なんかないんだ」

しばらく無口になって二人で鴨川の川面に視線を投げていた。

わたしはタケシに言った。

「誰も自分のことじゃないと思ってるんだからさあ、勝手に展示しちゃえば?」

タケシは、「ぼくもずっとそう思ってたんだ!」と、珍しく重く低い声で答えた。

そういうわけで、鯉のぼりのゲリラ設置が決定した。

当日はマモルや他の後輩たちが手伝いに来た。朝五時に集合。みなで鴨川の中に入ってゆく。八月だというのに川の流れは冷たかった。川底は思いのほか不安定で水流も強く、気をぬくと足元をすくわれ流されそうになった。まず三条大橋の橋桁を利用して、両岸を繋ぐように長さが四〇メートル、太さ一〇ミリのワイヤーロープを固定する。鯉のぼりの口には鉄を溶接して作った輪が縫い込まれていて、その中心に止められた三〇メートルから五メートルまで長さの異なるワイヤーケーブルを、ひとつずつバランスを見ながら、橋桁のワイヤーロープに止めてゆく。当時はまだ川を見下ろすところに走っていた京阪電車が走り始め、早朝の電車に乗り込む客たちが、わたしたちの作業を面白そうに眺めていた。

大きなトラブルもなく、予定していた段取り通り、設置作業は約二時間で終了した。わたしたちは三条大橋の上から、鴨川の中の巨大な鯉のぼりを眺めた。みな、すごく満足していた。川面が朝日を反射してキラキラと光り、流れに合わせて、鯉のぼりがゆらゆら、ひらひらと泳いでいた。向こうには京都の街、その向こうには山の稜線が見えた。わたしたちのいる大きい空間を感じた。鯉のぼりの上をすべっていく水の優しさを感じた。美しい時間だった。そして、しばらくすると、京阪電車に乗り込む人や三条大橋を歩く人の歓声が聴こえ始めた。

その日の夕方は、大きな倉庫をリノベーションしてできたライブハウスABX[2]を借りて、「アートネットワーク83」のオープニングイベントが開催された。カルマの後輩で音楽を担当していた新岡ケンジが、彼の高校時代の音楽仲間、河原ワタルと二人でパフォーマンスをした。

当時まだ珍しかったシンセサイザーをワタルが即興的に演奏しているかたわらで、ケンジは木枠に張り巡らされたゴムの壁から抜け出そうとしている。必死さと、軽妙さが混じり合った、新鮮なイメージを観客に投げかけた。みな面白がりながらも、胸を打たれていた。初めて見るケンジのパフォーマンスに、「ケンジは、ああいうのがやりたかったんだ」と、わたしはタケシに語りかけた。「うん……」タケシの目はケンジの動きを真剣に追っかけていた。このイベントは、新しいパフォーマンスの時代が始まることを予言していた。ケンジがマモルと一緒に、カルマをダムタイプ・シアターに脱皮させるのは、翌年のことだ。彼らはのちに世界に名を轟かせるパフォーマンス集団へと成長していくのだが、それはまた別の物語になるだろう。

代表のアキオが、挨拶で熱い思いを語った。乾杯のあと、ステージでは別のバンドのライブが始まった。会場は満員で熱気があり、少し息苦しくなったのでわたしはタケシとサトシを誘って外に出た。交通量の多い五条通り沿いのライブハウスの入り口で、一日の疲れを感じながらも充実した時間に浸っていた。そこに後輩が二人やってきた。

「嶋さんの鴨川の作品ってどこにあるんですか?」

「三条やけど」

「なかったですよ」

「そんなことないと思うよ。三条大橋の下の鴨川の中だよ」

「橋の下まで潜り込んでは見てないですけど……。でも結構探しました。何もなかったですよ」

「そんなことはないでしょ、結構しっかりつけたから、流されるわけはないし」

そこにマモルが「鯉のぼりがなくなってる!」と駆け込んできた。わたしたち四人は慌てて現場に行った。十三体の鯉のぼりたちは、すべてきれいにいなくなっていた。みなショックだったが、タケシはひとり、呑気な感じで、

「あれ撤去するの、大変だよ! よく十三体も引き上げて持って行ったねー」などと言う。

「え、そこ?」と誰かが聞いた。

「もったいないけど、あれが欲しい泥棒がいたなら、まあいいかなと」と、タケシは答えた。

「タケシにとっては、鯉のぼりそのものは作品じゃないから、いいってことか……」とわたしは言った。

「今朝見た光景が作品なんですね」とマモルが言った。

びっくりしたのは翌日だった。新聞にでかでかとタケシの作品が載っていた。「鴨川に鯉のぼりが十三匹現わる!?」と題したその記事は、誰が、どんな目的で鯉のぼりを設置したのか不明とあり、また京都府土木課が撤去したと書いてあった。

そしてタケシのもとには大学から連絡が入っていた。「すぐに府の土木課に行け」と。

つづく

[1]国公立の四つの美術大学、東京藝術大学、京都市立芸術大学、金沢美術工芸大学、愛知県立芸術大学が毎年一回、開催校を持ち回りで行う文化スポーツの交流会。主に部活動単位での対抗戦などが開催されるが、展示会などのイベントも開催された。タケシはバレーボール部だったが、四芸祭のつながりで東京の友人もでき、その誘いで関東周辺での展覧会や屋外イベントなどを行うようになっていた。

[2] 当時の京都では新しいタイプの、大きな倉庫をリノベーションしてつくられたライブハウスで、海外からも注目されているバンドなどが来てライブを行っていた。タケシはここで、チラシを床に敷き詰めるパフォーマンスや、川に流す前の鯉のぼりの展示、またレゲエバンドのバックでライブペインティングをするなど、アーティストとしての仕事をもらいはじめた。

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著者:

倉沢サトミ(くらさわ・さとみ)

藤浩志と金澤韻が「嶋タケシ」を書くためのユニット名であり、作中、嶋タケシの学生時代の友人として語り部となる、架空の人物。

藤 浩志(ふじ・ひろし)

1960年、鹿児島生まれ。美術家。京都市立芸術大学大学院修了。パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所、藤浩志企画制作室、十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学大学院教授・NPO法人アーツセンターあきた理事長。国内外のアートプロジェクト、展覧会に出品多数。一九九二年藤浩志企画制作室を設立し「地域」に「協力関係・適正技術」を利用した手法でイメージを導き出す表現の探求をはじめる。

金澤 韻(かなざわ・こだま)

1973年、神奈川県生まれ。現代美術キュレーター。上智大学文学部卒、東京藝術大学大学院、英国王立芸術大学院(RCA)修了。公立美術館に十二年勤務したのち独立。これまで国内外で五十以上の展覧会企画に携わる。

編集協力:

十和田市現代美術館

※ 小説「嶋タケシ」は、十和田市現代美術館にて2019年4月13日(土)〜9月1日(日)に開催される企画展「ウソから出た、まこと」の、プロジェクトの一つです。約4万5千字のテキストのうち、約3万9千字を7回に分けてインターネット上で無料公開します。最後の部分は展覧会場、および後日出版される書籍にてお読みいただけます。

*追記(2019年4月12日):小説をより多くのみなさまにお楽しみいただくため、全体を公開することにしました。十和田市現代美術館では、小説に登場する作品や当時の貴重な資料、映像を展示し、小説の世界をより深くお楽しみいただけるようになっておりますので、どうぞ会場へも足をお運びください。

展覧会ウェブサイト:

http://towadaartcenter.com/exhibitions/chiiki-community-art/