嶋タケシ 【第四回】

* この物語はフィクションです。

わたしたちは三回生になった。タケシの高校の後輩だった高島田マモルをはじめ、のちに座カルマの屋台骨となっていくメンバーが新入生としてごそっと入団してきた。コウタは、荷が重いからと、タケシに座長をゆずった。

タケシは新入生の特技を見極めて勧誘する技術に長けていた。

「大道具うまそうだからちょっとだけ手伝ってくれへんか?」

「君の演奏聞いたけど、いい音作るね。音楽で手伝ってくれない?」

「なんだかすごくいい声してる。いい演技もできそうだね」

そうやって、言葉巧みに新入生を誘い込んでいった。

座カルマでは脚本も演出も役者も大道具・小道具も、誰がやるとはっきり決まっているわけではなく、みながアイデアを持ち寄り、それぞれのやりたいことをつなぎ合わせて、ひとつの舞台を作っていた。純粋に、そのほうが面白かったのだ。演出もシーンによって担当を変えたりした。

わたしもタケシも、コウタもレイイチも舞台に上がった。発声練習はみなで話し合って、つかこうへいや如月小春の脚本を読むことにした。そのほうが、純粋に、やる気が出た。

大学の講義棟の一番端にある広めのL–11教室を利用し始めてすでに2年が経ち、天井のあちこちにフックが打ち込まれ、すぐに布が張れるようになっていた。安い真っ黒の防水シートを使って部屋を完全に暗転させることができるようにしたのは、タケシたちの発明だった。カーテンレールを天井にたくさんつけて、テント芝居でよくあるような舞台転換も工夫した。照明は海苔の缶の底に穴を開けて作った、いかにも手作りのものだった。電気の容量についての知識もまったく無しに配電盤を作って、最初はブレーカーが落ちまくっていた。アルバイトでお金を貯めて大きな変圧器を購入し、フェイドアウト、フェイドインの照明効果ができるようにした。音響はラジカセを使い、そばにカセットテープをずらっと並べ、次々と入れ替えて再生していた。公演を重ねながら、骨董品店でスピーカーを手に入れて、会場のあちこちにそれを仕込んで、いろいろなところから音が出るようにしていった。

そんなレベルの舞台でも、わたしたちの公演はいつも満員で、立ち見が出ていた。次の春公演「港町純情」の成功で、学外からの固定ファンも増えて、関西の学生演劇としては注目される存在となった。[1]

コウタは女装して舞台に立つようになっていた。その姿は、不思議な魅力を放っていた。すでにYMOをはじめ多くの男性が化粧してテレビに出ていたし、少女向けの漫画雑誌では男性同士の恋愛も描かれるようになっていて[2]、「男と女」という固定化した観念をゆさぶる表現は珍しくなくなっていた。それにしても、同級生がそれをやることの威力はすごいものがあった。ただでさえ、舞台で演じる人は輝いて見えるものだけど、コウタの人気はひときわ高かった。

もうこの頃には、わたしははっきりとコウタに惹かれていたと思う。みなと同じように、舞台の上で違う世界に連れていってくれる彼が好きだった。でも何より、彼と話している時、わたしはもっとも自然で、自分らしくいられた。彼とは何でも忌憚なく話せた。意見がいつも一緒というわけではなかったけれど、お互いの好き嫌いや、ものの見方を比べてみるのが楽しかった。

だからコウタがある日、「サトミ、話があるんやけど」と喫茶店に誘ってきた時にはドキドキした。わたしたちがわざわざ二人だけの時間を作ることは、これまでなかったから。

コウタはテーブルについて少ししてから、「ぼく、男が好きやって気がついた」と言った。

「サトミには言っておこうと思って」

わたしは二の句が告げなかった。身の回りのものが、変に遠くに見えるような感じがした。心が体から隔たって、衝撃をやり過ごしていたのかもしれない。少し経ってから、わたしはやっと、「わかった」と言った。

彼はわたしの好意を察していたに違いなかった。好きになるなと、釘を刺しにきたのかなとも思った。でもずっとわたしの目を見ているコウタを見て、これは、わたしに対する最大限の優しさなのだと感じた。いつから、とか、誰が好きなのか、とか、そういう疑問が頭に浮かんではきたが、すべて野蛮に感じられたので、口にするのをためらって、黙っていた。するとコウタは自分から話し始めた。

「舞台で女装するようになって、どんどん自分ってこうやったんやと思い始めて。気がつかへんうちに、ずっと閉じ込めてたんやと思う」と言った。「みんなと演劇やってきて、よかった。それを言っとこうと思って」

「そっか。よかった。わたしもコウタとカルマがやれて、よかったよ」

そのあと、わたしたちはいつものように、学校のことや何かで読んだことなんかをしゃべって、別れた。

少し時間が経つと、なぜコウタといるときに楽に感じたのか、その理由がだんだんわかってきた。女として見られていなかった、というわけだ。わたしの中で、世界がひっくり返ったような感じと、望みが叶わなかった悔しさと、自分の邪さを後ろめたく思う気持ちが混ざり合った。帰宅後、さすがに湧き上がる感情をどうすることもできず、枕に顔を押し付けて「うおおおー!」とすごい声を出して泣いた。三十分くらいすると濁った感情がなくなって、空っぽの心のまま、わたしはしばらく呆然としていた。そしてそのあと、不思議と静かな、落ち着いた気分になってきた。

わたしは何も失っていない。そう思った。これから男とか女とか、付き合うとか将来のこととかをまったく心配せずに、コウタと親しい友達でいられる、その事実がわたしを自由な気持ちにさせた。と同時に、世界がひっくり返った、この感じを、大切にしていこうと思った。それまで全く気がつかないでいた世界の広がりをひとつ、発見したのだから。

「で、レイイチとはどうなってるの?」

座カルマで仲の良かった小野エイコがわたしに聞いてきた。五月のあの日からしばらく経って、コウタと一人の後輩男子の仲が誰の目にも明らかになり、近しい友人には、わたしが失恋したということがなんとなくバレてもいた。だからこの質問に、彼女のいたわりが混じっているのをそこはかとなく感じていた。

「レイイチね……、実は前に、なんかたぶん彼からデートに誘われそうになって……」

「お!」

「で、来るかなーって思った瞬間に、誰かがレイイチにぶつかって、バサバサーってなんかカバンから落ちて」

「うん」

「はっ、て見たら、漫画の原稿で……女の子の太ももが描いてあるのが見えて……」

「え……」

「ロリ系でエロ系の漫画なんだなってことは分かった」

「レイイチ、漫画描いてたんだ……不思議はないけど。それで?」

「一緒に拾おうとしたけど拒否されて、……またね、って去っていってしまった」

「ありゃ。それっきり?」

「うん。まあ、わたし、エロ漫画がどうこうとかは全くないんだけど、彼にとってタイミングは悪かったのかも。でも、レイイチはもう後輩女子と付き合い始めたみたいよ」

「そうだったのか。あの子かな」

「知ってるんだ」

「最初からレイイチ狙ってた」

「わたし、四月に聞かれたんだよね。サトミさんはレイイチさんと付き合ってるんですか、って」

「素晴らしい積極性。見習わないと」

わたしは曖昧な返事をした。レイイチが自分ではなく、ほかの女の子に向いて、実は妙にホッとしていたのだ。彼とはずっと友達でいたかった。そして実際、彼はわたしの願い通り、私の大学時代を通じて、辛い時にはいつも助けてくれる一番の友達でいてくれることになる。

「じゃあ、タケシとはどうなってるの?」

「タケシとは、恋愛とかないなあ……」

「あんなに一緒にいるのに?」

「演劇のことだからね、ぜんぶ」

だんだんわかってきたのだけれど、わたしとタケシは同類で、同年代の仲間たちに比べれば、恋愛そのものにはさほど興味がなかった。コウタとの一件で認識することになったが、わたしは女の役割に落とし込まれるのをいつも無意識に避けていた。そのせいで、寄って来る男の子たちを、だいたい面倒だと思っていた。

タケシは、恋愛に興味がある素振りをまったく見せなかった。あるいはまだ、考えたことがなかったのかもしれない。いずれにせよ、彼といるのは楽だった。

「タケシ、後輩にめっちゃ人気あるから。気をつけなよ」

と彼女は言った。気をつける、の意味はわからなかったけど、確かに、後輩たちの目にタケシはすごく素敵に見えたに違いない。全体を見渡すバランス感覚、作り物を工夫する情熱。学校や他の組織との調整役も精力的にこなしていた。目指す理想は高かったけど、人にきつく当たるということはなかった。「オモロイこと」を最優先し、よい発言は、後輩だろうが誰だろうが評価した。わたしはタケシから、多くを学んだと思う。みんなを笑わせ、面白がらせ、煽る。それでいろんなアイデアを言わせて、脚本に取り入れていく。みんなでつくるということを、タケシはそれがさも当たり前のように、実践していた。

エイコがわたしたちの仲をいぶかしんだのも当然で、あの頃、わたしとタケシはカルマを中心に生活していた。「いかにメンバーみんなの興味と関心を引き出すか」、「いかに観客の心を掴んで操るか」、そういうことに取り組みながら、「わたしたちがやりたいことはなんだろう」とお互いに問い続けていた。学校の課題もやってはいたけど、そこで話されている「構図」だったり「技法」だったり、あるいは美術や工芸の歴史や、セオリーだったりが、狭く、硬く、小さいものに思えた。そんなつまらないものに拘泥して、できてくるものが結局つまらないなら、何の意味もない。誰も幸せにしない「美術」は、やる意味がない――。学部時代にわたしとタケシが共有していたのは、そんな感覚だった。

その年の秋公演、「黄金遁走曲」はわたしたちの代のクライマックスだった。上海を舞台にしたシナリオで、わたしたちは背景に大きなドラゴンの絵を描いた。ダンボールで作ったバイクにまたがって、タケシは豪快なスパイとしてステージに登場した。コウタは主人公を惑わす、妖艶な美女だった。マモルたち後輩がキャバレーのショウをノリノリで演じた。それぞれの幕ごとに演出する担当者とチームを変えることで、まったく違うシーンをつくることができるようになっていた。ゴージャスでチープで、テンポの良いエンターテイメントは観客に大ウケした。

この成功で、わたしもタケシも、舞台づくりにかけてはかなりの自信を築いた。タケシは終演後に、「この劇場という閉鎖空間の中で、どうすればみんなが息を飲んで、どうすれば泣いて、どうすれば拍手喝采するのか、手に取るようにわかる」とわたしに言った。

それは、学生がつかむ達成感としては、圧倒的なものだった。

三、籠る。閉じる。落ちる。

三年生最後の制作展で、妙心寺法堂の天井画[3]をモチーフにした、一〇メートル四方の臈纈染作品をつくって以来、タケシの言動がおかしくなった。

四回生の春公演、現代の病院を舞台に天女の羽衣伝説を描いた「羽衣病棟」は、後輩たちが中心となって制作したこともあってか、タケシはほとんど練習に姿を見せなかった。四回生になり、自分の制作活動に力を入れたいということかとも思ったけれど、たまに学校で会っても、あまり目を合わせず、言葉も少なかった。

「タケシ、最近おかしくない?」と、何人かがわたしに言ってきた。

「臈纈染のロウを落とすシンナーで、中毒になったみたい」、「シンナー中毒になりそうだったから、タバコを吸い始めたらしい」という噂もささやかれた。

タケシがデッサン室に籠っているという情報を聞いてこっそり見に行ったら、必死でヌードデッサンをしていた。いつもの、みんなの意見を聞いて「それオモロイ」とか言って笑っているタケシとは、あまりにムードが違うので、わたしはちょっと奇妙な気分になり、声をかけずに戻った。

染織専攻で毎年行っている着物展は、進級するためには必ず出品しないといけない展覧会だった。タケシは全裸の女性が後ろから抱きついているような柄を、おびただしい数の真っ黒い糸の縫い目によって制作した。それは異様な雰囲気だった。その次の制作展でも、ボロボロに朽ち果てた五メートルほどのカーテンに四人の等身大の裸の女性が、やはりおびただしい数のミシンの縫い目の刺繍で描かれているものを出品した。合評会でもほとんどタケシは語らず、「女性の体毛や髪の毛を描いています」、とだけ話してあとは黙っていたらしい。

劇団座カルマの秋の公演「ペコちゃんホラーショー」は四回生の引退公演で、タケシは役者として舞台に立った。その演技は観客の心を捉えていたが、準備段階では一切顔を出さず、舞台を作る情熱はどこかに消えてしまったようだった。最終公演が終わってみんなで反省会をしようと集まった時、タケシの姿はなかった。わたしは、むかしよく一緒に発声練習をした、非常階段から上がっていく校舎の屋上に行ってみた。そこには、小雨が降る中、タバコを吸いながら暗闇を見つめるタケシがいた。タケシはわたしに気づいてちょっと涙を拭うような仕草をした。

わたしは思わず、「ごめん。邪魔した?」と訊いた。

タケシは何かを語らなければと思ったのだろう。言葉を探して、口を開いた。

「サトミ、ぼくらさあ、劇場で光を当てられて、自由に空間を操れた。いい活動ができてたよね」とタケシは独り言のように語りかけてきた。

「でも劇場から一歩外に出ると、外は暗闇なんだ。ぼくらは外の空間に何の影響も与えることができない。劇場の外には無限に、広く膨大な社会が広がっているんだよね」

小雨とはいえ、肌寒い時期だから体が冷えた。タケシに声をかけて、反省会が始まると告げたいのに、そのタイミングをはかりかねた。タケシは続けた。

「その広がる社会にぼくらの日常があって、劇場の中や美術館の中は非日常でしかない。この日常を超える活動を、ぼくは演劇空間じゃなく、この日常空間で作らなければならないと思っている。日常に非日常の空間は、どうやれば作れるんだろう」

わたしはどう答えればいいかわからなかった。いまそういうことを訊かれても、寒くて、丁寧に考えられない。

「タケシ、それ、問いが大きすぎるよ。ごめん、みんな下で反省会してるから」と言って、わたしは下に降りた。タケシは戻ってこなかった。あのとき、隣に座って、もっと話を聞いてあげればよかったのかもしれない。

つづく

[1] わたしたちの活動に大きな影響のあった利賀フェスティバルについて触れておきたい。これは早稲田小劇場(SCOT)の鈴木忠志が1976年より富山県利賀村に拠点を移したことがきっかけとなって、1982年より利賀村で始まった国際演劇祭。磯崎新による屋外劇場も整備され毎年開催されるようになった。わたしたちはその第一回目から劇団座カルマの夏合宿として訪れ、海外のパフォーマンスグループの影響を受け、演劇人とのネットワークを広げた。このことは、のちに座カルマがダムタイプへ進化していくきっかけになったと思う。また利賀フェスティバルは、過疎地だった利賀村が演劇の聖地として国際的に注目され、交流人口が拡大したことから、地域における芸術祭の先駆けとしてとして注目されてきた。この点で、タケシの芸術活動に何らかの影響を及ぼしていることは想像にかたくない。

[2] 竹宮惠子や萩尾望都らが少女漫画を舞台に男性同士の関係を描き始めたのは、わたしたちが大学生活を始める少し前のことだった。この動きは漫画表現のみならず日本の文化史、精神史に大きな変革をもたらすことになる。個人的には、ちょうど1980年に「LaLa」で連載が始まった、山岸凉子「日出処の天子」の、蘇我蝦夷に恋する厩戸皇子を、驚きとともに熱中して見守った覚えがある。

[3] 妙心寺の法堂の天井にある龍雲図は狩野探幽が五十五歳の時に約八年かけて描いたと言われる。目が円形の中心に配置されていて、入り口から見ると龍が降りてきているように見え、反対側から見あげると昇り龍に見える。そのため俗称「八方睨みの龍」と呼ばれている。タケシはこの天井画の不思議なしかけを検証するため、染色で模写を試みていた。

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著者:

倉沢サトミ(くらさわ・さとみ)

藤浩志と金澤韻が「嶋タケシ」を書くためのユニット名であり、作中、嶋タケシの学生時代の友人として語り部となる、架空の人物。

藤 浩志(ふじ・ひろし)

1960年、鹿児島生まれ。美術家。京都市立芸術大学大学院修了。パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画事務所、藤浩志企画制作室、十和田市現代美術館館長を経て秋田公立美術大学大学院教授・NPO法人アーツセンターあきた理事長。国内外のアートプロジェクト、展覧会に出品多数。一九九二年藤浩志企画制作室を設立し「地域」に「協力関係・適正技術」を利用した手法でイメージを導き出す表現の探求をはじめる。

金澤 韻(かなざわ・こだま)

1973年、神奈川県生まれ。現代美術キュレーター。上智大学文学部卒、東京藝術大学大学院、英国王立芸術大学院(RCA)修了。公立美術館に十二年勤務したのち独立。これまで国内外で五十以上の展覧会企画に携わる。

編集協力:

十和田市現代美術館

※ 小説「嶋タケシ」は、十和田市現代美術館にて2019年4月13日(土)〜9月1日(日)に開催される企画展「ウソから出た、まこと」の、プロジェクトの一つです。約4万5千字のテキストのうち、約3万9千字を7回に分けてインターネット上で無料公開します。最後の部分は展覧会場、および後日出版される書籍にてお読みいただけます。

*追記(2019年4月12日):小説をより多くのみなさまにお楽しみいただくため、全体を公開することにしました。十和田市現代美術館では、小説に登場する作品や当時の貴重な資料、映像を展示し、小説の世界をより深くお楽しみいただけるようになっておりますので、どうぞ会場へも足をお運びください。

展覧会ウェブサイト:

http://towadaartcenter.com/exhibitions/chiiki-community-art/