旅に溺れることは、けっこう生産的だったりする

僕は逃避するために、旅行する。

逃避行動って、酒、女、引きこもり、あとは他人への異常な干渉とか他にも幾つかあるんだろうけれど、なるべく旅行を選ぶようにしたいと思っている。酒と女は事が終わった後、結局停滞していることに気づいてしまう恐ろしさがあるし、というかあるのだろうし(自身はお酒が弱いので酒に溺れることができないし、度胸がないので派手な遊びはできない)、ましてや他人への依存ほどかっこ悪いものはないのでそういうのはなるたけ避けたい。

逃避行動としての旅行に関して言えば、それ自体がネガティブなのだけれど、ずいぶんましな方だと思っていて。なぜなら、少なくとも身の回りには直接的な迷惑をかけないし、とりあえず前進している気になれるからだ。

突き詰めれば、旅行による逃避も一種の停滞なのだろうけれど、街から街へ、国から国へ移動し続けることで成長しているような錯覚を味わえるというか。これは実際には幻想にすぎないが、旅から醒めても停滞はないし、むしろ爽快な気分でいられる。

これは、逃避が錯覚を通じて何かに昇華したとかなんとかいう小難しい話ではなくて、とりあえず進み続けることに由来する現象だと思う。逃避行動は、旅においては何かに向かう進行行動と置き換わるのだ。内から外へ外へと向かうベクトルは旅においてはパワーになるのだから当たり前か。

そう思うと、旅に溺れることは、けっこう生産的だったりする。

酒に弱い体質でよかったなあとか思う。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.