変わりゆく日々にアンカーを打つ「templize」された場の大切さ

中村 真広
tsukuruba
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4 min readMar 31, 2018

今週はETICの高校生向けプログラム「MAKERS UNIVERSITY U18」に参戦。参戦する起業家たちは、月曜に高校生たちにお題を出し、そのお題に集うメンバーでチームを作り、金曜に彼ら彼女たちが導き出した答えを起業家にぶつける。そんなプログラムだ。(というと簡単だが、そのウラには色んなドラマがあったはず。)

僕の出したお題は「都市と自然の新しい関係性を見出す」。

東京で働き、東京に住む人々(自分含む)は、人間のために設計された都市のなかで予測可能で予定された日々を生きがちだ。カレンダーはGoogleに管理してもらっているし、移動もアプリでタクシーも呼べるし、電車もバスも最短経路を教えてくれる。東京にいると、全てが狂わないようにできている完璧主義なシステムのなかで生きているような気さえしてくる。

もちろん、そんな日々にも揺らぎはある。風の強い日は電車が遅れるし、夕日で街がオレンジに染まるのに感動して時間を忘れることもあるし、自分の歳を遥かに超えた木々に出会い、畏れを感じることもある。

東京という都市のなかで、広義の意味でどんな自然を発見し、それとの関わり方をいかに紡ぎ出すか。ちょっと抽象的だけど、そんなことを高校生に考えてほしかった。

月曜にそんなお題を出し、高校生たちに悩める5日間をプレゼントした。いつも通りの平日を過ごしながらも、どこかでは自分の出したお題が脳裏をよぎる。

いつもお世話になっている社外取締役の高野さん(社内だが大先輩ゆえに「さん」付で呼びたい)が今年還暦なので、経営メンバーでお祝いをした。高野さんとは相方ヒロキと僕が初めに入社したコスモスイニシアでのご縁。ツクルバでは、全メンバーにとっての「おやじ役」だ。

去年の秋ぐらいに高野さんと食事をしたとき、「最近、暴れてるか?」と発破をかけてくれた。まさにその頃、会社の成長の中で自分自身のスタンスに悩んでいたのでドキッとした。徐々に「組織」になっていくツクルバと、無邪気に発明を楽しむツクルバと、その両立のなかで自分がどう振る舞うか悩んでいた。

欲張りかもしれないけど、両方欲しい。きっと2つは相反するものじゃなくて、緊張関係を保ちながらも、ひっくるめて前に進んでいけると思っている。そうか、自分の人格のなかだけで2つを調停するのではなく、チームでバランスを取ればいいのか。仲間を信じて頼る。そして、全体としてバランスをとれれば、それがいい。

高野さんとの対話のなかで、そんなことを考えた。それ以来、「頼る」という言葉が浮かんでくるようになった。経営チームのなかで、自分にしかできないことをやろう。開き直りにも似た感覚が心地よく、あれから半年経ち、無駄な力が抜けて自然な構えになれた気がする。

高野さんはそんなきっかけをくれる「おやじ役」。人生100年の時代に、60歳とはどんな年齢なんだろうか。

世の中年度末。ツクルバでも新卒がまるっと一年を終えるタイミングなので、毎年恒例にしている新卒メンバーとの振り返りディナーを開催した。2016年に2人、2017年に2人の新卒メンバーが仲間になってくれている。

ただでさえ変わりゆく日々のツクルバにおいて、新卒メンバーの変化たるや相当な負荷がかかっていたに違いない。喜怒哀楽を切り口に、ひとつひとつのエピソードを一緒に振り返る。悩みもあれば、悔しさもある。そりゃそうだ、楽な仕事なんてない。でもそういう感情を持てている彼らの表情は、明らかに一年前と変わっていた。それが嬉しい。

そして、2018年は3人の新卒メンバーが入る。週明けには入社式だ。

金曜。例のお題に対する高校生たちのプレゼンを聞く。

彼らの答えは「templize」。寺院の「temple」をもじった造語だそうだ。都市のなかの寺院のような、人生の時間軸を超越した場に身を置くことで自分を相対化する。移りゆく都市のなかでこそ、変わらないアンカーポイントが必要なんじゃないか、という彼らの考えにとても共感した。思えば、僕が建築を志したのはあるお寺の本堂だった。

変わりゆくものと変わらないもの。本当に変わらないものなんてないと思うけど、ある人の時間軸で見ると限りなく変化がないように見えるのだろう。変化のリズムが異なるものが共存し、そのリズムを行き来する機会があること。これは、都市においても、組織や人の対話にも、共通して言える大切な視点な気がした。

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中村 真広
tsukuruba

株式会社ツクルバ 代表取締役CCO/活動家/「場の発明」をライフワークに、日々ツクルバしています。