正しい答えよりも、正しい問い

MeMeMercyMe
4 min readMay 11, 2016

私は、小さい頃から問題を解くことが好きだった。そのため解釈によって答えが複数になってしまう国語よりも、算数や数学を好んだ。解法はいくらもあれど、答えは決まって1つしかないからだ。

その影響は、今の仕事に対する取り組み方にも反映されている。

  • 解法を探すこと(検索)
  • 1つの公式に当てはめて解き続け、こなし続けること(効率)

これまでがむしゃらに吸収しよう、学ぼうと思い、好奇心の向くまま、向上心のむくままに取り組んできた。しかし、これから先にもう一歩も二歩も前に駆け上がるには、それだけでは到達しないのではないかと考えるようになった。

解くことは誰でもできる

なぜなら、問いを解くことは誰でもできるからだ。解法だって綺麗である必要もない。類推でもいいし、変数xに0から順に数字を代入して計算し続けてもいい。学力関係なく、問いに対して諦めなければ、人は必ず「正しい答え」に辿り着くものだからだ。

一方で、正しい問いを提示することは誰もが出来ることではない。いや、出来るのかもしれないが、その担い手になろうとする人は極端に少ない。さらには、問題提起が得意な起業家や政治家でも、その問いの正しさを証明できたのは一握りしかいない。

正しい問いを見つけるには

それは、「自身で仮説を立て、問題提起し、答え(結果)を出す」という一連のサイクルを、「あなたは正しかった」と言われるまで、繰り返し続けることなのではないだろうか。当然、知識や技術も必要だろうが、何よりも「思い込み」「根気」「覚悟」「勇気」が必要不可欠なのは間違いないだろう。

By Louis Bachrach, Bachrach Studios, restored by Michel Vuijlsteke — This image is available from the United States Library of Congress’s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3c05139.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information.العربية | čeština | Deutsch | English | español | فارسی | suomi | français | magyar | italiano | македонски | മലയാളം | Nederlands | polski | português | русский | slovenčina | slovenščina | Türkçe | українська | 中文 | 中文(简体)‎ | 中文(繁體)‎ | +/−, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6582301

かつて、トーマス・エジソンは言った。この姿勢が、正しい問いを導く最良の方法なのかもしれない。

I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.

今の時代は、エジソンの時代より多くのデータや情報を世界中から手に入れることができる。そのため、正しい問いを証明するまでに10,000通りの時間や労力は必要ないのかもしれない。足りない技術も仲間で補い合うことができるだろう。

正しい問いとは、あなた自身が「思い込み」「根気」「覚悟」「勇気」を、いずれも欠けることなく、それらを抱き、取り組み続けた先にしかないのだ。

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