デジタルと日本 : もう一つのオリンピック、もう一つの飛躍
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1964年の日本、2021年の日本
5万人を収容する建て直されたばかりの国立競技場。東京駅から出発していくピカピカの新幹線。複雑に折り重なり、曲がりくねりながら都心に広がる高速道路。1964年オリンピック開催時のレガシーであるこれらの象徴的な風景は、現在の東京でも目にすることができます。戦後、国を立て直す道半ばの日本にとって、この国際スポーツイベントのホストになる事は新しい日本のモノづくり力をアピールする絶好の機会でした。
そして、2021年。再び東京でオリンピックが開催されています。世界が大きく変容した中、日本は60年前のような勢いをキープしていないようにも見えます。なかには、60年代から続いた日本の奇跡的な成功体験が、逆に現在待ち望まれている次のトランスフォーメーション — — デジタルソーシャルイノベーションを阻んでいるという意見もあります。日本はこのまま変化を拒否し続けるのでしょうか。それともこのオリンピックを機にもう一度飛躍し、多様でグローバル、かつデジタルの力を備えた新しい社会の幕を開く事ができるでしょうか。
競争の変化
インターネットの普及はソフトウェアへの移行を加速させ、グローバル市場を根本的に変化させました。以前は国内企業(例えば自動車産業など)は主に同じ地域にある競合だけを気にしていました。現在では、Google、Uber、Netflix、Facebookなど、デジタルネイティブ企業がドメインも国際的な境界線も超えて活動しています。これら企業の提供するものは、人々のデジタルサービスの質に対する期待値を大幅に変えました。レガシー企業に、デジタルネイティブ企業との競争を避けるという選択肢はもうありません。競争力を保つためどころか生き残るために、ビジネスはデジタルケイパビリティをあげ、大きく変容していく必要があります。
日本では、1889年にカードゲームメーカーとして創業した任天堂が依然、グローバルにゲーム業界をリードしていますし、戦後のモノづくりを引っ張ってきたソニーもスランプを抜け出し、ゲーム、エンターテイメント、デジタルイメージングなどの分野で相変わらず強い競争力を発揮しています。一方でいまだ多くの企業が、ソフトウェアを製造業と同じような調子で捉えている現状も見受けられます。もちろん、そのマインドセットやスキルが現在までの日本を形作ってきた歴史を考えると当然の事でもありますが、ソフトウェア開発と製造業では根本的に、特に予測可能性とプランニングの面で大きな相違があります。ソフトウェア技術とカスタマーの期待値が常に素早く変化する状況では、製造業の感覚での長期計画や、プロセスの最適化にはあまり期待できません。
“DX”の流行
世界的なデジタルの流れに乗るべく、2018年、経済産業省(METI)はデジタルトランスフォーメーションを積極的に推進し始めました。それ以降、「DX」という言葉が速いスピードでビジネスの間に広まっています。企業はこぞってIT人材の確保に動き、DXプロジェクトに関するプレスリリースもよく見かけます。しかし、多くのビジネスにとって、トランスフォーメーションという道のりはまだ霧の中にあるようです。
DXの例としてよく聞くのが、以下の二つのエリアです。一つは、ハンコのデジタル化のように、現存のツールをそのままデジタル化するケース。もう一つは社内のITシステムの改善です。しかしこれだけでは、デジタルトランスフォーメーションの意義が薄れてしまいます。本来、根本的な働き方、ビジネス、サービスの全体的なフロー、さらには社会システムなどの抜本的なアップデートをデジタルツールやサービスの文脈で進めていくのが、「トランスフォーメーション」なはずです。
ソフトウェア開発自体の発展も遅く見えます。昔ながらのやり方がうまくいかない事は多くの例で示されているにもかかわらず、開発プロジェクトでは自走できるプロダクトチームを作るのではなく、従来の階層的で縦割りの組織の中で仕事をしています。変革への意欲は強く感じられますが、まだ誰もが暗闇の中でDXのトーチを探しているようです。
実際、この状況は少し不可解でもあります。METIの作り出した流れにより、DXやアジャイルに関するセミナー、講演、ワークショップがオンライン、オフラインで開催されています。ではなぜもっと多くの結果が出てこないのでしょうか?ここで一つ観察した点を挙げると、これらのほとんどが方法論、プロセス、ツールに焦点を当てがちだという事です。これは大きな落とし穴です。なぜなら、アジャイル開発で大切な事はプロセスでもツールでもなく、マインドセットだからです。
工場的なアジャイルへの取り組み
製造業の考え方からソフトウェアの考え方への切り替えは簡単ではありません。当然日本だけでなく、世界中の企業が苦戦しています。しかし、日本の場合もう少しだけ多く、この切り替えを難しくさせている理由がありそうです。その一つはひょっとすると、日本がモノづくりに長けている理由でもある「形」文化の存在なのではないでしょうか。
武道や芸事に由来する「形」は、「一連の動き」、「かたち」、「パターン」、「約束事」などを意味します。日本で暮らしてみると、全ての事が約束事、ルールを基に動いていることに気づくはずです。法律や会社の方針はもとより、場面ごとのマナー、下手をすると特定のシチュエーションでの「暗黙の了解」など空気を読まなくてはわからないものすらあります。すべてがプロトコルに沿ってスムーズに機能している一方、「形」に従うことだけが強調され、誰もその行動の実質的な意味を疑わなかったり、柔軟性に欠けているように見える様子は日本独特です。
とはいえ日本において、みんながルールを尊重し、プロトコルに沿って行動するという事が信頼関係の重要な基盤であるという事は紛れもない事実です。実績のある型を採用すれば、ある程度の品質が保証されます。日本の消費者が有名な企業の製品を好んで使うのは、「実績のある企業だし、質の高い製品の作り方を知っているはず、きちんとしたプロセスで作っているはず。信用できる。」と考えるからです。セミナーや講演にプロセスやツールを中心としたものが多いのはおそらく、誰もが次世代の「DXの型」を求めているからでしょう。完璧な型を見つけてしまえば、また自信を取り戻し、安定した社会を長く続ける事ができるはず。 — — ですが、その仮説は本当でしょうか?
製造業マインドセット、ソフトウェアマインドセット
正しい形、つまり特定の条件で完璧に機能するプロトコルを探し出し、厳密に実行するというのは、比較的予測可能な環境である製造業においてはベストなアプローチでしょう。一方、ソフトウェアというのは常に変化する、予測が難しい世界です。もし、完璧なソフトウェアを目指してデザインに5年かけたとします。そのソフトウェアがリリースされる頃には、Googleがとっくにマーケットを占領しているでしょう。デザインのプロセスを時間をかけて習得したとします。次の日には、誰かがより良いバージョンを提案している、そんな世界なのです。競合のプロダクトもプロダクトチーム自身も、日々進化しています。
この事実を踏まえると、DXやアジャイルの完璧なプロセスを追い求めるという事は非効率であるだけではなく、ビジネスにリスクをもたらしてしまう可能性があります。「形に沿う」やり方はたいてい安心感を与えてくれます。何かしらのプロダクトはできますし、結果を出しているように見えてしまうのです。ですが、組織のマインドセットがシフトしていないと、作ったプロダクトに価値が無い事が後々わかったり、カスタマーに届くまで時間がかかったりで、せっかく予算がついたDXプロジェクトがなかなか成果をあげられないという状況に陥ってしまいます。ではそんな、固定された形を持つことが困難な世界を、どうやって進んでいけばいいのでしょうか?
形をルールではなく、原則として捉える
ここで少し「形」の起源である武道の例を考えてみたいと思います。形は、基礎となる原理原則が具現化されたものです。繰り返し練習し、体に染み込ませる事で習得します。しかし、今度は他の相手と対峙しているところを想像してください。相手はじっとしていません。環境も常に変わるかもしれません。その瞬間ごとに集中し、自分の持つあらゆる感覚を研ぎ澄ませて状況や相手の動きを観察し、自分の持つ選択肢の中から次のベストな一手を打ちます。決して形で学んだ動きそのまま、というわけにはいかないでしょう。形を繰り返すトレーニングで原理原則を体得し、形が定める細かいルールから解放され、自分のスタイルで動き始めるのです。
アジャイルがマインドセットだというのは、これと似たようなことです。常に目まぐるしく変化する世界で、機敏に動いていくための原理原則を教えてくれています。アジャイルを実践すると出てくる「儀式」や「作法」はアジャイルの原則を具現化したものですが、そのプロトコル自体を完璧にこなしても、いい結果につながる保証はありません。スクラム、カンバン、XPなどは、アジャイルの実践を手助けしてくれる「形」です。しかし、重要なのはいかに原理原則を理解し実践するかであって、完璧なプロセスを実行することではないのです。儀式は大切ですが、コンテクストに合わせて実行しないことには、本当の意味でのアジャイルの恩恵を受けられません。
いくつかのヒントをご紹介します。
- アジャイルを知識としてだけ学ぶのは、武道を本だけで学ぶようなものです。常に実践しながら学ぶべきです。
- そしてそれはステークホルダーにとっても同じです。組織をアジャイルにするには、プロダクト、プロジェクトレベルから重役まで、全てのステークホルダーが参加しながら新しいマインドセットを学んでいく必要があります。
- チームに目を向けて、何が合うか見つけましょう。多少柔軟にやる必要がありますが、アジャイルの原理原則から離れすぎてはいけません。
- 振り返りの時間を作りましょう。振り返ることで、その時々のチームの状況を分析し、改善していくことができます。チーム自身の動き方も、ダイナミックに変化していく必要があるのです。
- 力を合わせて学びましょう。16世紀の武道家のように、1つの完璧な形をマスターするために時間をかけて練習する時間は、残念ながらありません。それぞれの経験や視点を集め、議論することで、学びのスピードを加速することができます。
- これはチームスポーツです。優れたコーチがチームにいれば、前に進むのを助けてくれるでしょう。「プロジェクトマネージャー」は計画通りに物事を進めるのが得意な役職ですが、「コーチ」は不確定要素が多くても道から大きくそれないよう、また時には状況に適応するよう手助けをしてくれます。この役割は難しい変化をチームが切り抜けていくのを、個人、チームレベルでサポートするものです。
未来に向けて
先日、長い歴史を持つ武道の一つである空手がオリンピックに登場しました。世界レベルの空手家たちが高い集中力をもって形を演武する様子は、つい魅入ってしまいます。決められた形に沿っていても、その一瞬一瞬が唯一無二です。空手家のマインドセットは、形文化がただ同じことの繰り返しではないことを教えてくれます。恐らく工業文化の発展の中で、「ルールを厳守する」という部分だけが強調され、「原理を学び応用する」部分は忘れ去られてしまったのかも知れません。その意味では現在のルール中心の社会は歴史の中でも最近起こった寄り道にすぎないのかもしれません。本来の形文化はより深く、柔軟で、まさにアジャイルであるための哲学なのではないでしょうか。今一度少し立ち止まり、元々あったものを振り返ってみるいい機会かも知れません。
大切なのは、今まで日本が積み上げてきたものを全否定する事ではなく、モノづくりの力を認めて賞賛することです。リーンやアジャイルのいくつかの要素が元々日本のモノづくりからインスピレーションを得ている事はよく知られています。トヨタの有名な生産方式は徹底的に改善したプロセスで無駄を無くす事で、高品質を保つ事ができる事を証明しています。また、今後ユーザーインターフェース(UI)がIoTなど、生活空間に溶け込んでいく事を考えれば、日本のモノづくりの力は大きな強みになるでしょう。
次のステップは、この基盤の上に、不確実で複雑な世界に対応していける国、企業、個人を作り上げていくことでしょう。ソフトウェアとハードウェアの融合 — — それは形が私たちに教えてくれる事を重んじる事で、日本が卓越した能力を発揮していける世界です。一度シフトが起こってしまえば、それをトップレベルまで磨き上げる事は日本の得意分野です。それができた時が、試合再開の瞬間になるのではないでしょうか。