「しようがない」の見えないコスト

Lars Rosengren
ustwo
Published in
5 min readJan 17, 2020

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私は日本に来て以来、「しようがない」「仕方がない」という言葉に魅了されてきました。この表現はまた外国人から悲観的、保守的と受け取られ、批判を受けてきたものでもあります。なので外国人である私は同じ間違いをしないようにします。

このような表現は文化に根ざすことが多く、例えばアメリカ、フランス、ドイツ、スウェーデン文化の文脈におくと意味が違ってきます。私が特に面白いと考えるのは、「しようがないね」を使いすぎて生じる個人的コストそしてお金のコストです。時代遅れで変えるのが難しい企業の規範について、社員は問題提起をしたがりません。これによる潜在的なコストは何でしょうか?各社員がストレスや不満を感じ、ひいてはのちに彼らの健康に影響するかもしれません。

このような言葉を翻訳する時はいつも主観性やあいまいさが残ります。しかし簡単に言えば、ShikataganaiやShiyoganaiは「それは避けられない」、「ただ現実を受け入れるしかない時もある。全ての状況をコントロールできるわけではないから」という意味です。または「規定のもの」はただ受け入れて私たちが影響を与えられるものを最大限活用しようとすることです。

それはあまりに運命論的、悲観的だとする文化もあります。けれども日本が大きな自然災害を経験してきたことを考えると視点は少し変わってきます。起きていること、起きたことを受け入れ、それを乗り越えて前に進む健全な方法です。雑念や仏教的概念のマインドフルネスの流行から見ると、自分が影響を与えられることのみに集中し、心配する価値のないことは忘れることは役に立ちます。したがって「しようがない」はある程度の目的を果たし、深く文化に根付いているのは間違いありません。

ただ現実を受け入れるしかない時もある。全ての状況をコントロールできるわけではないから

しかし最近は、この表現の意味は少し変わって使われ過ぎるようになりました。 実際は自分がコントロールできるにもかかわらず「面倒くさい」「ただ受け入れなければならない」という意味になったのです。うちの上司はアジャイルを認めてくれないから仕方ないとか、会社は製品の品質よりも長時間働くことに価値を置いている、そんな時「しようがないね」と言います。

Photo by John Cobb on Unsplash

こういった状況で声をあげるのは難しいかもしれません。しかしできることがあります。「規定のもの」を受け入れつつもその中で最大限の努力をするのです。何かできるかもしれない、別の仕事が見つかるかもしれない、会社にダメージを与えない規模で何かを試してみる、品質が大事なのだと示し続けるのです。もちろん、これを全部やれば良い結果に必ずしも結びつくわけではありませんが、うまくいくかもしれません。自分でコントロールできることは多くないかもしれませんが、自分の対応は自分でコントロールできます。

自分でコントロールできることは多くないかもしれませんが、自分の対応は自分でコントロールできます。

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