戦争できない国家?

フォン・クレフェルト『戦争の変遷』(石津朋之訳、原書房、2011)を読んだ。

軍事史なんてもちろん門外なので勉強の読書。著者フォン・クレフェルト(Martin Levi van Creveld、1946-)はWWIIの戦後間もない頃にロッテルダムのユダヤ人家庭に生まれた。WWII中にゲシュタポから逃げ切った両親は、戦後1950年に幼少のマーティンとともにイスラエルに移住。博士論文はヒトラーの戦術研究。著述家としても多筆で邦訳も多い。エルサレムのヘブライ大学の教授を長くつとめたと経歴にある。

本書『戦争の変遷』は1991年刊。ソヴィエト連邦の分裂が進み(1988–1991)、ベルリンの壁が終わり(1989)、つまり冷戦体制が崩壊していく時期に書かれた本、ということになろう。

戦争と軍事史の基本枠組は、19世紀末のカール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz, 1780–1831)の理論がWWII後も支配的であり続けたという。戦争とは国家間の政治的競争の一手段であり、国民と軍隊と政府の三位一体を前提とする、というのがそれ。フォン・クレフェルトはこのクラウゼヴィッツ・テーゼの相対化に熱意を傾けてきた歴史家ということらしい。簡単にいえば、私たちの戦争観を支配している国家間戦争は、WWIIと冷戦体制と核兵器の実装によりむしろ容易に実行できないものとなった。そして国家以外の集団、すなわち部族・民族・宗教等の諸集団の意志は馬鹿にできない、むしろ戦争の主たる担い手になっているのだ、ということだろう。

フォン・クレフェルトのこうした論調は出版当時、冷静が終わったのだから戦争も終わりだという楽観論への批判でもあったろう。歴史の終焉だ、大きな物語は終わり、という論調はありていにいえばアメリカ流のリベラル・デモクラシーの勝利宣言であって、アメリカの圧倒的軍事力がそれと結びついていれば世界は平和だというような独善的な見方だったが、そんなものにリアリティはない、というわけだ。

近代は、その維持体制としての国家に暴力を独占させるメカニズムを含んでいた。明治維新に際して士族(武士)が武装解除されたこと(明治9年廃刀令)、その士族の反乱が政府軍(=正規軍)によって鎮圧されたことを思い出せばよい。似たことがどの国にもあった。そうして暴力を独占した先進的近代国家が産業経済のために相互に戦い、戦うと国家体制を書き換えるというダイナミクスが20世紀前半だった。WWIIもそうだが、様相は大きく変わった。

国家間の通常戦争(conventional war)は、20世紀前半には2度も総力戦(total war)に発展してしまい、これはさすがにキツかった。そのうえ2度目は核兵器を登場させてしまった。以後、通常戦争もいつ核戦争(nuclear war)に発展するかわからない制御不能性を抱えてしまう。そのため先進国=近代国家は互いに戦争できなくなってしまった。そのうえ冷戦下では、どんな戦争も東西両陣営の全国家に波及してしまう。核戦争と冷戦は、「東西」に塗り分けられた領域からは通常戦争を締め出してしまった、というわけである。もちろん冷戦体制の構築自体が引き起こした悲惨な戦争はあった。朝鮮戦争やヴェトナム戦争がそうだが、それらも以後の戦争をより困難なものにした。あとは「東西」の枠組みの隙間、つまりインド・パキスタン国境や中東などの地帯に、戦争が起きる場所は限定された。それら地域で起きてきたのは国家の軍隊ではない宗教集団・民族集団による武力蜂起、内戦、ゲリラ活動、すなわち低強度紛争(low intensity conflict)である。大国はその紛争の火種に油を注いだりしては低強度紛争を鎮圧しようと軍事的に介入してきた。大国が乗り出せば同盟国も出ていける。現地が廃墟となり戦争が終結すると、勝利した大国は現地の旧政府やゲリラをすべて武装解除して言うことを聞く新国家を建てさせる。

つまりWWII後は国家間戦争が終わり、戦争はむしろWWIIがつくり出した国際秩序の隙間に集中してきた。そこには新国家が建てられるのだが、それに対抗する低強度紛争はやまない。それどころか多様な民族、部族、宗教などのグループによる活動がいよいよ活発になってくる、というのがフォン・クレフェルトの議論で、これは彼がユダヤ人でイスラエルに生き、パレスチナとの紛争や大国との関係を生々しく経験してきたがゆえのリアリティなのだろうと想像する。要するに暴力は国家が独占するという近代の前提は成立しがたい、ということである。

危なっかしい発言も奔放にしてしまう困ったちゃんらしいフォン・クレフェルトの議論は、まあ素人目にもけっこう偏っていて、開明的にも保守的にも見える。そもそも低強度紛争を引き起こす民族集団などの、生き残りをかけた本気を、政治的戦術として戦争を捉える国家の戦争を突き抜けるものとして尊重するかのようだが、結局のところはそうなっていることを見据えて戦争しろと言っているのだろう。日本の現政権だって、結局はこういう見方を採用して出ていこうとしているのだろうし。

はや1年になろうとしているウクライナの紛争は、見え掛かり的にはそう見えても国家間戦争(conventional war)ではないのだろう。しかし低強度紛争というのも違うはず。ではどう見ればいい?

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青井 哲人 AOI, Akihito
VESTIGIAL TAILS/TALES: aoi's journal

あおい・あきひと/建築史・建築論。明治大学教授。単著『彰化一九〇六』『植民地神社と帝国日本』。共編著『津波のあいだ、生きられた村』『明治神宮以前・以後』『福島アトラス』『近代日本の空間編成史』『モダニスト再考』『シェアの思想』『SD 2013』『世界住居誌』『アジア都市建築史』ほか