はしだ くみこ
W.L.S. MOMO
Published in
4 min readNov 14, 2016

--

なんのために勉強するの?

向こうのはしっこまでよーいドン!

迷い続けた12年間

どこかに違和感を感じながらも
子どものための脳力開発のフランチャイズ教室を続けてきました。

本当に素晴らしい部分もあります。
でもそれは違うのではないか、と思うところも多くありました。

例えば、暗唱や記憶させる事、作文を書かせる事、計算をさせる事など。
させる、と言う行為はすでに強制です。

楽しいと思いながら子ども自ら進んですることには意義はありません。
そして壁があればそこを乗り越えることで力がつくこともわかります。

どこかに親を喜ばせたい、と言う子どもの気持ちも働き、
大好きなお父さん、お母さんを喜ばせたいから頑張ってする、
と言うのが本人の幸せかどうか。

私は小さな頃からピアノを習って来ました。
音楽は大好きでした。歌うのもピアノを弾くのももちろん。
でも教本や決められた楽曲を弾くのは大嫌いで、
自由に好きな曲を弾いてばかりでした。

そんな私でも頑張って練習してなんとか芸大に入りました。
入った途端、練習する気持ちは消えてなくなり、
どんどん音楽から心は離れていきました。

本人の気持ちにないことを頑張ると、どこかで心は壊れてしまいます。
でも厳しい訓練をしなければ技術は習得できないのも事実です。

ではどうすればいいのか?
子ども達に何を教えたら良いのかまではわからずに、
あてもなく何かを探し回ってきました。

「何のために勉強するの?」

この問いに、教室の子どもたちは、幼稚園児も含め、

「頭が良くなるため。」

「おとなになってから困らないため。」

「自分がいつかやりたいことがあったらそれが出来るようになるため。」

「人の役に立つため。」

こんな立派な答えが返って来ます。

私も初めはそんな風に答えるのが当たり前かと思ってきました。
でも、私の心のどこかに納得がいきませんでした。

どの子も心から自分のためとは言っていません。
周りの大人から刷り込まれた優等生的な答えです。

発達障害〜普通の子にはなれない

私は子どもの頃、とても生きづらく、
それが何なのか全くわかりませんでした。

ほかの子が簡単に出来ることが自分には出来ない、

かといって自分が難なく出来ることがほかの子には出来ない。

周りからはなぜそうなんだ、変な子、
トラブルメーカーと見られて来ました。

その頃は発達障害と言う概念はなく、

おかしな子と見られて誰にも理解されず、
学校にも家にも居場所がなくなりました。

ベッドの上で本をひたすら読むことだけが幸せでした。

やがて自分でもわけがわからずに、
人と違うところや出来ないことを隠したりカバーすることを
少しずつ身につけて来たのだと思います。

おとなになり、今の仕事に就いて
ようやく自分のおかれている現状がわかってきました。

脳力開発のメソッドに惹かれたのも意味があったのです。

そして巷で特に教育熱心なママ達が気にする
モンテッソーリ、シュタイナー、ドーマン法、七田などのブランドは
実はみな発達障害や教育難の子ども達のために作られた
様々な方向性からアプローチする教育メソッドだということを知りました。

今の日本の社会では、そのメソッドの一番大切な部分は取り外されて
型の部分だけが取り入れられ、効果があるともてはやされているのが
現状です。

理想とするのは、子ども達の楽園

それは特別な場所にあるのではなく、普通の町の所々にあって
いつ来ても良くて好きなだけ好きな本が読めて、
好きな絵を描いて、怪しい実験をしたりおしゃべりをしたり
自由に学べる、そんな場所です。

おとなについても同じです。

幾つになってもいつからでも、
自分の学びたいと思ったことが学べる場所がある。

そんな場所に必要なのは先生ではない。
夢を一緒に共有できる人。
そしてくじけそうな時にそっと支えられる人。

何故学ぶのか?

私がみつけた問いの答え。

それは

「自分が幸せになるため」

学んでいつか幸せになるのではなく、

学んでいる事、学んでいる今が幸せで、

その学びを生かして自分の成長を感じられる事が幸せ

そう感じてもらうことが私の使命です。

--

--

はしだ くみこ
W.L.S. MOMO

ラーニング・ファシリテーター、コーチ。子どもの頃のコンプレックスから「なぜ人の能力には差があるのか」を追求して来ました。本当に必要なのはメソッドやノウハウではなく”学びが起きる場”そして人と人との有機的なつながり。理想のコミュニティ、ムーミン谷を目指しています。ワンダフル・ラーニング・スペース・モモ代表。