ペライチやJimdoを否定しているWebクリエイターが"痛恨の極み"すぎて痛々しい。

ペライチとかJimdoとかWixとかを否定する、Web製作を生業にしている人たち。Twitterとかブログに書いていたり...

否定する理由が「使えない理由(クライアントに貢献できない理由)」ではないときに痛恨の痛みと寂しさを感じる。

Web製作に依存している「保守的」な人は、必至に自分を守ろうと、相手を非難(批判じゃなくて非難)する。

自分を高めることなく、相手を下げて自分が上に上がろうとしている。


なぜ、それらのサービスを認めつつ「私は負けない!このサービスよりもクライアントに貢献する!」と言えなのか?

なぜ「このサービスに自分の強みを加えて、もっとクライアントに貢献する!」と言えないのか?


彼らが否定をする根源は「仕事を奪うな!」ってことなんだと思うんだけど、それって昔、工場で働いていた人がロボットに仕事を奪われて、ロボットのどこがいいんだ?!人間の仕事を奪うな!って文句を言っているのと同じだ。

そして商売の世界では、それを「甘ったれ」としか認識してくれないんじゃないか?世の中ってそんなに甘くないよね(最近は甘さの極み化も進んでいるけど)。

Facebookが自分たちの競合になるWebサービスが登場したときに「自分たちのユーザーが奪われる!」なんて戯言をいっているだろうか?おそらくは真逆で「好機」と捉えて、競合となるWebサービスを食いにかかるだろう。

ツールは今後もドンドン出てくるだろう。ツールが出てきて困るのは、穴を開けたいと困っている人に「穴を開ける道具」を提供しているからで、その困っている人が求めている「理想的な穴」を提供していないからだ。

Jimdoとかペライチは誰のためのサービスなのか?考えたことある?

そもそも、世の中の多くの中小零細企業は「Web制作者を生かすために事業をしているわけではない

これはWeb制作者だけに限ったことではなくて、どんな事業者でも同じで、外部の人が、他の誰かの事業を成り立たせることを目的に「仕事を依頼する」「商品を買う」なんてことはない。それが成り立つのは「クラウドファンディング」とか「NGO」や「NPO」であって、商売ではない。

多くの中小零細企業は、自分たちの「商品やサービスを売りたい」「利益を増やしたい」「ビジョンを成し遂げたい」と考えている。

簡単に言えば「自分の利益」のことを考えている。個人だって何か物を買う時は自分の利益を考えている。

利益を増えやすことができれば投資もできるし、社員への報酬を増やすこともできる。

売上を増やしつつ、コストを下げれば利益は、より大きくなる。そして予算が少ないのは、出したいけど資金がない場合と、資金はあるが、できる限りコストを抑えたい場合とがある。(多くは後者)

資金があるなら、必要性の有無に関わらずに予算を増やしてお金を出せるはずだいいというのは「昭和」というか「バブル期」的な発想で「目的を達成するのに必要なコストをかける」というのが今だろう。当然だ、売上が増えても、その売上を作るためのコストも増えていれば、利益は増えない。

必要のないコストはムダであり、それを許容できるほど、どこの企業も資金がありあまっているわけではない。ありきたりな言い方だけど、銀行でさえ潰れるし、安泰だと思われていた大手企業が経営危機に陥る時代なんだ。

利益が増えるのであれば、その手段はなんでもいい。

東京から大阪へ行く。大阪へ辿り着くことが達成されるのなら、新幹線で行こうが、飛行機で行こうが、高速バスで行こうが、自転車で行こうがなんでもいい。

世の中は「弱肉強食」そして「強者」とは、受け入れることができる者。そして「変容」できる者。

そして選ばれるのは、選ぶ側の利益を最大化してくれるものなんだ。

これがわかっていれば、つまり、自分たちの顧客(依頼側)のことがわかっていれば、JimdoやペライチなどのWebサービスに対して文句をいうことが、どれだけズレているのかがわかるはず。

グダグダと文句を言っているWeb制作者は「クライアントの売上に貢献できない」「自分はクライアントの利益のことは考えていない」「あるいは営業力がなくて仕事が取れない」と暗に自己申告をしてしまっている...

そういうのを目にすると「ああ。この人のビジネス(または事業)のビジョンは自己中心的であり、社会の課題を解決するなにかではないのだな」と私は認識する。

また、現にそれらのWebサービスを上手く使って仕事をしている(より多くの価値を提供している)Web製作者やWeb製作会社もあるわけで、そうなると、文句をいっている人は「私は創造力がありません」って、またまた自己申告してしまっている...

今はまだいい。これから僕らはAIが競合になる。そのときに文句を言って廃れていくのか、それとも協業して笑って暮らすのか、それは他の誰でもない自分自身の判断で決まる。

今、コンビニで働いている人が、コンビニ運営が機械化されたときに「機械化しても、あいつは必要だ!」と言われる人材になれているかどうか。

人間だからではなく。個人として必要とされる存在であるかどうか。

便利なサービス(仕組み)があるけど、私は○○さんにお願いをしたい。

どんな職業に限らず、こういわれる存在になれなければ、僕らの未来は闇だ。

誰も「ああ。可哀想だね。よしよし。」なんて頭を撫でて、恵んではくれない。商売をするってことは「戦で生き残る」ということ。

生き残るためには手段は選ばず、そして自分が生き残れる場所を必至に探さなければならない。ときには敵と手を組む必要もあるだろう。

逆に昨日の友は今日の敵ということもあるだろう。

どういう形で生き残るかは、それぞれの道徳心によって異なると思うが、私は戦う前にできるだけ逃げ延びることを優先している。逃げて逃げて、もう逃げ切れなくなったら、最後の手段で武器を手に相手の命を奪う覚悟で闘うことにしている。

自分で生き残るための行動をなにもせずに、グダグダと醜態をさらすのは賢くないし、生き残る手段とはいえない。なによりそれは時間の浪費だ。

私だって、1年後に生き残れているかはわからない。そもそも自分のビジョン(日本の中小零細企業がWebマーケティングで切磋琢磨しあう社会)が実現するのなら、なんにでも加担するし、今やっていることをやめることもあるだろう。

周りが悪い!といっている限り、輝く未来はない。

文句の内容によるが、非クリエイティブであったり、拡大ではなく縮小するような内容の文句は危険だ。

そういう文句を気づかずにいってしまうようなマイナス思考(あるいはネガティブ思考)な人と関わると面倒が増えるだけなのだ。類は友を呼ぶではないが、そういう人にはマイナスなことが寄っていく。

誰がそんな人に仕事を依頼したいと思うのだろう?

誰がそんな人から商品を買いたいと思うのだろう?

PS:私はWeb業界の味方ではない。

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