「相場」で判断をしているからHAPPYになれない。

なにかを購入したり、契約したりするときに「相場」を気にするのは良いことではないなーと最近、思いにふけっています。

商品を判断するのに「相場」を1つの参考にするのはアリかなと思うけど、「相場」でものごとを判断してしまうのは、自分の中に価値観がない。つまりは「軸」がないということ。

他人がどう評価しようが関係ないし、他人にとって価値があっても、自分にとって価値がないことは沢山ありますよね。逆も然り、自分にとって価値があっても、他人にとっては全く価値がないこともありますよね。

相場=他人が決めた評価であり、他人にとっての価値

大事なのは他人の評価や他人が決めた価値ではなく、自分にとっての価値であり、自分がその商品をどう評価するか。

自分にとって価値があると思えば、相場より高くたって関係ない。

自分のことを自分で判断することを放置し、他人のものさしに委ねてしまっているわけで、それって凄くもったいないし、無責任だよね。

相場でものごとを判断するのは、表面しか見てないから損する

例えば「1,000円のコーラ」。コーラの相場からしたら1本150円程度。それが1,000円と聞けば、ぼったくりか!と思うほど高い。

でも1,000円のコーラは、コーラという液体の価格ではなく、リッツカールトンで飲むという精神的な価値、クリスタルグラスやライムまで添えられ、銀のお盆でホテルの部屋まで持ってきてくれるという、最高の環境で美味しいコーラを飲めるという体験の価格ですよね。

相場で判断をしてしまったら「最高の環境で美味しいコーラを飲めるという体験」はできない。これって凄くもったいないし、損してる。

価値を金額でしか見れない寂しさもある。金額以外の価値って人それぞれにあると思うし、それを分かることができないのって寂しいね。

好きなものを買えばいいし、他人がどうこう言うから買わないってもったいないよ

他人がどう評価していようが、どう価値を付けていようが、欲しいと思うなら買えばいいし、欲しくないなら買わなければいい。

どちらにしても「行動」を決めるのは最終的に自分なんだから、自分が幸せになれる方を選べんだ方がいい。

他人に判断を任せるって、他人に自分の人生の舵を任せるってこと。それだけは勧めない。

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