笑った、泣いた、ひっくり返った半年間

祝!半年誕生日。半年の育児を振り返って。

昨日5/25は早いもので娘の半年誕生日!
半年を振り返って、まず言いたいことは、

日本の多くの男性が経験しない密度での育児をできてよかった!

ということである。

理由は3つ。

1, 育児って何か(6ヶ月までだけ)わかった。

もしも、就職してから娘が産まれていたら、これほど育児をしていなかったと思う。今となっては懐かしい、新生児時代の三時間おきのミルク。二時間寝て、一時間起きるを繰り返すことはつらいことであり、冬休みの時期だったので僕がしばらく昼夜逆転させて夜の授乳をしていた。
そして夫婦二人協力しながらの沐浴。

そんな新生児と呼ばれるそんな時期はすぐに終わり、目が合うようになって、首がすわって、毎日のように外に連れ回すようになって、笑うようになって、手足が活発になって、寝返りをして・・・

オムツのサイズも二回変わった。
沐浴からお風呂になった。
おもちゃが役に立つ時がきた。
新生児のときには手足が出なかった巨大な長袖長ズボンが、今ではピッチピチの半袖半ズボンに。笑(最近は夏用の新しい服を着せている。)

日々何か変化がある、そんなとても早い成長を間近で見れてとても嬉しい。

また、世の母たちは皆こういった経験をしているとわかった。
これは新しい視野であり、子育てをしているという情報だけで、尊敬に値するということがわかり、さらにその人に対するいろいろなイメージもわくようになった。

電車で赤ちゃんを連れている母を見ると、かつては気にとめることもなかったが、子供の月齢や母親の気持ちが気になるようになった。泣いている子供を叱る親を見て、子育ては大変なんだなぁと自分事として考えるようになった。

2, 父親という自覚

これに関しては未だ考えさせられる。
多くの男性が、自分が父親であるという自覚を持つまでには、時間がかかるのではないかと思ったのは数ヶ月前。

男性の育休取得率が2%だと言われていることを考慮すると、ほとんどの男性は子供が産まれても、日々の活動に変化はほとんどないわけである。

僕は半年間、就活や学校やバイトこそあったものの、半育休状態であった。
時間があった分、世の社会人たちより家庭について考える時間は多くあったし、娘と接する時間も多かった。
それでようやく娘が家族である、自分の子であるという表現が腑に落ちるようになった。

自分が父親であるという認識は、出産時ですらまだふわふわとしていたが、日を重ねるごとに強くなっていき、いつからか全く違和感がないまでになっていた。親であることを感じるのは、何よりも子供と接しているときだと思う。長い時間娘と一緒にいることは、自分の父親という自覚を育ててくれたと感じている。
しかし、就職活動で会う社会人の方々に子供がいて、同じ父親と言われると何か違う気がしてしまう。経済的に自立できておらず、親に娘を預けて活動をすることもある自分たちは、やはり学生パパママであり半人前と感じるシーンは日常でも多々あるのだ。それが悪いとも思っていないが、早く仕事のできる人になりたいとは強く思う。

経済的な自立ができているかは、親としての自覚に影響を与えていることは間違いないとは思うが、それが全てではないと思う。金銭的に家庭を支えるだけで親としての意識が真にある人はおらず、親としての意識には、経済的なものに加えて、育児への参画が非常に大きく影響していると思う。

そこで思ったことは、男性も一ヶ月くらいは育休を取得したほうがいいということ。
それは貴重な育児の経験はもちろんのこと、父親としての自覚も与えてくれる時間になると思うからだ。

3, 癒し

娘といる時の時間の流れはとてもゆっくりだ。これは子供が1人しかいないからかもしれないが、心にゆとりができる。

寝顔を見ていると平和を感じる。
赤ちゃんの笑顔も匂いも、落ち着きを与えてくれる。
授乳の絵は、幸せの絵そのもの。
何をしようとしているのか、何を考えているのか、わからない。
そんなものを見ていると良くも悪くも気楽になってしまう。

そんな素晴らしい育児だが、いつの瞬間も最高というわけではなかった。

育児は心にゆとりがある時には、癒し、喜び、幸せであるが、
ゆとりがない時には苛立ち、面倒くさい、非効率 といった言葉と結びついてしまう。

こんなことがよくある。

やらなきゃいけない事が多いのに、娘は寝てくれない。
目を合わせていれば笑顔なのに、前で本を読んでいると泣いてしまう。
立って抱いているととても楽しそうだが、座っていると泣いてしまう。

一日中、娘とともに留守番をしている日。娘を見て話をしていれば、一日中笑顔で、幸せで、ゆっくりとした一日を過ごす事ができる。家事をするにしても、全然負担ではない。

しかし、僕はいつもそんな日を過ごしていたわけではない。

娘がいい子ならば今のうちに、本を読もう、課題をやろう、書くものを書いてしまおう・・・と、そう考えてしまう。
すると娘は泣き出し、作業は進まず、中断されたことに苛立ちを感じてしまう。一日が終わったとき、就活の真っ只中だというのにただ留守番をしていただけで、その日の成果物がないことに苛立ちや不安を感じてしまう。

娘に話しかけていた時間こそ貴重とわかっていても、すぐに娘が話せるようになるわけでもなく成果が見えないために、無駄な時間を過ごしたと心のどこかで感じてしまう。

心にゆとりがない、焦っている、時間がない。そんな時ほど、絵本を読んであげる。今日は娘とゆっくりしていい休日なんですと割り切ってしまった方が、きっと良い結果につながるのだ。(自戒の意を込めて)

光陰矢の如し
本当にあっという間の半年だった。
娘が健やかにどんどん成長してくれて、これほど嬉しい事はないが、振り返ると少し寂しい気も・・・
一週間前には寝返りができなかった娘が、毎日少しずつ転がるコツをつかみ、また、力強くなり、今では少し目を離すと娘は居場所も向きも変わっている。来週には座れるようになっているかもしれないし、ハイハイをしているかもしれない。
動き出して、病気にかかるようになってとこれからが大変な時期なようだが、これからの成長も楽しみにしている。

可愛い笑顔を振いて、多くの人の愛を受けながら、どんどん育ってくださいな。

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Takuya Yagishita
What happens, happens -学生夫婦の子連れ日誌-

慶應大学に通う現役大学生であり、夫であり、1児の父。只今就職活動中。