[x-Music Lab 22秋]

菊地拓馬
x-Music Lab
Published in
Feb 3, 2023

環境情報学部1年 菊地拓馬

私は今学期よりx-music-labに参入した、謂う所の新規生である。まだ見習い期間中であるということで、自らの研究目標を定めそれに邁進するということはせず、新規生wsというx-musicの形態に慣れるための課題を今期通して行ってきた。本文では新規生ws、そして最終講評にて行う演奏について記述してゆく。

新規生ws1「聴く(listening)」

x-music-labに入り真っ先に課せられた課題である。課題内容は至ってシンプルで「5人で集まりsfcキャンパス内の音を聴く」というものであったが、私はこれを通じ記号化されていない音という存在の弱さ、不明瞭さを明確に認識することとなった。今聴こえている音は本当に存在する音なのか、聴こえているという思い込みにより作られた音なのではないか、という聴取中に湧いて出た不安の様な何かや、聴こえてきた音を書き出す際に起きた、音に貼られたラベルは覚えているがその音の中身を記憶していないという事態に因る思考から生まれた。この思考を巡らせている時間は非常に楽しかった、良課題である。

新規生ws2「自分の中のxを知る」

新規生wsの全体で、満足に能わない結果となってしまったものが2つほど存在するが、そのうちの一つがこれである。課題の内容は「音楽と非音楽の狭間の音を作成もしくは録音し、それに基づく自分の中での音楽の定義をする」であった。私は文章に従い、作成→考察という順序で課題を進めたのだがこれが良くなかった。作成された音自体は私の中のxらしきものであったが、定義の部分で行き詰まる。その結果、無理やり答えを捻り出してしまった。私はあまり敏い人間ではないため、x-musicに含まれる一つの音を聞いてもx-music全体を捉えることができなかった。当然捻り出した答えもぐちゃぐちゃで到底自分では納得できない代物であったが、しかし一方で失敗を通じて得たものもあった。以降、行動より思考を先立たせようと意識することができるようになった。自らのベターな行動の順序が明確になった。

新規生ws3「自分の中のxを知るvol.2」

こちらが満足できなかった課題の2つ目だ。内容は「前回の定義を元にxな作品を探す」というもの。当然vol.1の内容に拠るものであるから、前回が悪ければ今回も悪いということになる。直感的に音楽か否かを判別し、音楽でないものに対して無理やり定義にそっていないというレッテルを貼った。正直、vol.1と違い何かを得ることすらできなかったように思える。これら課題に関しては自主的にやり直したい。

新規生ws4「自分の中のxを表現するvol.1」

内容は「xな演奏をする」。この課題はws2の反省から演奏とは何かを先に考えた。音を出力する行為を見て、直感的に演奏と呼べるか否かを判断した後演奏とは何かを定義づけ、私の演奏の定義の中で最もxだと思われる演奏を行った。

私の中の演奏の定義及び定義に至るまでの過程については下記リンクのpdfを参照されたい。

https://s3.us-west-2.amazonaws.com/secure.notion-static.com/bfec3885-29d0-4a0d-b2f8-9ff59ad94e37/ensou.pdf?X-Amz-Algorithm=AWS4-HMAC-SHA256&X-Amz-Content-Sha256=UNSIGNED-PAYLOAD&X-Amz-Credential=AKIAT73L2G45EIPT3X45%2F20230202%2Fus-west-2%2Fs3%2Faws4_request&X-Amz-Date=20230202T001450Z&X-Amz-Expires=86400&X-Amz-Signature=5f50733dfa6d5a6ff4a7d41a54a8ccee64259e687ab38209250453d08069853d&X-Amz-SignedHeaders=host&response-content-disposition=filename%3D%22ensou.pdf%22&x-id=GetObject

自らの演奏の定義を踏まえ、オルゴールと朗読をかけ合わせxな演奏を行った。朗読中息が切れるなどしたらオルゴールのネジを巻きabletonのエフェクトを追加する、朗読は音以外を出力する意識を極力排すと等のルール付を行い、オルゴールや朗読といった単体では演奏足り得ない行為を演奏行為に変化させる。この変容こそが私が行った演奏のxな部分である。下記リンクに演奏の映像有り。

https://www.youtube.com/watch?v=0sXluDXsjyE

この課題は個人的に好感触であった。Ws2の反省を上手くいかせたというのもあるが、なによりも演奏とは何かという思考に身を任せている時間が堪らなく心地良かった。

最終講評

最終講評では斎藤理貴、保阪明奈と共同で、演奏者、鑑賞者の立場を揺らがすモノというコンセプトのもと演奏を行う。以下にコンセプト文の詳細を記す。
音楽の始まりの頃、人間は音楽を楽しむに際し演奏者、鑑賞者という立場を設けていなかったであろう。きっとその概念すら存在していなかった。文明が進歩するにつれそれらの間には明確な隔たりが生まれ、作曲・演奏・鑑賞の干渉は一方通行的になり(例としてはクラシックのオーケストラ)、またそれぞれを行う立場というものが生まれた。現在、演奏者と鑑賞者間で相互干渉ができる状況にあっても、その立場が失われることはなく明確に存在し続ける(例えばクラブの現場など)。また演奏者間で相互干渉が行われるジャズの現場であってもやはり同様に演奏者と鑑賞者との立場の隔たりは存在する。ただ演奏者と鑑賞者との隔たりを排したのみでは原初の音楽の再現になり、xな演奏の状況と呼ぶことは出来ない。かといって鑑賞者が演奏に参画できず傍観者(完全な鑑賞者、演奏に干渉していない鑑賞者の意)であることも、同様に現在の音楽の模倣でありxな演奏の状況と呼ぶことは出来ないだろう。しかしこの演奏では鑑賞者が得た演奏者という立場を我々が無造作に剥奪したり、逆に与えたりすることで鑑賞者は傍観者、演奏者という二つの立場を行き来する。この状況はx、未知なる次の音楽の形態と呼べるのではないだろうか。また、我々はそれぞれが独立した演奏を行いながらも、個人の演奏が他人の演奏に対する変数となることで、演奏者自身にも次にどのような音が出るのか予測することができない、予測不可能性の高い一つの演奏として成立する。各々の独立した演奏の形態は、個々人の考える音楽の起源を元に設計されており、zoomのブレイクアウトルームからそれぞれの独立した音を聴取可能となっている。
そして私が行う独立した演奏の内容は、エフェクトにより崩壊させられた言語のデコード作業である。作曲・演奏・鑑賞が明確に分断された原因の一つとして、信仰の誕生が挙げられると私は考えた。神が生まれ、人は神に信仰心を示すため物を捧いだ。捧ぎ物の内容は多岐に渡り、その中の一つに音楽があった。神に捧ぐ物であるから、当然にそれはクオリティの高い物でなければならない。クオリティの高い音楽を作る為にまず作曲、演奏の分業がなされ、それぞれを行う専門家が生まれた。そして人は神に捧ぐ演奏を邪魔してはならず、ここで演奏と鑑賞の分断が起きた。大まかに、作曲・演奏・鑑賞の分断はこのようにして生まれたのではないかと私は予想している。その上で私の演奏では、鑑賞者を神と見立て、人間界の周波数にエンコードされた(他二人の演奏者によって崩壊させられた)神からの言葉を、更にエフェクトを付加することで分数の乗算的な効果を引き起こし、デコードすることを試みる。本来演奏に直接的に干渉することができない鑑賞者の行動を音の出力のトリガーとすることで、一時的に私が鑑賞者となり、鑑賞者が演奏者となるような、立場の逆転現象を引き起こす。この演奏構造は、上位存在であり人間世界の観測者であるともされる神と、神に観測される人間の関係性が、演奏者と鑑賞者との関係性の相似形であるという発想をもとに設計された。

↓試行錯誤、リハーサルの様子の動画
https://drive.google.com/file/d/1MIcxjHfwbHtp5d194jph6ebnURZXBjG6/view

まとめ

新規生wsを通し、私は一つの事柄に対する考察力を養い、また、何かを行うに際しての行動順序の基盤を作り出すことが出来た。次学期はより多くの事を思考し、より多くの事を言語化し、作品作りや研究に活かして行きたい。

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