長瀬眞承
x-Music Lab
Published in
Feb 3, 2023

x-Music Lab 22秋

この学期、一言で言えば「勉強」の学期であった。

私はORFの参加を意図的に辞退して、自身の研究を進めることにした。研究会に入って以来私は常に新たな概念に触れ音楽分野の知識を広げることができたが(音楽という言葉が定義する範囲自体も広められた様に思う)、そもそも今後研究したい内容が定まっておらず、流れに任せて作品などを制作していた。今学期は自身の研究内容を多少なりとも硬め、三年生になり本格的な研究活動を行う為に時間と資源を使うべく活動を行なった。

私の興味関心は良くも悪くも音楽の商業的な部分と関連したモノであり、即ちポピュラー音楽である。詳しく言えば、なぜ人間はとある曲を「良い」あるいは「好ましい」と判断し、何を根拠にその逆を判断しているのか。この問いに対して音楽的な根拠を持って答えを見つけたいのだ。無論、音楽以外の要素が色濃く出てしまう分野であることは承知である。例を挙げるとマーケティングや社会情勢、さらにはここの生い立ちや経済的な理由まで関連しているであろう。しかし私は、とある条件下においてはこのような趣向が生まれる、といった様に制限的ではあるが、例えば社会情勢と音楽における音楽的な要素の関連を証明できれば実社会においてとても有益な研究であり、同時に趣向性や人間の感情の理解に一歩繋がるのではないかと考えている。これらの考えから、今学期は様々な文献や研究成果を自身の中に取り入れ、ポピュラー音楽と呼ばれる楽曲がそのように呼ばれる所以の研究を始めた。

研究会内での活動を通して、上記の問いに対する答えを見つけるためにまず研究対象(即ち、ポピュラー音楽において研究すべき部分とそうでない部分を)を分けようと考えた。音楽的な部分で言えば、メロディー、コード進行、リズム、使用されている楽器などである。しかし、これらだけではポピュラー音楽における大衆に「好ましい」と感じさせる部分を見つけるのは困難である。「ポピュラー音楽」という言葉自体に強調されているが、ポピュラー音楽と言わざるを得ない理由として、ポピュラー音楽が抱える多様なジャンルや楽器の使われ方、そして一括りにはできない音楽性が存在しているからであろう。つまり、ポピュラー音楽の「好ましい」部分というのは音楽以外のものと比較して初めて明らかになるものであると考える。そして、私が研究をしたいと思う比較対象とは歌詞や歴史との比較なのである。なぜなら歴史とは大衆の活動を記録したものであって、それをその時期のポピュラー音楽と組み合わせそれを分析することによって、将来的な音楽の動向を検討することも可能であると考える。研究会内では上記の考えをもとに勉強会を開き、戦後日本のポピュラー音楽がどのように形成され、どの様に発展してきたかを学んでいる。参加者は様々な背景を持った人物(楽器を弾く人やダンスを踊る人など)を集め常に様々な視点から音楽と歴史を分析することによって可能な限り考慮できる要素を増やしている。

最終発表で出した上記の作品であるが、この様な研究の中から「究極のポピュラー音楽」の制作を目的とし、作られた作品である。一つの曲に際し、その曲の「良い」と感じられる部分を抽出し、それを強調することによって、「良い」と思える様な音楽を作ることができるのか。ある種、良いと思う所だけを大きくした良いとこ取りの音楽は、「良い」と思えるのかという実験である。作り方としてはYouTube上に存在する「リプレイ回数が最も多い部分」というデータを活用し、某有名曲の音源を均等に100分割し、最もリプレイ回数が多い曲の部分の音量が最も大きく、最もリプレイ回数が少ない部分の音量を最も小さくした。数値的には最も「ポピュラー」であるはずの音楽であるが、その音は誰が聞いてもあまり好ましいものではなかろう。この理由は幾つも想定できるが、その中でも最も有力であるのが「リズム」という現代音楽の基礎とも言える音楽的な要素を全く無視し制作した曲だからである。そもそも研究会の活動を通して、自分自身の音楽の定義を考えた際に、自分にとっての音楽はパターンがあるかどうかであったのに対し、この作品にはそれが全く存在しないのである。故に本作品は大衆に「良い」と思われる可能性が低いと考えている。

来季においてはこの考えをもとに音楽的な要素における「良い」と感じる可能性がある部分を見つけ、それ歴史やその他様々な要因と掛け合わせ、ポピュラー音楽がなぜ大衆に受け入れられるものなのかという点について研究を深めていきたいと思う。

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