[x-Music Lab 23秋]Bubblemorphや卒論振り返り

Ayaka Sakakibara
x-Music Lab
Published in
Jan 26, 2024

卒論は割と真面目に書いたので、書式自由らしいしあんま気張らずに自由に振り返ろうかなと思います。最後だし。というかもう真面目に書く脳の容量が残ってない。卒論、藤井さんとか他の研究会の人とかよんでくれたら嬉しいです。
今期はORFに向けての制作、あとは休学中の作品の展示とか、卒論執筆とかを行なった。休学中はサーベイ頑張ってた(めっちゃ作品サーベイ上手くなった。多分誰より上手な自負ある)。あとMaxやったりしてた。普通にMax嫌いだったけどMaxで音作るのが嫌いなだけで、制御系は好きなことに気づいた。あとは普通に作りたいもの作ったり、自分の好きなデザインスタジオを(割とここのスタジオが私の作品への影響及ぼしたと思う)手伝ったり、脳波の会社で制作企画とかしてた。(研究会もそうですが、脳波に縁があるのかも?)だから、正直あと半年で卒業とかやばすぎ、どうしようとか復学して思った。普通に何を卒論にするかとか、ORF何出すか、とか正直あんま決めてなかった。水がいいなーくらいにしか思ってなかった。まあなんやかんやBubblemorphをORFに出せてよかった。そこそこにコンセプトも気に入った。というかORF当日の深夜4時とかににリレー回路が動かなくなってどうしようかと思った。普通にゼータで残留しててああ直す部品ないなーとなったので始発で家に帰って直して設営した。動いた。危なかった。普通にめちゃくちゃ焦った。動いたので全てよし。ORF中にお客さんが結構感想言ってくれたのが嬉しかった。私の予想に反して、割とBubblemorphへの反応が良かった。この作品すごい好きですとか、素晴らしいですとか言ってもらって、正直その褒め言葉が私の作品に似合う言葉かわからないけど、このために作ってるんだよなーとか思った原点回帰できた機会だった。あと研究会の人たちの作品がとても面白くて刺激になった。それぞれの才能に嫉妬した。

研究会以外の活動としてFab cafe Tokyoで展示の機会をもらって、《Ocean padæmonium-The noisy Plasticscape-》(この作品もこの文章の終わりに動画貼っておこうと思う。一応今期これも動かしてたし。)という作品の展示をした。これはあるコンペに通ったのでもらえた機会で、こういうコンペに通ると展示できます、みたいなの私みたいな人見知りにはとてもありがたかった。みんなコンペに積極的に出すべき。コンペに出すのはあんまり好きじゃないです、という意見も理解できるけど、私にとってはこういう展示機会は貴重なのでどんどん出す。あとこの作品がアジアデジタルアート大賞でも入選できて良かった。目標にしてるコンペの一つだったので嬉しい。ありがたい感謝。ひとまずこれで休学中に立てた目標みたいなのを消化し切った。

ORF終わってからはさあ卒論ですよ、って感じだった。正直作りたいものをかちゃかちゃ作ってきただけだから論とか立てられないよーとか思った。今日の最終発表で論を立ててから作品作ってる人もいますが〜的なことを言ってる人がいて、なんか私がそれに該当していると思っていそうだからここで言っておきたい。私は作りたいものを作ってなんやかんやで文脈化しているんだと。
毎週の卒論mtgで先生方にそれは違うんじゃない?とか色々アドバイスをもらって何回も何回も論を立て直した。何回描き直しても2/1に完成するであろう卒論が完璧とは言い難いけど。魚住さんとタナケンさんと小林さんが研究会後の居残りみたいなものをやってくださって言語化能力の乏しい私にたくさんのヒントを与えてくださった。特にタナケンさんにおすすめされたティモシー・モートン「自然なきエコロジー」は私の卒論の核となることが書いてあるとても良い本だった。非常に難解で、理解に苦しんだし今も半分もまだ理解できていないと思う。あとは「環境が肌理になる時」という本もよかった。この卒論を書くために英語の論文から英語の本、哲学書とかほんとにたくさんよんだ。サウンドアート系の論文、やはり海外のものだといろんな種類があっていい。そしてこういうのは大概慶應の電子書籍で読めるか頑張って探すと落っこちてる。ぜひお目当てのサウンドアート系の論文がなくて困っている人はそっちで探してみてほしい。こういう卒論を書く機会で、素晴らしい本たちに出会えてよかったと思う。

とりあえずまだ完成してない論文は多分2/1以降にここにアクセスすれば見れるんじゃないかと思う。BubblemorphとかOcean padæmonium-The noisy Plasticscape-を動画とかみてもなんのことかわからないよ、みたいな人はこれ読めばわかるようになってるはず。ここに載せるのを私が忘れなければ。忘れてたら教えてほしい。
https://scrapbox.io/memoshare/%E5%8D%92%E8%AB%96

今期を振り返ると本当に研究会の人にはお世話になったなと思う。そもそも内定けって、休学しますみたいな意味不明な奴を復学して温かく受け入れてもらってること自体感謝。特に魚住さんにはものすごい丁寧に私の卒論を何回もコメントバックしてもらった。魚住さんのコメントバックがなかったら卒論完成しない。あと作品制作とか論文とかで人より私はつまづくことが多かったけど、次の一手をどう討つか、のヒントを毎週の研究会でもらっていた。こうした機会は貴重だと思う。あとは研究会の人と私はそんな話すことなかったけど、遠目からとても面白いもの作ってるな〜って思って嫉妬してた。私は負けず嫌いなのでもっと面白いものか素敵なものを作ります。

今期の振り返りは以上です。

ここからは今期の作品の詳細です。

以下が今期作ったBubblemorphの詳細。卒論の一部から引っ張ってきた。はてしなく長い。動画もある。ORFで撮影したけど周囲の音とか入っててあんまり映像がよくない。撮り直すべき。
「人間の耳にとって水中の音は全指向性として知覚される。つまり、あらゆる方向から同時にやってくるのである。このような枠組みのために水中の世界は人間にとって直ちに「サウンドスケープ(=音の風景)にならない。というのも、風景のように肌理を持った空間性を有さないためである。むしろそれは音の内在性と強度の領域、響きの時間変化のみが知覚される「サウンドステート(=音の状態)」であると考える人もいるかもしれない。(Helmreich,2011)
この言葉はヘルムライヒが論考の中で、水中環境における人間の聴覚について述べた際に唱えた考えである。人間は陸上で、左右の耳に届く音のわずかな時間差を認識し、音の方向性を知覚する。そうすることで音は立体的に聞こえ、空間性を有する。こうした音の立体感は一種の音の風景とされ、サウンドスケープになる。しかし、研究背景でも記述した通り、水中では音速が陸上の3倍近くになるため、人間は方向定位に必要な音源の左右の時間差を十分に得ることができない。このような状態になった時、水中音の特徴として現れるのがヘルムライヒの述べる「サウンドステート(音の状態)」である。音の立体的変化ではなく、音そのものが持つ響きの美しさや時間的変化が水中の音響特性で顕著な一つでありサウンドステートだ、ということだろう。もちろん、このサウンドステートが体験されるのは、人間が水中に潜った状態に限定される。おそらく、近年発達しつつある超高性能なハイドロフォンを用いれば、水中でもサウンドスケープを聴くことは可能かもしれない。しかし重要なのはそこではなく、陸とは異なる水中音そのものの美学、または水中が持つ独特の表現力がサウンドステートという言葉に表されていると私は考える。
では、サウンドステートを表す媒体として、どのようなものがそれにあたるだろう。私は水中に発生する気泡こそが、このサウンドステートをよく表す媒体だと考えている。気泡は一回発生してから時間とともに状態変化し、それに伴う音が発せられている。気泡が誕生する時の音「気泡振動音」、気泡が水面で破裂する時の音「気泡破裂音」、1つの気泡が水中で複数に分裂する時の音「気泡分裂音」、また気泡が物体にぶつかる時の音、などである。本作品ではこの気泡のサウンドステートを表すために水槽内に物体を置くことや、材質の違いによって、気泡の時間的響きの変化を生む水槽内コンポジションを試みる。

Ocean padæmonium-The noisy Plasticscape-

「私が海の底に住むことはできないが、水の膜に穴をあけ、海の住人に耳を澄ませることはできるかもしれない。」(榊原,2023)

本作品はプラスチックごみを用いて人と海の相互関係、海の歴史を覗き見るサウンドインスタレーションである。

現代、海洋環境におけるプラスチックの有害性が議論され、海洋プラスチックの増加がデータで表されている。私たち人間がゴミとして排出するプラスチックごみは海を漂い、その量は年々増え続けている。海に放出されたプラスチックごみは海の波にもまれ、小さなかけらとなる。このプラスチック片やマイクロプラスチックが魚類をはじめ、ウミガメや海鳥、鯨などの海洋哺乳動物に被害をもたらしてきた。[7]

そのデータは事実を的確に表しているが、どこか冷たさを帯びており、私たち個人がその数字に関わっていることを意識することは少ない。また陸から眺める海は穏やかで美しく、海の中の汚染と人間が見る海にはギャップがある。しかし水の膜を隔てた海では、生命にとって危機的な状況が広がっている。我々人間は海に住むことはできず、その境界を超えることはできない。そこで、仮想的な海を創り上げ、陸と海のギャップを表すと共に人間の五感へ訴えかけるよう情緒的にデータを翻訳し、音というレンズを通じて海の状況と歴史を覗き込む。

鑑賞者が瓶に近づくと、水が渦を巻き始め、綺麗な水の音が聞こえ始める。この瓶は海のメタファーである。次に鑑賞者は小さなプラスチックの破片をその渦の中に入れる。このプラスチック片は実際の海から拾ってきたものだ。この「プラスチックを捨て入れる」行為を鑑賞者が行うことによって、あなたという人間も海に関わっていることを意識する。

プラスチックを入れた状態で音を聞いても、依然として水の音のみ聞こえ、プラスチックの音は認識できない。これは陸から海を見た時の穏やかで問題のない海に似ている。そして、鑑賞者はヘッドフォンを装着し、音のレンズを通して海の中を垣間見る。すると、ハイドロフォンが捉えた陸からは聞く事のできなかった音が聞こえてくる。水が渦を巻くことで中のプラスチックが動き回り、プラスチックが小さな瓶の中で激しくぶつかる音が聞こえ、生き物たちが見ている海を認識する。マイクやヘッドフォンを通した時のみプラスチックの音が聞こえるのは、水の遮音性によるものである。プラスチック音は大部分が水面で反射される。そのため水中の音が空気中に伝わる、ということがほとんどない。

しばらくヘッドフォンで音を聞いていると、海の生き物の声が聞こえ始める。しかし、その声は徐々に歪んでいく。この音の歪みは、1950年代から現在までの海のプラスチック変化量のデータや、鑑賞者と瓶の距離、ハイドロフォンが捉える音の大きさによって変化していく。最終的にプラスチック音と歪んだ音しか聞こえなくなり、生物の声は消滅する。

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