[x-Music Lab 24春]

小向諒
x-Music Lab
Published in
Aug 4, 2024

はじめに

私は今期のx-Musicでは卒業プロジェクト1に取り組んだ。今回のMediumの中では、報告資料として今期の私の活動・研究と作品の制作課程について、各週の発表資料を抜粋しまとめる。

第一週目

Tactile Speakerは当初のプロトタイプとして提案した。振動を使って音楽鑑賞の可能性を探求することを考えた。
Tactile Speakerの目的としては音を皮膚で感じ、振動という形で異なる感覚器官で音を再解釈する機会を生み出し、耳だけでは感じえないフィーリングを体験することを考えたものだった。

第一週目(初週)では以前より関心のあった触覚と聴覚の関係性や、クロスモーダル効果などから着想を発展させることを考えた。音を耳で聞くだけでは、音楽によって受ける感動を最大化することは出来ないと考え、振動を経由して触覚と聴覚、複数の感覚器官から音楽を鑑賞するということを考えた。

しかしながら、振動を使ったデバイスには先行事例も多くあることや、音を単純に振動に変換することによって失われてしまう諸要素をそのままにすることに問題があるという指摘を受けた。また、もともとのコンセプトと作品としてのアウトプットの整合性に問題があると指摘され、コンセプトに振り返り、根本から再調整を行うことを考えた。

第二週目

第二週目では、より新規性を突き詰めることを考え、触覚とサウンドを組み合わせたMIDIコントローラーのようなものを提案した。”感覚情報を統合する”ということをコンセプトに、ある「感覚情報a」を、解釈を加えた別の感覚情報を統合することによって、「感覚情報a’」という新しい感覚体験を生み出すということを考えた。

この週では概念的な提案をした一方で、この実質的な提案に対し、現実的なアウトプットとしてこの概念を体験したときに感じられる体験のクオリティとの間に大きなギャップがあることが問題であると感じた。この概念的な提案を実質的に実現するためには、「感覚情報a’」というものを直接的に受容することのできる新たな感覚情報を処理するための器官が必要になってしまうためである。

また、この週での提案は初週と同様、触覚をつかった作品はすでに既存事例も多くあることや、触覚インターフェースとしての新規性がないことが大きな問題となった。そのため、インターフェースや楽器としてのプロダクトをデザインすることでは無く、作品として自身の発想や思想を反映するようなアートワークを作るということを考えた。

第三週目

実際に音をだして作ったデモ動画

第三週目では、Inaudibleという前年度に制作していた作品に原点回帰し、あらためて作品としての新作の可能性や、表現方法を模索するということに回帰することを考えた。

以前より制作していた、このInaudibleとは下記のようなコンセプトに基づいた作品であった。

この週ではこのコンセプトの再解釈や、整理を行い、新しい表現の作品を作ることを目指した。これまでに加え、この週の作品(Re:Inaudible)では、鑑賞者との間にインタラティブな要素を加え、押し込むとそれに合わせて重低音が鳴る仕組みを考えた。これにより圧迫する触感覚と音、そして作品に施された触覚加工が組み合わさり、新しい感覚体験を作ることを考えた。それぞれの諸要素は作者(=私自身)の現地を訪れたときの体験を想起し、その時に感じた感覚や印象・イメージといったものを再解釈したものを触覚・視覚・サウンドなどに恣意的に反映させて作られた。これにより、複数の異なる感覚器官のアウトプットを通じて、ある種の私的感覚の共有を、鑑賞者となる第三者に対して行うことを目指した。

しかしながら、この感覚の共有とは同一人物の間でしか成立しないものであり、私が現地のイメージを再解釈して主観的につくったテクスチャ・ビジュアルからは誰も同様のイメージ・印象を想起することは不可能であり、作品として成立していないという問題点が生まれた。それらの感覚器官と感じる印象の紐づけはそれぞれの個人によって全く異なり、自身の提起する表現を自身と同様に感じてほしいという発想は、ある種のエゴイスト的思想であり、私自身が当初想定していた、「エモーショナルな臨体験」とは全く異なる形式の作品となることが分かった。そのため、感覚の共有という視点からは離れ、改めてコンセプトの構造を見直すことにした。

また、プロダクトとして指摘を多く受けたのは、”写真を押す”という体験があまり面白くない・悪い意味での違和感を感じさせるというものだった。ビジュアルを安易に写真でそのままにしておくのではなく、映像やホログラム的な加工、ダゲレオタイプの写真のような、そのビジュアル自体が人を引き付けるようなものであることが重要であると考えられた。

第四週目

前週でのフィードバック・反省点を踏まえ、この週では主にビジュアル面での改善と新しい提案を行うことを考えた。一度コンセプトの部分の考察から離れ、この週ではひとまず技術的にビジュアルのクオリティを向上させることを目指した。

一枚の写真をモノクロ化し、さらにモザイク状にしたものを黒と白の濃淡に基づいてレイヤー分けした。それぞれのレイヤーを異なるアクリル板に印刷し、それらを重ねることで、立体感・奥行きのあるような印象・違和感を感じさせるようなビジュアルを作ることを考えた。黒の濃度が低い層を下に配置することで、写真のアートワーク全体が浮いたような印象をうけ、夢の中でぼんやりと何かを見つめているときのような浮遊感と、漂うあいまいさが表現された。

これらのレイヤー分けを行う表現がアニメーションの世界で主に行われるものであり、より層が重なって写真の中に被写界深度が生まれたり、それれが移り変わっていくようなさまが表現できると面白いのではないかという意見をいただいた。また、上からただ眺めるよりも、鑑賞者が没入して覗き込んでしまうような体験になれば、より誘引効果のある面白い作品になるのではないかという意見もあった。また、作品のテイストとして、情緒的な側面があるため、モザイク状の加工よりも霧のようなイメージやブラーのようににじむイメージの方が適しているのではないかという意見もいただいた。

最終週

前週でのフィードバックを受け、最終的に「情緒的望遠鏡」というコンセプトを考えた。世界の様々な地点を望遠鏡を使って覗き込み、写真や映像だけではわからないような不可思議な体験を提供するという作品である。また、作品のなかではこうした表現を通じてエモーショナルな言葉にできないような感覚のアーカイブを行うということも目的としている。

一つの地点を訪問するということを出発点とし、そこから複数の要素(サウンド・テクスチャ―・ビジュアル)を抽出して、この作品に表現するということを改めて整理した。

しかしながら、ビジュアルやサウンドなどそれぞれの諸要素を分化しすぎて考えすぎであるという指摘を多くいただいたため、再考慮が必要なぶぶんである。

プロトタイプでは、タワー上の展示にはスリットが入っており、それぞれにレイヤー化されたプラ板が挿入されている。下に設置されたトレース台によってこれらが照らされ、写真の像が浮かび上がってくるといった仕組みである。

最終的な展示では、可能な限り複数の望遠鏡を設置したいと考えている。というのも、「各地を覗き見る」という体験を提供するにあたり、それらの場所が複数であることは展示として大きな意義を持つためである。

現状のプロトタイプのもっとも大きな課題は、サウンドやビジュアルなどの要素が分化しすぎているという点である。そのため、これらをいかにして統合し、一つの作品として完成させていくかということが肝要である。また、テクスチャの要素はこうしたマルチプレーンのビジュアルを提起する中で蛇足であるという指摘もあり、今後どのような形で作品の要素を再構成していくかという点はまた考慮の必要がある。

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